第五章 謎の新人 ~第六節~

 今この車内には、重信と霧華、それにまひろと山内が乗っている。それとは別に、すみれと葉月、美和子も少し離れたところで待機しているはずだった。

「ところでさ、その美和子さんて人はどうしてここにいないわけ?」

「おれもよく知らないが、彼女の“スキル”は場所を選ぶらしい」

「へえ。……そうなの?」

 まひろが霧華に尋ねたが、霧華は無言でうなずいただけだった。

「あと、あんたの腰巾着の風丘葉月は? 何でいっしょじゃないの?」

「きみは風丘さんの“スキル”のことも何も知らないのか?」

 無言をつらぬく霧華の代わりに、ふたたび重信がいった。

「それがどうかしたの?」

「風丘さんは近くに味方がいないほうが本領を発揮しやすい」

「ふぅん……まあいいけど。どっちにしろ、わたしとザキがいればどうにでもなるでしょ。前はふたりで七人やったこともあるし」

「そうだな……不意をつくことができれば何とかなるだろう」

 霧華と顔を見合わせ、重信はまひろをうながしてリムジンを出た。

 時をわきまえないカラスの鳴き声が響く中、重信はガードレールを飛び越え、青々とした草が生い茂る荒れ地に下り立った。草の丈はせいぜい脛の中ほどあたりまでで、走り回るのにさしたる支障はない。

「山内さんは、戸隠さんの護衛を優先でお願いします」

「ああ。派手な活躍は若いみなさんにお任せするよ」

 上着を脱いだ老運転手が、白い手袋をはずしてポケットに押し込む。まひろは肩越しに霧華を振り返り、

「――エローダーの数は確認できたんだから、何ならあんたはもう帰ったら? あんたが死んだら、あんたらの組織も大変なことになっちゃうんでしょ?」

「…………」

 ゆるやかな傾斜を見せる草原の彼方には、もう何年も放置されたままとおぼしいコンクリート作りのかなり大きな建築物が建っている。この場所から見たかぎりでは、まともにガラスの残っている窓はひとつもなく、そちこちの壁面にスプレーによる落書きがあった。

 重信はもう一度あたりを見回し、

「……廃病院だって?」

「三〇年ほど前に建てられたけど、近くのベッドタウン構想が途中で頓挫したのをきっかけに患者が急減、採算が採れなくなって廃業――だそうよ。現在の所有者が誰なのかはっきりしないおかげで、勝手に取り壊すこともできずにあのありさまだって」

「この手の物件は特に根拠もなく心霊スポットと決めつけられて、頭の悪そうな連中がよく肝だめしに使われていそうなんだが」

「そういうこともあったのかもしれないけど、少なくとも今あそこにいるのは、あなたがいう頭の悪い連中ではなさそう」

「どうやらそうらしいな」

 重信は、あの廃病院にひそむエローダーの存在をまだ感じ取れずにいる。重信に関知できるのは、自分に向けられる明確な殺意だが、それを感じないということは、向こうはまだ重信たちの存在に気づいていないということなのだろう。

「高梨さん」

 重信は低い声で尋ねた。

「――連中に気づかれずにどこまで近づけると思う?」

「さあ? このへんがギリギリ限界かもしれないし、もう少し踏み込んでも大丈夫かもしれないし」

「要するに未知数ということか……仕方ない、風丘さんたちに先に仕掛けてもらうしかないな」

「は? だったらわたしがやるし」

「こっちには戸隠さんがいる。囮になるなら別動隊だ」

「……だから先に帰ってればいいっていったのに」

 首をくきくきと回しながら不満げに鼻を鳴らしたまひろが、すぐに眉をひそめて視線を転じた。

「あの女……?」

「葉月に動いてもらったから」

 霧華が自分のスマホをポケットにしまい込み、淡々と告げる。霧華の指示で葉月たちが動き出したことで、廃病院内にひそむ敵もそれに気づいたのだろう。重信は左の拳を握り締め、まひろにいった。

