第四章 オペレーション・ポーシャ

第一話

 そこは常夏の島だった。

 透き通る海に、気持ちよく晴れ渡る青空。潜れば魚たちが盛大な歓迎を披露し、さらには腹さえも満たしてくれる。世が世なら、ここにカップルの笑い声や子供たちの無邪気な声、物売りの客引きの声も加わることだろう。事実、この20年後には現実のものとなっている光景である。

 だが、今はそういう訳にはいかなかった。ここトラック環礁及びその周囲の海は、帝国海軍の所有物と呼ぶべきものになっているからである。最もその禁を犯して入らんとする不届きな鉄の鮫がゼロという訳では無かったけれども。

 

 統領ドゥーチェの理想がこの世の春を謳歌し始めた頃、後にユダヤ人の王の名を付けられた島々から人々がやってきた。大陸が戦乱に呑まれた時代も、平和を謳歌した時代も、彼らはこの島の中で暮らし続けた。桃源郷は1500年に渡って、彼らを優しく護り続けた。

 その後には受難が待ち受けていた。1565年にスペイン人によって「発見」されたこの島を、スペイン人は副王領に組み込んだ。彼らは島民を要塞建設に従事させるなどし、また本国からも遠く離れていたため、住民へのサービスなども行っていない。この方針は没落した彼らが、そのあまりに放漫な国家経営の為に第二帝国に南洋諸島を売り渡したあとも変わっていない。西洋にとってここはただの植民地。例え大艦隊の泊地となり得る環礁がいくつもあっても、所詮はその程度だった。彼らにはこの環礁を有効活用出来るだけの資金も、活用すべき大艦隊もない。いや、高海艦隊ホッホ・ゼーア・フローテなら(少なくとも後者は)あったかも知れないが、先の大戦中ただヴィルヘルムスハーフェンに篭り続けた偉大なる皇帝カイザーの艦隊が有効活用出来るとはとても思えなかった。

 だが、この素晴らしき泊地に目を付ける海洋国家が無かった訳ではない。日露戦争の後、仮想敵国を米国と定めた大日本帝国はその有用さを見抜いた。日英同盟に従って先の大戦に参戦した彼らは、太平洋に点在する第二帝国の植民地を占領し、この地に彼らに代わる新たな支配者となった。なおこの時、一部の国からは「南洋諸島を日本の信託委任統治領とすべき」との声が上がったが、彼らが認めるはずは無かった。信託委任統治領では、その土地の軍事的利用が禁じられている。

 さて、大日本帝国の支配はそれまでに比べれば遥かに穏当なものだった。デュブロン島を中心に設けられることになった一大軍港(後にトラック警備府となる)の工事には多くの原住民も駆り出されたが、そのデメリットを補って余りあるメリットがもたらされた。軍港の工事や内地からの移民が現地での雇用を産み出し、日本人の趣味と呼んでいいインフラ整備癖はここでも発揮されていた。

 1942年現在、トラック諸島には三箇所の泊地がある。大型艦用の春島泊地、中小型艦用の夏島泊地、松島泊地がそれだ。夏島には南洋諸島の防衛を担当する第四艦隊の司令部が置かれ、春島にはトラック警備府の庁舎および工廠や乾ドック、およそ五万キロリットルもの重油が入る燃料タンクがある。飛行場に至っては竹島や楓島などに十ヵ所以上存在し、その収容機数は軽く四百機を越えている。正に東洋のジブラルタルであり、帝国海軍の最も有力な基地であった。当然、帝国海軍が太平洋で制海権を握っている今、聯合艦隊の大半ー具体的に言えば、布哇ハワイ沖海戦で大戦果を挙げた第一航空艦隊の全艦、帝国海軍最強の戦艦部隊である第一艦隊のうち、南遣艦隊の支援を行っている「金剛」「榛名」などを除くほぼ全艦、南洋諸島の防衛に当たる第四艦隊、潜水艦部隊である第六艦隊の一部ーがあった。


 軍事施設が島の多くを占める夏島には、軍人向けの多様な店がある。その中に、第六五駆逐隊の司令駆逐艦「秋月」の駆逐艦長である佐々木少佐の行きつけの店、「徳田」もある。

 十九時四十五分、佐々木はいつものように桟敷席に腰を下ろし、お通し(彼は関西の生まれであったため、料亭などで注文と関係なく出される料理を突き出しとは呼ばなかった)の白和えをつまみながら来客を待った。彼には人と会う約束があったのだ。

