第二話

真珠湾北方230海里には、今のところ世界で最も偉大な戦果を挙げた艦隊が展開していた。空母六隻、戦艦二隻、重巡二隻、軽巡一隻、駆逐艦八隻からなる機動部隊、大日本帝国海軍の第一航空艦隊である。彼らは真珠湾において、今や敵国となったアメリカ海軍の主力たる太平洋艦隊の空母全てと戦艦の過半を水漬く屍とすることに成功したのだ。

それを彼らが知ったのは一時間ほど前のことであったが、いまだ全艦隊が正月と盆と天長節が一斉に来たかのような熱狂の中にあった。各艦では清酒の蓋が開けられ、あらゆる所で万歳が叫ばれる。堅物と寡黙な人柄で知られる一航艦司令長官・南雲忠一すら例外ではなく、めったに人前で見せない笑顔をその温厚そうな顔に浮かべていた。

当然、護衛についている第六十五駆逐隊の司令駆逐艦「秋月」でも同様である。

「航空機って奴はァ、凄まじいモンだな、オイ?」

六十五駆司令の松崎大佐が、感嘆を隠しきれないような声で言った。べらんめえ調から出身地の香りを漂わせている彼は、軍人というより地元の漁師のような人間であったが、いざ戦闘となれば先陣切って突撃する荒武者でもある。

「ええ、これで戦争が大きく変わるでしょうね。水雷戦隊や大型戦艦が全てを決する時代は、もう終わったのかもしれませんな」

「そいつは困るぜェ、佐々木君よ!貴様みたいな水雷屋が弱気になっちゃァいけねぇ。いつ何時でも勇敢たれ、それが水雷屋ってモンだろ?ま、今は飲めや」

「いや、一応護衛の任を果たさなければならない身ですし……」

「上官命令だ、さっさと飲みな!」

仕方なく一杯口に含む。彼は任務中に酒を飲むという感性は理解できなかったが、上官付き合いの方法は心得ていた。


「司令は一体何杯飲ませるつもりなんだよ……」

防空指揮所に上がって風に当たろうと、吐き気に耐えながらラッタルを登る。登りきって目の前に広がった光景は、まさに圧巻だった。

「秋月」は、空母六隻と戦艦二隻を囲う重巡二隻、軽巡一隻、駆逐艦六隻(二隻はトンボ釣りー着艦に失敗した機体から乗組員を救出することーのために輪形陣の内側にいる)からなる輪形陣の、左斜め前にいた。進行方向を0度としたなら、中央から左40度のところになる。

右舷には、未成の巡洋戦艦を改造した第一航空艦隊旗艦「赤城」がその威容を見せつけていた。基準排水量四万一千トン、全長二百六十メートルをわずかに超えるこの空母には、南雲長官をはじめとした司令部が乗り組んでいる。だから司令駆逐艦の「秋月」がこの位置を占めていた。

その後方には第二航空戦隊の空母「飛龍」がある。山口多聞中将に率いられた二航戦は、熾烈な訓練の結果、帝国海軍最精鋭とまで言われるほどの技量を有している。その側面には二番艦「照月」がついていた。秋月型らしい、丸い塔型の艦橋がよくわかる構図である。訓練でもしているのか、砲塔が旋回していた。……いや、訓練にしてはおかしい。何というべきか、動きから慌ただしさを感じる。

嫌な気配を察して上空を見る。上空直掩についている零戦が、撃ち出された砲弾のような速度で上空を通りすぎていった。慌てて艦橋に戻る。

「艦長、艦長!……すみません、遅れました」

息せききって安本砲術長(この駆逐艦では実質的な副長である)が駆け込んできた。彼とは、「秋月」配属前日のあの論争からの付き合いである。

「気にすることじゃない。まさか敵襲か?」

「……そのまさかです。連中、まだ機体が残っていたらしいです」

「右舷見張りより艦橋。旗艦より信号、『艦隊進路三○五。各艦面舵を取れ』」

「艦橋より航海。面舵。見張り、敵の機種、高度、敵速知らせ」

「航海より艦橋。面舵、よーそろー」

「見張りより艦橋。敵は恐らくB-17、機数12、敵速180ノット、こちらに向かってます」

「見つかってるな……」

「六十五駆、対空戦闘用意。艦長、司令駆逐艦の指揮は任せた」

不意に松崎大佐の声が響いた。あれほど飲んでいたにも関わらず、全く声や顔に酔いが現れていない。

「本艦の指揮を受け取ります。総員戦闘配置。測的出来次第直ちに発令所に伝達せよ。」

「了解!」

前部の九四式高射装置を受け持ち、測的を担当する森山中尉の明るい声が返ってくる。それに少しだけ安堵したところで、空を睨んだ。直掩隊の機体は零戦。世界最強と言っていい戦闘機だ。彼らがやってくれるなら。

「見張りより艦橋。直掩隊、離れます!」

「馬鹿な……!」

安本の絶望に覆われた声が聞こえる。直掩隊は一機も撃墜できなかったのだ。原因は一体なんだ。威力不足か、防弾性能か。ええい、そんなことは今はどうだっていい。

佐々木は大きく息を吸い込み、隊司令に目を向けた。松崎大佐はすっと頷く。

それを確認した彼は、はっきりとした声で命じた。

「左対空戦闘用意!対空戦闘、撃ち方始め!」

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