「――おれたちも行こう。相手のほうが数が多いぶん、挟撃できるチャンスは逃したくない」

「だったら勝手に始めないでタイミング合わせろって話じゃない?」

 舌打ちとともに霧華をひと睨みし、まひろは駆け出した。

「――――」

 日中の草いきれが残る夏の夜気をかき混ぜ、重信はまひろを追った。

「そろそろ来そうだぞ、高梨さん」

 自分に向けられる殺気を感じて、重信の肌がひりつく。霧華はエローダーの数を九人といっていたが、こちらに近づいてくる殺意は四つ――重信は左の拳を腰に添え、そこから抜き放たれる光の刃をイメージした。

「お先!」

 重信よりわずかに先行するまひろの周囲に、輝く光のナイフが出現する。と同時に彼女の全身から、敵の意識を自身に向けさせる強烈な敵意――“誘蛾灯”が全方位に放射された。

「……また勝手な真似を」

 これですべての敵の目がこちらに向いたのでは挟撃した意味が薄れてしまう。まして重信たちの後ろには霧華がいるのである。足並みを揃える気もなく突っ込んでいくまひろの背中を見据え、重信は嘆息した。

「ま、矢面に立ちたいというなら立ってもらおうか」

 丈のある青草を激しく揺らして、何かが正面から走ってくる。重信の目は、それが極端な前傾姿勢を取る獣人だと視認していた。

 まひろの周囲に滞空していたナイフがすべるように飛び、先頭の獣人に襲いかかった。

「……この手の毛深い連中だけか?」

 重信はこれまでにもさまざまな“スキル”を持つエローダーと遭遇してきたが、数でいうならこの獣人タイプの敵との戦闘がもっとも多い。先日まひろの助っ人に駆り出された際の相手も獣人タイプだった。

「わりと単純で戦いやすい部類ではあるんだが――」

 飛び道具を持っているわけでもなく、しいていうなら凶悪な爪と牙、俊敏さが武器の手合いは、数の問題さえなければ、重信にとっては与しやすい相手といえる。ただ、このタイプのエローダーは群れをなしていることが多く、どうやらあの廃病院も、同じような獣人たちの巣窟になっているのかもしれない。

「ザキ!」

 まひろの声が飛ぶ。すれ違いざまにまひろの光のナイフに切り刻まれた獣人が、血煙をまとったまま、重信の目の前に転がり出てきた。

「まったく……ちゃんととどめを刺しておけ」

 手負いの獣を放置しておいては、後ろにいる霧華――を守る山内に迷惑がかかってしまう。重信は左の拳から赤い光の刀を引き抜き、眼前の獣人を袈裟がけに一刀両断した。

「ザキくん!」

 今度は前方のまひろではなく後ろから霧華の声が飛んできた。

「敵が来る――」

「判ってる!」

「違う! もっと遠くから――もっとたくさん!」

「……は!?」

 最初に確認した九人に加えて、さらに想定外の敵が増えると聞いて、重信はひとりで突っ走っていくまひろの背中を睨みつけた。察するに、さっきのまひろの“誘蛾灯”が別の場所にいたエローダーたちまで引き寄せてしまったのだろう。

「おい、高梨さん!」

 そうした状況の変化をみずから引き起こしたことに気づいているのかいないのか、まひろはひとりだけさっさと廃病院の中に飛び込んでいってしまった。


          ☆


 静かな車内に柿の種をかじる咀嚼音が響く。ノンアルコールとはいえ、待機中に晩酌気分でいる美和子に苛立ちを感じないでもなかったが、葉月は何もいわなかった。こういう時は葉月がいわずとも代わりにいってくれる人間がほかにいる。

「美和子さん、それで最後にしてくださいね。そろそろ出番なんですから」

 運転席のすみれが、後ろを見もせずに美和子に釘を刺す。

「――そもそも、どうせ飲むなら仕事のあとに本物のビールなり何なりを飲めばいいじゃないですか。別に今飲まなくてもいいでしょう?」

「これはほら、アレよ、ルーティンみたいなもの? っていうか、本当だったら焼酎でも引っかけていきたいところなんだけどねえ。そうすると不思議と手の震えとかも出なくなるし」

 それはもうアルコール中毒だろうと指摘したいのをこらえ、葉月はバンの助手席で小さなモニターと睨み合っている柳田に声をかけた。

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