第六章 黒髪清楚系吸引力 ~第二節~

 人の心は複雑で、単純には割りきれない。ただ、親しい人間の命が尽きかけようとしている時、それをどうにかつなぎ止めたいと思うのはごく自然な考えだろう。

 安っぽいいい方をしてしまえば、霧華たちがやっているのは正義の味方である。その根底にあるのは、西洋的にいうならノブレスオブリージュ、もしくは彼女自身が生まれ持った高潔さだろう。そんな彼女だからこそ、人体実験を必須とする純の計画にはノーといい続けてきた。

 しかし、愛する祖父を救う“スキル”を持つリターナーがいないのなら、自分たちで生み出せばいい――そんな考えがふと頭をよぎった時、彼女はその誘惑に打ち克てるのか。


          ☆


 壁を背にしたまま、重信しげのぶは左手のスマホの画面をちらっと一瞥した。しかし、まひろからの返信はまだない。重信のメッセージに返信する余裕がないほど敵との戦いに追われているのか、あるいは、それ以上に深刻な状況におちいっているのか――。

「…………」

 スマホをしまって身を屈めた重信の頭のすぐ上で、コンクリートの壁面が大きくえぐれた。

「息が臭いな」

 最小限の動きで獣人の貫手をかわした重信は、すれ違いざま、左の拳から赤光の太刀を引き抜いて斬りつけた。

「便りがないのは元気な証拠、とはいうが――」

 足元に転がった獣人の首を一顧だにせず、重信はあたりを見回した。

 勝手に先行していったまひろがどこで何をしているのか判らないが、重信は当初からの計画から逸脱するつもりはなかった。

「ザキくん!」

 まひろと重信が露払いした真っ赤な花道を、山内やまうちを先に立てて霧華がやってきた。

「こりゃまた……派手にやってるねえ」

 あちこちに倒れ伏した獣人たちの骸を見て、山内が疲れたような苦笑いを浮かべている。すべてが終わったあと、彼らの遺体は純の要望で検死に回されることになっているが、それでも現場の後始末ということになれば、山内の負担はかなり大きなものになる。おそらくそれを想像してもれた表情なのだろう。

「……高梨たかなしさんは?」

 霧華の問いに、重信はかぶりを振った。

「古い表現でいうなら鉄砲玉みたいにどこかに行ったきりだ。中にいるのは間違いないと思うが……きみのほうでは把握できないのか?」

「この病院の中に、“スキル”を持った人間が何人もいることだけは判るけど」

 霧華の“てんつう”は、“スキル”を持った人間の存在を感知できるだけで、それがリターナーかエローダーかを判別できない。すでにまひろや葉月は廃病院の中に入り込んでいるはずだが、今の霧華には、彼女たちもほかの獣人たちも同じように感じられるのだろう。

