第五章 謎の新人 ~第七節~

「柳田さん」

「しっかり見ていますよ」

 葉月のいいたいことを先取りして、柳田がぼそりと答える。

「――何かあればすぐに援護できるようになっていますし、同じ映像は榎田先生のところにも問題なく送られています」

「そう焦らなくてもよくない?」

 座席の足元に空き缶を置き、美和子は口もとを隠して小さくおくびをもらした。

「――葉月ちゃんはアレよ、見た目と違ってきっちりしすぎだって」

「わたしの見た目関係ある?」

「葉月ちゃんのファッション見て、あなたが几帳面な性格だって思う人いないわよう、たぶん」

「――――」

 美和子の言葉を静かに黙殺していると、葉月のスマホにメッセージが入った。

「来た」

 霧華の指示を確認し、葉月は立ち上がった。

「美和子さん」

「はいはい」

 美和子をうながし、葉月はパーカーの袖をまくってバンを降りた。美和子はいつものジャージの上下に、首には厚手のタオルを巻いている。この季節には見ているだけで暑くなってくるスタイルだったが、本人はこれも痩せるためだからといってあらためる様子はなさそうだった。

「気をつけてね、ふたりとも。ザキくんの勘が当たっているとしたら、かなり危険な仕事になると思うから」

「これまでだって、危険じゃない仕事なんてなかったと思うけど」

 自分たちを気遣うすみれの言葉に軽口で応じ、葉月は美和子とともに草の海を歩き出した。特に気配を殺したり身を隠したりしていないから、おそらくもう敵に察知されているだろう。ほどなく敵が迎撃に出てくるかもしれない。

「――九人? あらあら、かなり多いわねぇ」

 霧華から仲間たち全員に届いたメッセージを読んだのか、美和子はいささかわざとらしく驚いていた。ただ葉月はその数をさほど多いとは考えていない。もともと葉月の“テンションサンダー”は、多数の敵を同時に相手にするのに向いた“スキル”だし、美和子の“濡れ女”もどちらかといえば複数の敵を相手取りやすい“スキル”だった。

 その時、ふたりのスマホがあらたなメッセージを同時に受け取った。

「あら!」

「は!? あの女がひとりで先走ったのはいいとして、さらに新手!?」

「葉月ちゃん、急ぐわよ!」

 葉月を追い越して風のように走り出した美和子の両手には、二リットルのミネラルウォーターのボトルが握られている。葉月もすぐさま美和子を追いかけ、雲間に隠れようとしている今宵の月を見上げた。

「雨は降りそうにないけど、美和子さん、大丈夫?」

「うん、いけるいける! 裏庭にボウフラが湧きそうな池があるらしいから。それに、いざとなればコレよ、コレ」

 巨大なペットボトルをマラカスのように揺らし、美和子は笑った。

「ほら、もう来た!」

 廃病院のほうから、ボリュームのあるたてがみを生やした獣じみた男が――女かもしれないが――こちらへ向かってくるのが見えた。さらにその後ろにも複数の影が見える。

「あらあら、またああいう感じの敵? あそこ動物病院だったの?」

 そんな軽口とともに、美和子が右手のペットボトルをひょいと投げつける。獣人の爪にかかれば、そんなものはサイズなど関係なく一刀両断されるだろう。事実、獣人は軽く振り払うような動きでペットボトルをまっぷたつに引き裂いた。

 その瞬間、ほとばしった水が電動ノコギリの刃のように激しく回転し、逆に獣人の喉を引き裂いて鮮血をしぶかせた。おそらくその獣人は、自身に何が起こったのか判らないまま絶命したに違いない。

「ぶ、ふ……」

「あらやだ、グロいわねえ」

 美和子の“スキル”は、彼女の周囲にある液体を――ごく短時間とはいえ――鋼のように硬化させ、凶器にすることができる。近くに大量の水がある時の美和子は、“機構”でも屈指の危険な戦士だった。それこそ土砂降りの中でなら、彼女は降りそそぐ雨粒を幾千幾万という針に変えて敵に浴びせかけることもできるのである。

