第四話

「○五五○、硫黄島空襲サル。被害甚大。稼働機ナシ。来襲セル敵機ハ百五十機程度ナリ。一二二五」との第一報が入ってから、新鋭戦艦「大和」にある連合艦隊G F司令部は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

「おそらく一撃離脱でしょうな。一度で可能な限り攻撃隊を出撃させ、終わればさっさと逃げる。今から追撃を行わせても無理でしょう」

「うむ……」

 首席参謀の黒島亀人大佐の意見に、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が頷く。

「今硫黄島を占領しても補給が持たないはずです。いくら我が方に押されているとは言え、そこまで冒険的な作戦を許すとは思えません。もし占領するつもりなら、父島の基地機能(対潜哨戒用の小規模な基地があった)を拡充して陸攻を配備し、空襲をかければよろしい。自ずと敵は消耗します」

 普段と変わらぬ、自信にあふれた声で作戦を立てる黒島に山本は安堵を覚えた。やはり彼のような、自分の戦略思想を理解する人間がいると心強い。

「黒島君の意見が正しそうだな。硫黄島についてはとりあえず放置し、FS作戦の計画を立てよう」

 それから議題は、彼らが熱中している米豪分断作戦へと移っていった。米軍の真の意図を見抜けないまま。


 三日後。

「これはどういうことだね?」

「大和」の長官公室に、山本の粘着質の声が反響した。暗い瞳の先には黒島がいる。

「はっ、米軍は我々の予想を超えて……」

「能書きはいい」

 黒島があまり耳にしたことの無い、奈落から響くような声。ここ数年を山本の忠犬として過ごした彼が殆ど知らない姿に、彼は山本の闇を見た。

 黒島が自分に恐ろしさを覚えたことを見てとった山本はいくらか声を和らげると、彼が必要とした情報を提供させることにした。

「硫黄島を占領・・した米軍に今後どのような手を打つのか、考えてあるだろうね?」

「……長期的には以前申し上げた通り、連中の補給線を断つため第六艦隊を用いて通商破壊戦を仕掛けるより他無いでしょう。短期的には、連中が今硫黄島に置いている機動部隊を叩くべきです。通信傍受によると連中は硫黄島への航空部隊の展開が間に合っていないとの事ですから、早急にトラックの一航艦を派遣して攻撃させるのがよろしいかと」

 山本は軍令部や大本営から浴びせられた何かを混ぜたように重いため息をついた。彼には、自分は英雄になるべき人間であり、あのような些末な人間に煩わされる小人であってはならないという、強迫観念にも似た信念がある。連合艦隊司令長官の重圧が為せる業か、それとも真珠湾攻撃を成功させた男としてか、はたまた本人の先天的な問題か、それは分からない。だが一つ、はっきりしているのは。

「南雲君を呼んでくれたまえ。『陛下と国民は真珠湾の英雄に期待しておられる』とでも言ってやれば分かるだろう」

 彼が昔とは異なり、歪んだ性格の持ち主になってしまったということであった。


 それから六時間後。太陽が傾きつつあるトラック泊地では出撃準備が大わらわで進められている。本来なら実行されているべきセイロン方面での作戦が半月ほど前に中止になっていた(南遣艦隊だけで対処可能というのが理由だった)ことは幸いだった。もし連戦となっていたら、と思うとぞっとする。

 だがそれで慌ただしさが増しになる訳ではない。不満を押し殺して半舷上陸は取り消され、機関科や航海科の担当者をやきもきさせながら燃料が注がれ、各級指揮官ー戦隊司令官や飛行隊司令ーに慌てて作った作戦が説明される。

 作戦は単純なものだった。索敵機により敵を発見し、まず空母を叩く。そうして制空権を確保したら輸送船団を攻撃し、必要なら一部水上艦を用いて攻撃して引き上げる。見敵必殺を持って鳴る日本海軍らしいというべき作戦であった。

 さて、この忙しさは当然佐々木少佐も例外としていなかった。可燃物投棄の監督、燃料弾薬の積載の確認、気の休まる暇もない。自分がもう三人は欲しくなる程だ。いきなり一航艦司令部に呼び出されたとあってはなおさらだ。

 彼はかなり当惑していた。田代大尉を連れてこいと言われたため恐らく電探に関連することだろうが、せめてこんな忙しい時に呼ぶ程のことであって欲しいと思っている。電探の性能の説明程度ならば、さっさと田代に押し付けて帰るつもりである。

 「赤城」の長官公室では、南雲長官と草鹿龍之介参謀長、源田実航空参謀が待っていた。勧められるままに腰掛ける。

 南雲が普段の穏やかな表情を崩さず切り出した。

「『秋月』には電探が備わっていたね?」

「はい、実用的かどうかはまだ怪しいですが」

 それを聞くと南雲は滔々と語りだした。もっとも、その声は佐々木たちに向けられてはいないが。

「私は常々、水雷戦闘というものは指揮官がいなければ成り立たないものだと考えている。的確に進路と投雷のタイミングを計り、正確に指示する指揮官が。これは防空戦においても同じではないのか?」

 答えたのは源田だった。彼はこの中で唯一の航空の専門家である。

「え、ええ……それが可能ならばですが」

「ならば構わないね。佐々木君、君に直掩隊の誘導指揮を任せる。一航艦司令部から源田君を派遣するから、対空戦闘の時には彼と協力して対処してくれ」

「はい?」

「何を疑問に思っているんだ?我が一航艦の中で、電探を装備しているのは君の『秋月』だけだ。臨時で貸してもらえることになった『大和』にも装備が間に合っていない。なら、誘導出来るのは君だけだろう。アドバイザーという形で源田君も派遣する。何も問題はあるまい?」

 佐々木は唖然とした。自分の専門は水雷だ。このような防空戦の指揮など取れる人間ではない。例え源田中佐がいたとしても、そのような無茶振りが出来るとは思えなかった。

 どうすべきか悩んでいる愛すべき若手少佐に、南雲は優しげな声をかけることにした。彼にもこのような時代があったに違いないのだから、そのような場合のの態度は心得ている。

「君、砲火の中を敵戦艦へ突撃して撃沈せよと言われたところで断る水雷屋じゃないだろう?」

 佐々木は相変わらず暗い顔ではあったが、しっかりと頷いたのが分かった。

 それを見た南雲は、穏やかに命令した。

「よろしい、ならば盾となれるね?」

 

 穏やかな表情を崩さない南雲、乗り慣れない駆逐艦に乗ったせいで早くも酔いかけている源田、重責を押し付けられて沈みかけている佐々木、電探の実地試験が出来ると喜んでいる田代、さまざまな男たちの思いを乗せ、三月三十一日○二○○、第一航空艦隊は出撃した。戦場海域となる硫黄島近海まではおよそ一日半の航海である。

 一方米軍も、トラックに忍ばせた潜水艦から日本艦隊出撃の情報を得ている。それを知ったハルゼーは、皮膚病で荒れた顔に獰猛な笑みを浮かべた。作戦目標たる「硫黄島の一時的な占拠により迎撃に出てくる日本機動部隊の撃滅」のステージが整ったからである。新しい年度が、二つの艦隊の乗組員たちの勇気が織り成す血みどろの大衆喜劇で幕を明けることは、もはや避けられそうになかった。

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