第三話

 B-17は左舷側からやってきた。空の要塞と呼ぶに相応しい威容を見せつけながら、直掩隊を蹴散らして進んでくる。その周囲には黒煙が上がっているが、効果はない。他の艦が装備する八九式12.7サンチ高角砲や三年式12サンチ高角砲は旧式になりつつある上に、海軍にとって対空戦闘など刺身のツマ程度に考えられた時代である。修正もろくになっておらず、夏の花火の方がまだ使えそうに思われるほどだ。

 だが、この艦隊には秋月型がいる。対空戦闘、それこそが存在証明レゾンデートルである。だから彼らの動きは違った。

「敵重爆、左四五度、高度五○!」

 森山の報告が上がる。艦の前部にある一、二番高角砲が、九四式高射装置で算出されたそれを元に発令所を介して送られてきたデータに従って旋回し、俯角を取っていた砲身が眠りから目覚めたように仰角をとる。

 自分の艦の優秀さを艦橋という特等席から眺めることを許された佐々木は、艦長にしか理解し得ない感情に駆られて口元を緩ませると、はっきりとした発声で叫んだ。

「目標、左四五度、高度五○の敵編隊!全高角砲、撃ち方始め!」

その言葉に応えるように、各砲塔の一番砲から火炎がほとばしり、初速毎秒1000メートルに達する10サンチ砲弾が五発、上空へと駆け上がった。上空の敵編隊の元に到達するまで、およそ10秒。信管は、10.2秒後にその効果を発揮するようにセットされている。さてと、どれくらいの仕事になるだろうかね。二秒毎に轟く、甲高いと言ってよい長10サンチ砲の砲声と、後部見張りが報告する「新たな目標、右一○度、距離六五、高度五○!六十一駆、標的を新目標に変更する模様!」「『照月』、撃ち方始めました」「『涼月』『初月』、撃ち方始めました」「六十一駆、撃ち方始めました」の声が、そんな思考にかき消されて行く感覚を覚えながら、佐々木は上空を睨んでいた。


ヒトラー中佐には自信があった。初見参の新型機(死に神にも似た優美さを持った機体だった)は遠方から機銃を撃ち込んで来るだけで、B-17の装甲を破るまでには至らず、今下から撃ち上げている高角砲はほとんどが下で空しく炸裂しているだけだ。真珠湾を墓場に変えた連中とはとても思えないほどだ。あれは奇襲だったからこそあれだけの戦果を挙げたのであって、ジャップの本質はやはり黄色い猿なのだ。彼は、彼の叔父がヴェニスの商人たちに抱いている感情と全く同じそれを日本人に抱いていた。