「ほっほっほっほっ」

 ジョギングするような息遣いで草むらを走り、美和子は目の前の獣人の骸を飛び越えた。

「……この人ほんとにダイエット感覚なの?」

 美和子の呑気さに溜息がもれる反面、この戦場でもふだんと変わることのない彼女に、葉月は頼もしさも感じていた。

「! 美和子さん、頭下げて!」

 廃病院の裏手に回り込もうとしたところで、屋上から別の獣人が襲いかかってきた。

「あら!」

 美和子が頭をかかえて身を屈めたところに、葉月の振るう雷の鞭が横殴りに走った。

「がふっ」

 くぐもった呻きとともに、全身の体毛を縮れさせた獣人が吹っ飛んでいく。

 重信や石動は、この手の獣人たちを戦いやすい相手と評していた。それには葉月も同意見だったが、意味合いは少し違う。葉月は彼らの戦い方うんぬんよりも、その見た目が人間離れしているからこそ戦いやすいと思っていた。葉月は今でも、人の姿をした敵を攻撃することへの強い抵抗感をぬぐい去れずにいるのである。

「……それにしても、何がしたくてこんなところに集まってるわけ?」

「それを調べるための作戦なんじゃないの、これ?」

 霧華が“機構”を組織して以来、これまでエローダーたちの拠点と呼べる場所を発見したことはなかった。本当にここがエローダーのアジトのひとつであるなら、ここを調べることで、エローダーという存在に関する重要な情報が入手できるかもしれない。

 丸焦げになって草むらに転がった獣人を見下ろし、葉月は呟いた。

「考えたら、わたしたちって本当にこいつらのこと何も知らないですよね……」

「ダメよぅ、葉月ちゃん」

 緑色に濁った池のところまでやってきた美和子は、ジャージの袖口で額をぬぐい、大きく深呼吸して葉月を振り返った。

「――あなたもすみれちゃんと同じで、根っこが真面目だからあれこれ悩んじゃうのよう。あれこれ考えるのはお嬢さまと純さんの仕事なんだし、わたしたちは戦うことに集中しないと」

「考えるのはお嬢たちの役目っていうのは判りますけど……でもだからって」

「誰くんだっけ、あの子? ザキくん?」

「はい?」

「あの子をお手本にするの、葉月ちゃん的には腹立たしいかもしれないけどねぇ、あの子くらい淡々と構えてるほうがいろいろと楽よ? わたしも細かいことはいちいち考えないようにしてるしね」

 そういいながら、美和子は目の前の空間を撫でるように、両手を下から上へと振り上げた。その動きに応じて、藻で埋め尽くされた池の水面から数本の水の槍が延び、あらたに窓から飛び出してきた獣人を串刺しにする。

「これで……三人? だっけ?」

「ちょっと中見てきます」

 敵の数を確認する美和子の問いをスルーし、葉月はドアがなくなった裏口から病院に踏み込んだ。

 ドアも窓もなく、風雨が吹き込み放題のまま放置された内部には、病院にありがちな消毒薬の匂いはすでにない。代わりにただようのは、濃い獣臭と、肌を刺すような奇妙な感覚だった。

「……こういう感覚、か」

 重信が敵の位置を察する際に感じる殺気というものが少し判った気がする。葉月は神経を研ぎ澄ませ、そっとトイレを覗き込んだ。

「――――」

 短めの雷の鞭を繰り出し、洗面台をこなごなに破壊したが、剥き出しになった水道管から水が噴き上がることはなかった。

「当たり前といえば当たり前か……中で水が確保できないとなると、美和子さんには池のそばで戦ってもらうしか――」

 その時、廊下の前後からあらたな獣人たちの気配を感じた。

「……何匹集まってるのよ、ここに」

 葉月は顔をしかめて両手に盾を構えた。

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