第五話

 第一航空艦隊は1942年度の初日を、硫黄島の南東250海里地点で迎えた。既に搭乗員割は発表され、整備員は目許に隈を作りながら調整をし、当直見張り員は目をこらしながら雷跡を探し求め、搭乗員はそれぞれの感情を抱きながら翌朝に備えている。出撃予定時刻は○四○○。三ヶ月前、世界の海軍を決定的に変えてしまったあの日ーあるいは数日前硫黄島を襲った彼らのライバルと同様、彼らは曙光と共に攻撃をかけるつもりだった。

 この日が初の実戦ーそれも腕を見込まれて小隊長としてーの碇少尉は、そのあどけなさを残す顔立ちを不安で埋め尽くしていた。彼は元々軍人になるつもりなど無かったのに、海軍士官の父が「適性がある」とかなんとか言い出して、あれよあれよという間にこうなっていたのだから無理もない。

 そんな彼は今、「翔鶴」の飛行甲板に並べられた零戦と九七艦攻たちの、先頭の機体のコクピットに座っている。攻撃隊の指揮のためではない。艦隊上空の直衛のためだった。

 今頃攻撃隊に参加する連中は訓示でも受けている頃だろうな、私物の時計が○三一五を指しているのを見てとった彼はエンジンの温もりを浴びながらそんなことを考えていた。僕はともかく、列機の二人は敵機動部隊攻撃に参加したかったろうに。いつも冷静で感情の薄い目を向ける二番機の綾波兵曹長は日中戦争で七機を落としたエースだし、三番機の式波一等兵曹も自他ともに認める技量の持ち主だ。彼らが直衛に回されたのは不甲斐ない僕のせいに違いない。

 最終確認をしていた若い整備員が声をかけた。

「碇少尉、整備終了しました!」

「ああ……いつもありがとう」

 彼が礼を言うと、その名も知らぬ整備員は借金を帳消しにすると言われたような顔をして、

「いえ……これが本分ですから」

 とだけ述べた。碇は帝国海軍の搭乗員の悪癖を持たぬ人物であった。

 艦首から流れる白い蒸気が風に揺れ、発進のために昼のように明るくなった海でわずかな存在感を示す。その煙がこちらを向いた。風に立ったのだ。碇はスロットルを全開にし、チョークが外れると同時にようやく白みだした空へと舞い上がった。本能が知らせつつある不穏な予感を緊張だと誤解しながら。

 

 「ポーシャ」作戦オペレーション・ポーシャが決定したとき、最も強硬に反対したのは陸軍だった。この政治的作戦に当たって、成すべき役割が無かったからだ。それはすなわち、上陸作戦を行って(一時的にしろ)日本本土の一部を占領する海兵隊や、真珠湾の復讐を誓ってナグモに決戦を挑む海軍と違い、彼らはフィリピン失陥の汚名をそそげないのだから当然である。戦時中でも意地というのは消えないのだ。

 (結果、俺たちに回ってきたって訳だが)

 第311爆撃航空群第25爆撃飛行隊ー指揮官の名前から通称はドーリットル・レイダーズーで第二中隊を任されるウィリアム・パトリック・ヒトラー少佐は、夜光塗料と星明かりだけが照らす空の元を、慢性的な頭痛に悩まされながら200ノット近くで突き進んでいた。乗機はつい一年前に引き渡しが始まった新鋭中型爆撃機、B-25C。離昇出力1700馬力のR-2600-13エンジン二基で、時速280マイル(約450キロ)以上を発揮できる、高速の双発機だ。彼らはその爆弾倉にMk13魚雷を二本積んでいた。

「タイガー1よりジャガー1、落伍機はどうだ?」

 タイガー1ードーリットル中佐本人から無線が入った。上方機銃射手のヴェルニスキー曹長に確認させ、応答する。

「二機脱落しているようです。隊長、やはり無理があったのでは?」

「おいおい、第一中隊こっちも一機落ちてんだ!お前さんが気にするこたーねぇ!俺たちゃジャップの(自主規制)で(自主規制)な艦隊に魚雷のプレゼントしに行くんだ、ついてこれねー連中みてーな根性と冒険心と(自主規制)のついてねーような(自主規制)野郎なんざこっちから願い下げだこんの野郎!」

「・・・」

 頭痛の原因は明白だった。レシーバーを遠ざけても耳にこびりつく、この声のせいだ。

「まぁそんなこたーどうだっていい。そろそろ連中の(自主規制)な艦隊が見えてくる頃だ。ろくにレーダーもねぇ連中は(自主規制)だろうからきっと(自主規制)してらぁ!しっかり(自主規制)して連中にてめぇらの(自主規制)を(自主規制)しろ!」

「了解」

 神様、どうかあの呆れるほど口の悪い(自主規制)な隊長が(自主規制)になりますように。

 

 田代一は腐っていた。彼の扱う二一号電探が、あまりにも多くの虚探知をしているのだ。彼の個人的趣味の結果性能が上がったはずのそれはその実、武人の蛮用に耐えるものではなくなり、彼の愛情にも似た執念がなければどうしようもないものになっていた。先程も突然強い反応があったかと思えばすぐに消えたり、時速1000キロ近くで動く何かが観測されたりと、地元大阪のだんじり祭がましに思える混乱だ。今だってあるはずの無い硫黄島からの航空機の反応が一

 田代は源田に声をかけた。舌がもつれ、声も裏返る。

「こ、航空参謀殿!」

「『殿』はよせ。で、どうした?また虚探知じゃないだろうな?」

「い、硫黄島の航空基地は使える状態でしょうか?」

「何でそんなことを一まさか」

 鬱陶しそうな表情が一瞬で引き締まる。思考の奔流が脳を駆け抜け、一つの情報を引き出した。

「連中は機械化が進んでいる。恐らく可能だろうな。基地機か?」

「恐らく。まだ七〇海里(140キロ弱)あるのに感二ですから」

「確度は?」

「これが虚探知ならこいつは使い物になりません」

 田代の目はこの男にしては珍しく、しっかりと源田を見ている。力のこもった目に押し流されるように源田は決断した。

「分かった。全艦隊に警報だ!『敵編隊ラシキ反応アリ。左二○度、距離七○、恐ラク雷撃機』だ、急げ!」

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