「ビル、ノルデンを作動させろ。目標は敵空母左列の先頭……『アカギ』だ」

「アイアイサー!」

「ベン、後続は大丈夫か?」

「アイ、全機……いや、さらに十二機が後続しています!」

「司令部より入電!『そちらに増援を送った。B-17が十二機だ。以後彼らのコールサインをフューリーとし、その指揮はアベンジャー1が執るものとする』です!」

「よっしゃ、分かった!フューリーに伝達!『貴隊はジャップを右から突き刺せ、アベンジャーは我に続け!連中に1000ポンドの火の玉を喰らわせん!』」

「フューリー隊指揮官ハットン少佐より入電!『貴信了解、我等合衆国軍人の責務を果たさん!』」

「少佐、ノルデン作動させました!最終爆撃コースに入ります」

 準備は急速に整った。ノルデン式爆撃照準機が作動し、操縦が彼らの手を離れる。目標は未だに回避運動を実施していないらしい。航跡はまっすぐなままだ。

「油断したな、ジャップよ。お前らの……負けだ!」

 機内で彼がそう呟いたとき、

「さ……三番機被弾!続いて八番機被弾!」

「なっ……!」

 信じ難い報告が入った。馬鹿な。ジャップの対空砲火はお粗末なもののはずなのに。いや、ついさっきまでほぼ全てが下方で爆発しているだけだった。

「空母の直衛についている軽巡とおぼしき艦です!識別リストになし!」

「二番機被弾!十一番機、爆発しました!」

「た……隊長っ!ハットン隊がぁーっ!」

「何事……っ!」

 右機銃座についているトム・ヴェルニスキー曹長の絶叫につられ、ハットン隊がいるはずの空域に目を向ける。

 何もなかった。

 いや、正確には黒煙があった。地獄へと連れていかれるものの断末魔のような黒煙が。あるべきはずの、B-17の機影は、神隠しにあったかのように消えていた。

「ジャップの新型艦です!左右に三隻ずつ、後方に二隻います!」

「何だ、あのハリネズミは……」

 その間にも、新型艦のものとおぼしき対空砲火は次々と炸裂し、アベンジャー隊を削ってゆく。あたかも、悪魔が哄笑とともに勇者を打ち破るように。

「化け物め……」

 ヴェルニスキー曹長が呟いたとき、ふわりと機体が跳ね上がった。その下で爆発音。重量物が消えたことによる高度の上昇が、アベンジャー1を救ったのだった。

「た、隊長……投弾、完了しました。投弾出来たのは我々のみです。残りは……全滅っす」

 操縦士のビル・レーハルト二曹が、滅多に発さないテキサス訛りをあらわにして言った。そんな馬鹿なことがあるはずがないと信じようとして、他の機体から「投弾完了」の報告がないことに気がつく。現実なのだ、これは。

「爆撃はどうなった?」

 ヒトラー中佐は祈るような声で尋ねたが、

「爆炎は確認出来ませんでした。水柱だけです」

 最後の期待も消えた。

 周囲で炸裂する砲弾を必死に回避しつつ、たった一機の復讐者は帰途についた。そして、彼ら合衆国陸海軍航空隊がこれほどの絶望にうちひしがれるのは、これが最後ではなかった。

 ヒトラー中佐に限っていえば、英雄を必要とした合衆国軍の方針により、太平洋戦線で初の叙勲を受けた。彼はそれを受けたが、クローゼットの一番奥に投げ捨て、ジャップに復讐するまでそれを着用しないと誓った。


 第一航空艦隊旗艦「赤城」の艦橋では、歓喜の声が轟いていた。六十五駆及び六十一駆の猛烈な対空砲火が、来襲した敵機をほぼ全滅させ、恐らく旗艦を狙ったと思われる爆撃も、操艦の腕前は海軍一とも表される南雲長官の操舵(戦隊司令が操艦することは珍しいことでは無かった)で回避したのだから。

「六十五駆と六十一駆の司令部に信号。『貴隊の対空戦闘見事なり』。一、二、五航戦に伝達。『第三次攻撃隊発進準備。第二種対地兵装となせ』」

 いつも通りの穏やかな表情に戻った南雲が、見た目に違わぬ声で命ずる。慎重(はっきり言ってしまえば、臆病)な彼としては珍しい命令だが、帰投時に空襲を受けぬためにももう一度叩いておかねばならないと考えたのだ。

「『蒼龍』より信号。『我、出撃準備完了』」

「多聞丸が正しかったな……」

 二航戦司令部が何度も催促していたことを思い出し、南雲は申し訳なくなった。一航艦の指揮は、あいつの方が向いているかも知れん、帰投したらGFに具申してみよう。内心で彼はそう決めた。自分には水雷戦隊司令の方がまだ向いているのだ。

 そして、秋月型の有用性も伝えておかねばなるまい。優秀な高角砲を五基も装備した防空艦というのは、恐らく今後何隻も必要になるだろう。少なくとも、一個航空戦隊に一個駆逐隊は必要だ。今回は機数がそこまで多くなく、標的も大きかったからこのような結果になったのであり、より敏捷な艦上機に対抗するにはその程度は欲しい所だ。

 第三次攻撃隊の発進準備が全て完了したのは、その時だった。彼は穏やかな声で、B-17二十一機、P-39エアラコブラ二十七機、P-40ウォーホーク三十八機、F2Aバッファロー三十一機、さらに太平洋艦隊司令部、乾ドッグなどを破壊し、米軍兵士八百三十八名をこの世から解放することになる出撃を命じた。

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