第四話

 太陽の方向から突入するためあえて大きく西方に回り込んだ攻撃隊は、迷走することなく第一航空艦隊を捕捉した。あの恐ろしいジークの姿は少ない。しかもTF17との砲戦で陣形は乱れている。悪魔に等しいアキヅキ・タイプの半分以上は突入を試みる水雷戦隊との砲戦にかかりきりであるし、巡洋艦や戦艦はこちらの巡洋艦との砲戦で東へと引き離されている。驚いたことに、巡洋艦部隊は互角の戦いを繰り広げているようだった。ジャップの随分と太った戦艦は煉獄のそれよりも熾烈だと思わせる程の炎に包まれているし、設計者の神経と正気を疑いたくなる砲塔配置の巡洋艦が一隻、横倒しになって沈みつつある。それ相応の被害は出ているのだろう、同じところを旋回するノーザンプトン級や今にも行き足の止まりそうなブルックリン級も見えた。 

「ホーネット」艦爆隊長で攻撃隊全体を率いるマクラスキー少佐は、彼らを救いたいと思いつつその誘惑を振り切った。俺たちの目標は空母だ。あの忌々しいナグモの艦隊。56機のドーントレスと10機のデバステーターで、地獄へ落としてやる。忘れもしないあの日のパールハーバーで、お前らが俺の乗艦エンタープライズを沈めたように!

 それにマクラスキーは、今この場で彼らの騎兵隊となるよりも、ここで空母(神様、奴らは艦載機を発進させる準備をしています!)を沈めて合衆国にとっての騎兵隊となりたかった。不意にテニスンの詩が頭をよぎる。彼らの栄光、消える日は無しウェン・キャン・ゼア・グローリー・フェイド。そうだ。マクラスキーは笑い出したくなった。僅かな直掩隊と共に世界最強の機動部隊へ突入する。正に俺たちは、あの600騎となろうとしているんだ。20世紀の、真の栄光を掴んだ軽騎兵旅団に。

 今になって気が付いたのだろう、対空砲火の砲煙が機体を揺らした。忌々しいアキヅキ・タイプのクルーは腕が良いらしく、かなり近くで炸裂している。だが遅すぎた。たかが4隻のアキヅキ・タイプで、何が出来るというのだ!

 マクラスキーは無線機に向けて叫んだ。

「全機突撃!海軍の意地を見せてやれ!」


 第六十一駆逐隊の吉松大佐は、海賊にしか見えない悪人面を歪めて怒鳴った。

「ぶちのめせ!帝国海軍の駆逐艦乗りなら男見せたらんかい!」

「左咄嗟対空戦闘!一、二分隊、叩き落としたれ!」 

「新月」艦長川田中佐の通りの良い命令に従って、にわかに発令所が騒がしくなる。だがデータが足りない。彼らはその時点でなせる限りの事をなさねばならなかった。目視による測定である。

「敵降爆、十一時方向、高度三千、距離五千、機数およそ五十、南南西より向かってくる!続けて敵雷撃機およそ十、十時方向から左正横へ回り込みつつあり!」

「多いな……目標、十一時方向の敵降爆、信管作動十四・五秒!」

「測的よし!」

「信管よし!」

「テェッ!」

 轟音。十発の砲弾がその生を終えるために空へと駆け上がる。高射装置による分火射撃は行わない。正確なデータがまだ揃っていない上、今は確実に一つずつ落とすべき段階であるからだ。

