第八話

 第17任務部隊は壊滅しつつあった。

 旗艦「サラトガ」は左舷に5本の魚雷を喰らい、30度近い傾斜を起こしている。行き足は完全に止まり、九九艦爆ヴァルが穿ったいくつもの破孔からはもうもうと黒煙が立ち上っていた。時折聞こえる挽歌のような爆発音と悲鳴を聞かずとも、彼女に許された運命は一つしか無いことが見てとれた。危険を顧みずに接近し消火と乗員救助に当たるCD9第9巡洋艦戦隊の軽巡「セントルイス」「ホノルル」の姿が、水兵たちの微かな希望となっていた。もう一隻の空母「ワスプ」の姿は既に亡い。悪魔のような技量の九七艦攻ケイトの群れによって、満載排水量20000トン近くあったはずの彼女は呆気なくハデスの元へと去ってしまったのだ。この他にも、空母を護らんと立ち塞がった軽巡「アトランタ」「ヘレナ」「フェニックス」および駆逐艦4隻が消えている。第16任務部隊をやや遠ざけ、第17任務部隊が攻撃を受けるような形をとった結果とはいえ、あまりにも残酷な現実がそこにはあった。

 半ば強制的に脱出させられたハルゼーは、臨時旗艦に定めた「セントルイス」の艦橋で悔し涙を流していた。空母2隻を失ったことが理由ではない。自分が手塩にかけて鍛え上げ、また自分を慕い続けてくれた水兵たちをこんな政治的な作戦で失ったというその事実が、心を引っ掻いていた。

 作戦参謀のジェームズ・ティプトリー中佐が、不自然なほど明るい声で言った。

「司令官のせいではありません。この作戦ははじめから無理があったのですから。司令だって・・・・・反対されていた・・・・・・・のでしょう・・・・・?」

 善意で作り上げられたその言葉が、さらにハルゼーを締め上げる。ああ。 そうだよ。俺は反対した。形の上ではな。

「……司令?」

 俺は確かに反対した。だが、ニミッツから「ポーシャ」作戦の概要を聞いたとき、心のなかで俺は喜んだ。卑劣なジャップどもに復讐出来るって思ったんだ。そうさ。ジャップを卑劣だなどと罵っておきながら、一番汚いのは俺だったんだ。甘い作戦だと分かっていながら本気で反対せず、水兵ボーイズをいたずらに殺したこの俺が。

 涙がさらに溢れる。自分が目をかけた「サラトガ」のパイロット。彼女を手足のように操っていた水兵。彼らのことが脳裏をよぎる。出撃前にサンディエゴで撮った写真に映る笑顔。その多くは二度と帰ることはない。畜生。俺はあの世で、どんな顔を見せればいいんだ?

