第六話

 マクラスキーたちが一航艦へと向かっていた頃。旗艦「セントルイス」を先頭にフィッチたちの予想を上回る速度で突撃したTF17は、ついに一航艦を射程に捉えていた。右舷前方、距離5万フィート。輪形陣のままもたついている今こそチャンスだ。


「面舵一杯。CD9、針路270!」

「面舵一杯!」 


 ヘスマン司令の命令が復唱され、士官の間にざわめきにも似た喜びが広がる。海軍士官なら誰もが知る戦術を、その唯一の使用者の後輩に対して行うのだ。心踊らぬ筈がない。


「主砲、両用砲、左砲戦。CD9目標、左17000ヤードの敵戦艦」

「左砲戦、アイ」


 ボーリック「セントルイス」艦長の舌なめずりするような声に答えるように6インチ三連装砲が旋回し、ぴたりと狙いを定める。一瞬の静寂。ヘスマンが頷く。

 それを見たボーリックは凄みのある笑みを浮かべ、伝声管が無くとも艦内全体に響くような声で叫んだ。


「砲撃開始!」

「敵戦艦、主砲旋回中!」


 鼓膜を殴り付けるような主砲発射の轟音。海軍軍人にとってどんな声よりも美しいであろうそれを妨げる見張り員のわなないた声も、今の彼にとっては嬉しいものであった。よーし、ようやく乗ってきたな。


「敵艦、主砲発射!」

「面舵!野郎共、楽しいワルツの始まりだ!」



 死兵となって突撃したTF17だが、索敵によって敵艦隊は戦艦1隻を含むことは判明していた。そして、ここで後の歴史家たちの間で今でも論争となっている有名な命題が浮かび上がってくる。すなわち、「突撃を決定した際にハルゼーは正気であったか?」というものである。

 この時点で正気を失っていたとする一派は「ハルゼーは敵の戦力を把握しており、その上でこの突撃を敢行し、南雲機動部隊を殲滅しようとした。それ自体が勇敢ではあるが無謀とは言えなかったハルゼーが狂していたことの証である」と述べている。しかし、仮にこうだとするとここでCD9が取った戦術が説明できなくなってしまう。彼らの行動は、目標とした「大和」の撃沈をどう考えても狙っていなかった・・・・・・・・ものだからだ。


 ハルゼーが立てた作戦はシンプルではあったが狂していたとは考えられないものだった。敵空母を最終的に沈めるのは駆逐隊の役割であり、数的優勢を担保した重巡戦隊CD3が敵軽巡ー利根級は軽巡洋艦だと誤認されていたーを蹴散らした後にこれを支援する。敵戦艦はCD9が牽制し、出来る限り引き剥がす。その作戦に従って、敵戦艦の砲撃を見たCD9は驚くべき行動を取った。まだ一発しか撃たれていないにも関わらず、面舵を取って回避運動を取ったのだ。戦艦の砲撃はそうそう簡単に当たるものではなく、なおかつ一斉射するために相手との距離や角度、それら全てをいちいち計算しなければならない。一発ごとに回避運動をすることで諸元計算の手間をかけさせ、本命の水雷戦隊から引き剥がすための戦術だった。後に「D線デッド・ライン上のワルツ・ダンス」と呼ばれ、時折使われることとなるこの戦術の問題は相対位置が頻繁に変わるためこちら側が当たらない可能性も高くなることだが、この時ばかりは神と運用思想が味方した。貫通力不足でけして評価は高くない6インチ三連装砲が、まさしく弾数の暴力でもって「大和」に火災を起こさせたのだ。


 「大和」は米軍が考えていたよりも悲惨な事態になっていた。CD9に誘い出されて同航戦を戦っていた彼らは左舷を中心に数発の弾を受けただけであったが、その数発が致命傷になりかねなかった。米軍が誇るSHS超重徹甲弾が第2副砲塔の薄い天蓋を貫通して弾薬庫に突入し、誘爆を起こす一歩手前まで弾薬庫内の温度を上昇させたのだ。