「……でも、数がかなり増えてる」

 灰色の壁を凝視し、霧華は呟いた。

「感知できる範囲内に……一五人」

「そのうち三人が、かざおかさんとつきしろさん、それに高梨さんだとすると――残りはみんなエローダーか」

「それはまた……やる前から疲れてきたよ」

 山内がまた苦笑する。

「エローダーの数を減らせると思えば、そう悪いことじゃないですよ」

「そりゃまあねえ」

 さしてなぐさめにもなっていない重信の言葉に大きくうなずいた山内は、ふと何かに気づいたように顔を上げた。

「やっほー」

 三階の窓からまひろが身を乗り出し、呑気に手を振っている。重信は眉をひそめ、

「……勝手に動くな。目の届かないところにいられると困る」

「へえ、ザキはわたしのこと心配してくれてるんだ、一応」

「別に心配はしていないが」

「つれないね」

 そのまま高飛び込みでもするかのように、くるりと前方宙返りをしながら落ちてきたまひろは、危なげもなく両足から着地して平然と笑った。

「中の敵は?」

「まだけっこう残ってるよ。毛むくじゃらの奴らばっかりだけど」

 まひろは肩をすくめて重信の質問に答えると、逆に質問を投げ返してきた。

「――で、風丘葉月はづきとかはどうしてんの? 来てるんでしょ?」

「今頃はこの病院をはさんでちょうど反対側にいるみたい」

「ふぅん……ならさっさと始末つけなきゃね」

 芝居がかった仕種で小さくうなずいたまひろが、ぴんと立てた右の人差し指を振ると、その先端にともった光が数本のナイフに変じ、至近距離から霧華に向けて飛んだ。

「!」

 驚愕の表情で立ち尽くす霧華を横抱きにかかえ、重信はまひろとの距離を取った。

「お嬢さま――ぐっ!?」

 重信とまひろを見くらべていた山内が、大きく旋回してきたナイフを右の太腿を斬り裂かれてよろめいた。

「……無駄なことすんなよ、ザキ」

 長い黒髪をわしわしとかきむしり、まひろは苛立ちをにじませて吐き捨てた。

「こっちの仕事増やすな。あきらめてすぐに死んでくれ。な?」

「高梨さん、きみは――」

「スッ込んでろよ、じいさん。オレに触ろうとすんな」

 接近しようとする山内にあらたなナイフを投じ、まひろは長々と溜息をついた。

 まひろの口調はまるで粗雑な男そのものだった。外見こそこれまでと同じだったが、口調以外にも、表情や態度、細かな仕種までががらりと変わっている。

 重信は左腕一本で抱きかかえた霧華にささやいた。

「……どう思う?」

「わたしの目には、以前と同じように見えるわ」

「以前と同じというのは、きみの“てんげんつう”で見た場合の話か」

「ええ」

「要するに、きみに敵意をいだいた“スキル”所持者という点は以前と同じというわけだな。盲点といえば盲点だった。リターナーになる前もなったあとも、きみにとって高梨まひろは変わることなく真っ赤に染まって見えていたんだな」

「ザキ……おまえ、カノジョいるんだろ? あの田宮って女。なのにどうして戸隠霧華とイチャついてんだよ? それは不実だろ、さすがに!」

 重信たちの小声でのやり取りに、まひろが七本の光のナイフを引き連れて割り込んできた。

「――でもまあ、とりあえずきょうはその小娘置いてけば見逃してやる! 損得勘定が得意だろ、おまえみたいなヤツは!」

「損得勘定が得意かどうかは判らないが、きちんと計算はできるつもりだ」

 そういって重信は一気に後方に跳躍した。

「計算した結果が敵前逃亡かよ。確かに頭はいいな、おまえ! ――逃がさねえけど!」

 高梨まひろの“北斗七星”は、七本の光のナイフを自在にあやつるかなり攻撃的な“スキル”だった。曲線を描いて飛来する飛び道具というだけでも厄介なのに、それをまひろは最大で七つ同時にあやつれるのである。それこそ山内のように相手に触れなければ攻撃できないリターナーでは、近づくどころか身を守ることすら難しい。

 そしてそれは、“朔風さくふう赤光しゃっこう”で戦う重信にしても似たようなものだった。相手との距離を問わずに戦える“北斗七星”に対し、“朔風赤光”はあくまで刀であり、その切っ先が届く範囲内の敵しか攻撃できない。

「ザキくん、わたしを下ろせば――」

「無理だな」

 細かく動いて光のナイフをかわしながら、重信は霧華のセリフの出かかりを潰した。

「今の高梨さんの最優先の標的はおそらくきみだ。手傷を負わせた山内さんを放置してこっちに集中しているのはそういうことだろう」

 重信が霧華を下ろせば、身軽になったぶんだけまひろとの戦いにはプラスになる。だが、おそらくまひろは重信すら無視して霧華を殺そうとするだろう。実際、今のまひろならば、七本のナイフで重信を足止めしている間に霧華を素手で撲殺することなど造作もないはずだった。

「もう判っているだろう。認めろ」

 霧華を自分の背中に移動させ、拳から赤い刀を引き抜いた重信は、ぐっと細めた瞳でまひろを見据えた。

「……彼女はもうおれたちの同窓生じゃない。見た目は同じでも、中身はもうエローダーだ」

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