ハルゼーは手元のコルト・ガバメントを手繰り寄せた。ティプトリーが顔色を変え、しがみつく。

「司令!何をなさるおつもりですか!」

「ジェームズ……俺は責任を取らなければならん。貴様らの仲間を殺した、その責任をな」

「責任はいつでも取れます!今は……」

「いいんだ、ジェームズ。俺は『卑劣なジャップを殺せ』と言い続けてきたな?一番汚かったのは……俺だったんだ」

「ふざけるな親父!」

 ティプトリーが階級の差も忘れ、ハルゼーにビンタを張った。海軍中将の身体が吹っ飛び、その手にあったコルトが硬質な音を立てて、持ち主の手元を離れる。

 ハルゼーは立ち上がり、この世の全てを憎むような声で怒鳴った。

「貴様のごとき若造に分かるものか!」

「ジャップ以上に卑劣な敵があるものか!奴らは真珠湾で弟を殺した!あいつは今も『アリゾナ』の中だ!」

「セントルイス」の艦橋で、中将と中佐が睨み合う。そこに舞い降りた不気味な沈黙を破ったのは、常に怯えているような目をした情報参謀のシロベーン中佐だった。

「『ヨークタウン』から通信です。本文、『当隊、第一次攻撃隊発進完了。貴隊ノ状況ヲ知ラサレタシ。○六五一(現地時間)』」

 ほぼ同時に、三種類のエンジンが奏でる微かな不協和音が上空から舞い降りた。クレッシェンドのかかったそれはひたひたと悲鳴や波音をかき消して、健在な将兵の歓声へと変えてゆく。今や救助を待つ水兵たちさえも天をしっかりと仰ぎ、あえて高度を少し落として迫ってくるグロスシー・ブルーの勇者たちに声援を送っていた。フィッチ少将の率いる第16任務部隊から発進した、F4Fワイルドキャット17機、SBDドーントレス27機、TBDデバスデーター18機からなる第一次攻撃隊62機はそれぞれのタイミングで励ますようにバンクすると、一つの集団とはなれずに中隊ごとに編隊を組んで南南西へ、日本艦隊のいる方へと飛び去っていった。

 相変わらず沈黙が包んでいる「セントルイス」の艦橋に、救助に当たる水兵たちの声が入ってきた。

「見ろ!ハルゼーの親父が出させた攻撃隊だ!」

「ほんとか、おい?」

「当たり前だろ!親父は言ってるだろ、『Kill japジャップを殺せ,kill japジャップを殺せ,killもっと more奴らを jap殺せ!』って。俺たちがこんなになっても、親父は絶対に諦めたりしない。ジャップを殺して、太平洋を奴らの血で赤く染め上げるまで戦うつもりなんだ!」

「そいつは素敵なこった」

「ああ、俺だって参加してぇよ。お前らもそうだろ?よーし、ならこのロープをしっかり掴めよ!」

 水兵は、ハルゼーを信じていた。第17任務部隊の幕僚も、彼を信じていた。合衆国海軍きっての勇将にして不屈の闘将、ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニアを。

 ハルゼーは彼がそうあるべきと信じる将官としての態度に立ち戻り、命令を発する。もはやその目に涙は無い。そう。例えこれが自己満足の集団自殺に過ぎないとしても、俺にはこの手しか無い。これがたった一つの冴えたやり方だ。ジャップに復讐し、出来る限りの将官の命を救い、将来の有能な士官に機動部隊の指揮を執らせるための。

「フィッチに伝えろ。『我ガ隊ノアントニオ・・・・・ハ全テノ肉ヲ失エリ。当方ノ飛行隊ヲ収容サレタシ。貴隊ハ直チニ東南東ヘ退避シ、攻撃隊ヲ収容シタ後、撤退セヨ。第17任務部隊ハコレヨリ南南西ヘ避退シ、貴官ノ行動ヲ援護ス。貴官ラガ合衆国海軍ノ栄誉ヲ担ワンコトヲ期待ス。サラバ』だ。フレッチャー(硫黄島上陸船団とその護衛部隊の司令官)にも伝えてやれ」

 シロベーンが顔を上げ、ティプトリーが息を飲む。他の幕僚も様々な顔を浮かべていたが、その瞳に浮かぶ感情は一つだった。

 それを見てとったハルゼーは、ジョン・ポール・ジョーンズ以来の伝統を護る、力のこもった声で宣言した。

「全艦に命令。『救助活動ガ終了シ次第、我等ハジャップ・・・・ニ決戦ヲ挑ミ、コレヲ撃滅シ、友軍ノ撤退ヲ援護ス。諸君、我等ガ合衆国軍人ヲ名乗ルニ足ル人物タルコトヲ示サン。星条旗ヨ永遠ナレ』」

「星条旗よ永遠なれ!」

 全員が唱和し、その声が全艦隊へと怒涛のように広がる。こうして死兵となった彼らは、重巡3隻、軽巡2隻、駆逐艦7隻で第一航空艦隊へと突き進んでいった。

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