第五話

「飛龍」の狭い艦橋の中でも、山口司令長官は見た目上は冷静さを失っていなかった。彼が戦術的にどうこう出来る事態ではない上に、皆が自分を見ているという認識もあったからだ。

 だが彼のスタッフたちはそうでもなかった。海大を出ている秀才たちがーいや、だからこそ、か?ー想像もしないような野蛮さに当てられ、「俺のキャリアはボロボロだ」「嘘だこんなこと」などと安っぽい映画の死霊のように動き回ることしか出来ていない。

 山口はため息をついた。これからはこんな秀才ばかりでは駄目だ。どんな事態にも対応できるような、ネジの数本飛んだ男が要るだろう。

 そこまで考えた時、不意に右前方の「加賀」めがけて投弾しようとする一機のドーントレスが視界に入った。得体の知れぬ恐怖を覚え、凝視してしまう。後方からの攻撃だ、そう簡単に当たるはずが無い。現に彼は機銃の直撃を受けたのだろう、エンジンから黒煙を吹き出しつつー

 ー爆弾とともに、誰もが瞬きも忘れる中「加賀」の第三エレベーター後部、つまり燃料を満載して魚雷を積んだ九七艦攻の真っ只中へと突っ込んだ。

 火柱が上がり、一瞬遅れて分厚いガラスがビリビリと悲鳴を上げる。続いて全てを打ち倒すような轟音が耳をつんざき、焦熱絵図が現れた。不幸中の幸いと呼べるのは、艦内に残されていた爆弾がさほど多くなかったために機械室などへの延焼が起きなかったことだけだろう。ともかく、前三分の一を残して燃え盛っている上に格納庫でも火災を起こしている「加賀」が今後の作戦に参加することはありそうに無かった。

 

「加賀」の惨状は「新月」からも見えていたが、川田駆逐艦長の意識は他のところにあった。既に大破している「加賀」には目もくれずに「赤城」へと突っ込んでくる雷撃機の群れ。自ら舵を取り、絶妙なタイミングで大きく取舵をとって降爆をかわしつつある彼女ー彼は知らなかったが、「赤城」艦長の伊藤大佐は南雲長官から知恵を授かっていた。予め少し当て舵をとり、機敏な回避が出来るようにしておいたのだーに当たらぬようにだけ気を付けつつ、高角砲と機銃の全てを雷撃機に向けさせる。射界の中に味方はいない。最早誰に憚ることも無かった。距離は千メートルほど。

 頼もしい高角砲と機銃の二重奏に耳を傾けていられる時間はすぐに途絶えた。応召の見張り員のしわがれた、それでいてどこか楽しげな叫びが耳を打つ。

「敵機、魚雷投下!目標は『赤城』と思われます!」

 川田の目にも、高度を徐々に上げるTBDデバステーターの姿が映った。数は六機。彼は笑い出したくなるような心地よさを覚えた。向こうのパイロットは完璧な攻撃をした思うとるんじゃろうな。だが、奴らは帝国海軍の本気ぃねぶっとる。

「最大戦速!」

 速力が上がるにつれ、徐々に雷跡が近づいてくる。あと少しだ。前の二本は放っておいても「赤城」には当たらないだろう。残り四本だ。

 不意に後部から機銃の射撃音がして、一番右を進んでいた魚雷が高々と水柱を上げた。気の利く機銃員が当てて誘爆させたのだ。驚いたことに、すぐ左を進んでいた雷跡も途絶えている。衝撃波で故障したのだろうか。

「二本潰してあと二本じゃ!『赤城』を守ってわしらも生きて帰るでぇ!」

「応!」

 どっと歓声が湧き、拍手さえ沸き上がる。現実へと近づきつつある生への希望がなせる業だった。あと三百……いや、二百メートル。

 魚雷が目測であと百メートルというところまで迫った瞬間、川田は伝声管へと叫んだ。

「総員、衝撃に備え!」

 艦橋にいる人々が何かに掴まる。それを待っていたかのように、関東大震災もかくやといわんばかりの衝撃が襲ってきた。


 運命の女神は性格が悪いのか、川田に気絶という贅沢さえも許さなかった。羅針儀に頭をぶつけて瘤を作った程度で済んだ彼は熊のようにむくりと起き上がると、海図台に頭をぶつけて目を回している副長に代わって被害報告を命じた。

 上がってきた報告は彼を多少喜ばせるものだった。第一砲塔から一メートル艦首より、艦の先端部と言って良い所に当たった魚雷は水測員五名を冥府へと呼び込み、浸水を引き起こしている以外に損害を与えていなかったのだ。その浸水も現在のところ抑え込める見込みだという。もう一本に至っては信管が不発だったのか、当たっただけ・・だったようだ。結局のところ、損害は浸水による速力低下ーおそらく二十ノット程度だと見当をつけたーと五名の死亡という形になるのだろう。五名の死亡。軍事的に見るのならこの程度・・・・というべきものだが、わしは五人を殺した、そう言われているのと同じことであった。彼らの顔を浮かべようとして止める。今の川田は軍人でなければならないのだ。意味があれば良いのだが。

「赤城」に目を向ける。何事もなかったかのように悠然と航行する彼女の姿がしっかりと在った。攻撃も終わりを迎えつつあるのか、やかましい爆音も遠ざかりつつある。未だ続いているらしい砲戦と時折聞こえるヒュルヒュルという撃墜された機体の悲鳴以外には風の音が吹き付ける程度で、太平洋はその名の通りの平和の時を楽しんでいるように見えた。

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