異世界帰還兵症候群につき絶賛恋愛リハビリ中。 第二部 夏休みは地獄

嬉野秋彦

序章 殺伐とした村社会




 教室と村は似ている。

 そこにはいろいろな人間がいて、おおむねひとつの方向を向いているが、かといってすべての人間が同じ意見を持っているわけではなく、さらに小さなグループがいくつもできていて、細かく見ていけば、それなりに反目や衝突がなくもない。

 すべてのクラスメイトがいっさいぶつかることもなく仲よくやれている、などということは、おそらく幼稚園レベルでもありえない話だろう。

「……まあ、殺し合いがないだけまだましか」

 ぼそっと呟き、林崎はやしざき重信しげのぶは目を伏せた。

「何でそんな物騒なこというの、のぶくん!」

 重信の呟きを聞きつけた田宮たみや美咲みさきが、慌てたように小声でたしなめる。

「いや……以前、何か凶事があるたびに、グループ同士で分かれて責任のなすりつけ合いが始まり、最終的には死人が出るまで衝突を繰り返す地獄のような村で暮らしていたことがあってな」

「どこの村の話、それ……?」

「まあ、田宮くんには一生縁のないところだ」

「……のぶくんさ、異世界にいた頃の話だったらどれだけでっち上げてもバレないとか思ってない?」

「きみはおれの言葉が信用できないのか? だとしたらショックだよ。本当の地獄はこんなにもすぐ近くにあったんだな」

 淡々と応じ、重信はふたたび教室の一角に視線を向けた。

 重信自身はこういう区別の仕方が好きではないが――というか無意味だと感じているが――しいていうなら、重信は陰の者に分類される。クラスでは決して騒ぐことなく、規範から大きくはずれることを嫌い、つまりは悪目立ちすることを極力避けているだけなのだが、そういうすごしかたをしていると、なぜか相対的に陰キャ、みたいな立ち位置に収まってしまうらしい。

 もっとも、重信のような人間を指してそういう分け方をするのは、今も教室の一角で盛り上がっている一部の生徒たちであって、彼らもまたクラスという小さな村社会の中では、ひとつの志向を持つグループのひとつにすぎなかった。

 ただ、重信にとってはややうんざりさせられることに、彼らはその人数に比して、さまざまな意味で声がでかい。

「……どうして彼らはあんな下品な声で笑えるんだろうな」

 陽気に騒いでいるいかにもといった感じの生徒たちを見やり、重信は呟いた。

「自分たちだけしかいないのならまだしも、周囲にはほかの生徒もいるというのに、よくもまあ――」

「のぶくん!」

 美咲が顔色を変えて重信の口をふさいだ。

「おはー。……つか、あんたら朝から何イチャついてんの?」

 ちょうど登校してきた美咲の隣の席の結城ゆうきが、ひとりあたふたしている美咲を見てにやっと笑った。

「べっ、別にわたしは……」

「いやいや、いまさらそういうのいいから」

 机の横にスクールバッグを引っかけ、夏帆は静かに嘆息した。

「――でもまあ、わたしもザキくんの考えには賛同できなくもないかな」

「夏帆ちゃんまで――」

「まあまあ、最後まで聞きなって。――そりゃあさ、心の中でそう思うことと、聞えよがしに口に出してそれを指摘しちゃうのはハナシが別だってのは判るよ。美咲がいってるのはそういうことっしょ?」

「そ、そう! わたしがのぶくんにいいたいのはそういうこと!」

「おれは別に彼らをさげすんでいるわけじゃない。むしろ感心しているんだ。常人にはできないことをやっているという意味で」

 重信は肩をすくめ、一時限目の数学の教科書を机の上に出した。

「おそらく彼らは顔面の皮膚がかなり頑強なんだろう。もしかすると彼らは新人類へ進化している最中なのかもしれないな」

「わー、ザキくん辛辣~」

「ちょ、ちょっと! ふたりとも……」

 よくも悪くも美咲は、おだやかで人の和を乱すことを恐れるタイプの人間だから、こういう時におたついてしまうのは判らなくもない。対して美咲と仲のいい夏帆は、自分が不満を貯め込んでまで退く必要はないと考える気丈な少女で、その観点でいえば、美咲よりは重信に近い人間といえる。

「たぶんね、ふつうの学校ならああいう子たちって、クラスカースト? とかでいうと上位なんだと思うけど、だけどこの学校って、基本的に実家に経済力がないと入れないっしょ? 自分でいうのもなんだけど、ここの生徒はみんなそれなりにいいお家の出身なわけで、しかも上のほうには天井知らずのお金持ちもいるし、だから親が多少のお金を持ってるからってマウントは取れないじゃない?」

「そうだな……戸隠とがくしのお嬢さまは別格にしても、隣のクラスのかざおかさんも、実家は地方の大地主だと聞いたことがある」

「え? 風丘さんちってそんなお金持ちなの!?」

「ああ」

「まあ、風丘さんのことは知らないけどね、だからこの学校では、ああいう子たちは単に騒々しいだけのグループになるわけ。自分たちはカースト上位と思ってるのかもしれないけど、別に勉強がすごいわけでもスポーツがすごいわけでもなくて、ザキくんがいうように陽気に騒ぐ才能だけ突出してる」

「周りに迷惑さえかけなければそれでもいいんだが」

 この世界ではそういう若者は決して少数派ではないし、大学に行っても社会人になっても、かならず一定数はいるだろう。だから重信も彼らを否定はしない。単に彼らの笑い声が少しばかり耳障りなだけだ。

 ただひとつ重信が気になっているのは、自分とは相容れないはずのそのグループの中に、しばしば視線がぶつかる少女がいることだった。


          ☆


 高梨たかなしまひろというその女子生徒とは、重信が記憶しているかぎり、直接言葉を交わしたことは一度もないはずだった。

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