 「砲術は何をやっている!」


 「大和」艦長の高柳大佐が苛立った声を上げて叱咤する。その声は叱咤というよりは、ただ怒りをぶつけているようにも聞こえた。


 「しかし敵艦が頻繁に変針しているため……」

 「貴様、それでも『大和』の砲術か!」


 艦橋全体に響くような、甲高い破裂音。高柳が海軍精神を注入したのだ。


 「しかしも何もあるか、第一戦隊いっせんたいならそれなりの意地を見せてみろ!この戦が終わったら砲術全員、柱島で鍛え直してやる!」

 「まあまあ高柳君、彼らだって努力をしているんだ。この『大和』は簡単には沈みやせん。そうカッカするな」

 「ですが山本長官、この艦は誉れ高き第一戦隊の艦です!たかだか軽巡二隻の始末に手間取るなど、砲術にその自覚が足りておりません。鍛え直さねばなりまますまい」


 山本に宥められてもなお止まぬ、理不尽な高柳の罵声。しかし、彼らは帝国海軍軍人であった。理不尽が徒党を組んで襲い掛かってくる地獄の兵学校を乗り越えた者たちばかりであった。よって、それへの対処法も心得ていた。すなわち、結果をー敵二番艦「ホノルル」の第二砲塔付近へ46サンチ砲弾を叩きつけることに成功したのだ。神業と言うべきであり、砲術の春がその時まで続くとすれば今後五十年は誇りに出来るほどの偉業だった。怒り狂った「セントルイス」の斉射が破壊したガラス片で昼戦艦橋にいた高柳艦長が戦死し、その上に山本長官も意識不明の重傷を負うという代償を払っていたとしても。



 山本長官が意識不明になろうとも、第六五駆逐隊にはさしたる影響はなかった。「大和」は名目上第一航空艦隊に貸し出された・・・・・・ことになっており、いかなる指揮権も持っていなかったこともあるが、彼らはそれ以上の苦境に立たされており、気にしている暇など無かったのだ。

 

 「奴ら、魚雷を使ってこないな。空母に使いたいのかね」

 「恐らくは。敵は次発装填装置など持っていないでしょうから、大物に取っておきたいはずです」


 「秋月」艦上で、海軍で二番目に望んでいた戦いの舞台へ予想外の形で放り出された佐々木は呑気に松崎大佐と会話していた。それだけの余裕があったのだ。人生は歩く長い影、我らは哀れな役者たち。舞台の上では大見得を切っても出番が終われば何者でも無くなる、であれば光が当てられるこの舞台で出来る限り光を浴び続けようと思っても、秋月型の速射能力が敵の戦闘能力も時間もあっという間に奪っていったのだ。今や七隻いた敵駆逐艦は二隻しか残っていない。多少空母から離れたため、そろそろ切り上げて直衛に戻るべき時だった。


 (あるいは)


 心の中で呟く。第八戦隊が敵重巡部隊に苦しめられているという情報が入ってきていた。敵一隻を魚雷で撃破したものの、「利根」で総員退艦命令が発されたという。そちらの救援に赴くべきではないだろうか。うん。理屈は問題ない。雷撃のふりでもすれば「筑摩」の撤退の時間ぐらいは稼げるだろう。

 松崎大佐に意見具申をすべく息を吸いー直後、通信員のわなわなと震えた叫び声に妨げられた。


 「第三戦隊より緊急電!本文、『我、機関修理完了。サレド敵新型戦艦二隻、駆逐艦五隻ノ襲撃ヲ受ク。戦勢、我二利アラズ。直チニ救援ヲ乞ウ。一四三五』」

 「司令、行きましょう!」


 この舞台のスポットライトは、未だ彼らから外れようとしないらしい。それを悟った佐々木はほんの一瞬の沈黙の後、自分でも気付けないほどかすかに喜びの混じった声で具申した。それは一も二もなく承認され、第六十五駆逐隊は、佐々木の望んだ駆逐艦の、水雷戦隊の戦いへと舵を切っていった。

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秋月型の戦争 清月 @kiyotsuki

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