 四回目の斉射のあと、上空に砲煙が現れた。それを見てとったのだろう、川田の怒鳴り声が伝声管を通り抜けて耳を衝く。

「どこ撃ってんだ馬鹿野郎!左二、上げ三、信管下げ一・五で修正しろ!」

 発令所の誰もが沈黙した。艦長は任官以来軍艦・・に乗ったことがないほどの水雷屋だ。砲術は専門外のはず。その艦長が、的確な修正を命じている。

 金縛りにかかったような発令所に再び川田が怒鳴った。今度は本当に殺意を込めている。

「とにかく信じろ!復唱どうした!」

「りょ、了解!」

 弾かれたように応答し、慌ただしく諸元を伝達する。この粗暴と言って良い艦長への評価を彼らが改めるのは、10秒ほど後である。


 劇的な人生が実在するのなら、川田敏夫はその証明とされるべき人間であった。広島市内の半分ほどを支配する特殊な家で生まれた彼はその家に相応しい教育を受けた。世界が仁義で動いていると信じ、自らの中に明確なルールを持って生きていた。八歳のとき、彼を除いた一族が敵対する者から向けられた炎へと消えるまでは。

 遠縁の親戚に預けられた彼は現実を悟った。未だに憎しみを隠しきれない育ての親が見せたこの世は、全てが仁義なき世界であった。だが、それに絶望することはしなかった。箱の中身を保ちつつ、箱の形を変えることにしたのだ。彼は不気味がられる程机に向かい、仁義が存在すると期待した海軍兵学校へと入学した。彼は育ての親が彼の入学に使える限りのつてを使って頼み込んでいたことを知らなかった。良い思い出しか残っていない父親は世間的な良識からはあまりにも程遠かったのだ。

 兵学校も天国とは程遠い場所であったが、幸運にも仁義は実在した。理由の無い暴力や道理に反した差別など無かった。海軍は理想とする世界だった。

 であるから、水雷屋の彼が砲術家の尊重すべきプロフェッショナリズムを侵したのは当然であった。忠誠を誓った海軍を命にかけても守る、それが彼の仁義なのだから。


「赤城」と「加賀」を目標に急降下に入りつつある爆撃機が機銃の射程に入ったのを見てとった川田は命じた。

「三分隊、叩き落としたれ!」

 その言葉や遅しと言いたげに、小太鼓を打ち鳴らすような射撃音と硝煙の香りが流れてくる。煙突脇の銃座の射撃だった。一発が爆弾に直撃でもしたのか、機体を飲み込むような火炎と共にかき消える。また一機、見えない壁に当たったように力無く海原へとコースを変えた。高角砲も射撃を続け、戦果を挙げてはいるがー

 (あとはただ回避のみ、じゃな)

 これ以上は味方すら巻き込みかねなかった。「加賀」は遅い上に舵も重いから不味いかも知らんが、悪くてもそれだけで済むじゃろう。今のところ二航戦と五航戦に向かう敵機は無いー大きい上に航空機運用能力も高い「赤城」「加賀」を確実に沈めるつもりだろうー上にそれも六割近くまで減っている。おまけに「赤城」には水雷屋にとって神様にも等しいような操艦の天才、南雲中将がー

 はたと気がつく。南雲中将は今、「赤城」の医務室のはずだ。クソッ。こんな大事なときに。

 見張り員が現実へと引き戻す。

「八時方向、高度百、距離二千、雷撃機十、敵速およそ二三○ノット、突っ込んでくる!」

「不味いな……」

 吉松大佐の口から言葉が漏れた。指揮官としてはあってはならない言葉だが、ある意味で真実でもある。艦載機の爆弾に誘爆する中で雷撃でも受けようものなら、どうあっても助からないだろう。だが今有効な反撃は出来ない。機銃の威力はさほど期待できないし、高角砲と共に続々と降ってくる降爆へ向けなければならない。クソッ。我が身に代えても守ると誓ったのに。

 そうか。我が身か。

「司令、一つタマ預かってもよろしいでしょうか?」

「命?ーそうか」

 意味を悟ったのか、ニヤリと笑う。勇気と野蛮さに欠くる所無き、海賊の笑みだった。

「俺たちは俸給分の働きをしなければならないーそうだな、艦長?」

「ええ、誓ったからには果たさねばなりません」

「構わん、やれ」

 海軍礼則以上に色気に溢れた敬礼を司令に向け、機関長へ繋がる伝声管へ叫ぶ。

「機関長、最大戦速即時待機だ!悪いが付き合って貰うぞ!」

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