 約束の二十時を少し回ったころ、

「しばらくぶりだな、佐々木」

「お久し振りです、村田先輩」

 海軍軍人らしからぬ男がやってきた。彼と同郷の先輩である、村田技術中佐である。

 

 しばらく南洋の刺身や焼き魚を食べたあと、村田は本題に移った。

「貴様、確か今は乙型に乗っていたよな?」

「はい、駆逐艦長をしています」

「そして貴様の艦は今ドックで整備をしている、と」

「そうですね、新型の装備を載せるとかで」

「それについてなんだが……」

 そう言うと、彼は鞄から紙の束を取り出した。何やら取り扱い説明書のようなものらしい。

「今回追加する装備は、二一号電波探信儀とE25逆探信儀、それに母式四十ミリ連装機銃を二機だ。これはその図面及び説明書だ」

「電探……ですか。あまり良い装備には思えないのですが。自ら電波を発信するなど、闇夜に提灯にしかならないのでは?」

 佐々木は図面に目を通しながらぼやいた。この、電探をあまり好ましく思わない風潮は当時の海軍ではありふれたものであった。だからこそ今、この当時では優秀な逆探(敵の電波を感知して、方位を探る機械)が作られたというのもあるため、一概に否定することの出来ない風潮ではあるが。

「貴様もそう思うか……うん、やはり言いに来て正解だったな。この電探なんだが、取り扱いの教授の為に俺の部下が一時的に乗り組むことになる。奴は優秀なんだが、電探を絶対的だと過信している節があってな……電探のことは彼に全面的に任せてくれないか?あいつは黒島参謀長(黒島亀人のこと。真珠湾攻撃の計画を立案した優秀な人間が、海軍一の変人として知られていた)並みに変わった奴なんだ」

「……分かりました。私も電探などは素人ですから、彼に任せます」

 多少躊躇ったあと、佐々木は承諾した。決して気分の良い物ではないが、素人なのだからしょうがない。

「こちらからも一つ良いですか?」

「ああ、どうした?」

「この母式四十ミリ連装機銃とは何です?」

「そいつはスウェーデンのボフォース社が開発した機銃だな。ドイツ軍がライセンス生産していることを知ったドイツかぶれの上層部がボフォース社とライセンス契約を結んだらしい」

「ほう……」

 どれだけ使えるやら、口には出さなかったが彼はそう思った。九六式が三連装型で三トン弱のところ、こいつは連装でさえ五トンもある。カタログスペックは優秀だが、駆逐艦長にとって、重量の増加はあまり好むところでは無い。

「まあ、上手いことやってくれると信じているぞ」

「先輩の頼みですからね、試験運用はお任せ下さい」

「今後の貴様の武運と、試験運用の成功と、帝国の勝利を願って」

「「乾杯」」

 村田の泡盛と佐々木の平野水がぶつかり、涼やかな音を立てる。時計の針は午後十時を指していた。


ちょうどそのころ、オアフ島のママラ湾。

「我々は反攻の尖兵となり、そして英雄となる!よって諸君らには、我が司令部の期待するような行動をとって貰う。それが出来ないのなら、陸軍に行け!」

 外の暗闇とは対照的に明るい艦内で、だみ声が響いている。

 その声の持ち主は、艦内放送用の機器の前に立ち、参謀長と、ある演技を行っていた。

「参謀長、この艦の名前を知っているな?」

「大変良く知っております!」

 屈辱にまみれた水兵ボーイズのため。

「武勲と栄光に輝く名だな?」

「武勲と栄光に輝く名であります!」

 乾坤一擲の賭けに挑む、自らのため。

「乗組員は粒ぞろいだな?」

「乗組員は粒ぞろいであります!」

 復讐に燃える祖国の、尖兵として。

「勇敢な国の者であるな?」

「勇敢な国の者であります!」

 独立を勝ち得た、彼らのように。

「世界に冠たる国の者であるな?」

「世界に冠たる国の者であります!」

 俺達は、卑劣なジャップに、復讐を果たす!

「この艦の名は何だ?」

「サラトガであります!」

 ここで演説者、第十七任務部隊司令官ウィリアム・「ブル」・ハルゼー中将は大きく息を吸うと、マイクに向かって怒鳴った。

「気合いを入れるぞ!行くぞ、サラトガ!ゴー・サラ!

いざ往かん!ロール・タイド!

 合計して空母四隻、戦艦二隻を主力とする第十六、十七両任務部隊(総指揮はハルゼーが執る)の、出撃の瞬間であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る