第五章 オンリー・ニート・ウェイ

第一話

 水平線の彼方から向かってくる機体の群れを、電子の眼が捉えた。方角は北北東。時間的に、恐らくは味方の第一次攻撃隊のものだろう。

 田代がAスコープに映る波を睨みながら報告した。彼の愛娘と表すべきその電探は、多少性能が落ちている。実戦経験の無さが仇として出ていたが、それでも十分な性能はある。

「電探、感二。方位左五度、距離五○浬。時間的に恐らく第一次攻撃隊が帰ってきたものと思われます」

「分かった。一応二航戦司令部に報告しておく」

 急造の電探室で退屈そうにしている源田が答える。士官としてはあまり褒められた物ではない態度だが、一航艦直属の航空参謀である彼は、南雲司令長官が重傷を負って一航艦を二航戦が率いている今、その職務を一航戦(本来の一航艦の司令部が直率)の範囲内でのみ果たすように命じられている。それでなくとも彼はこの大海戦で大きな役割を果たせていないのだ。腐るのも当然と言ってよい。

 源田は退屈そうに海を眺める。この辺りにしては珍しく、海鳥が舞っているのが見えた。群れからはぐれでもしたのだろう。その穏やかで優美な姿が、彼の鏡面のような心に波を立てた。

「何も無いってのはいいことなんだろうがな……」

「確かに退屈ではありますね」

 田代とそんな会話を交わし、二人で大きなため息をこぼしてしばし沈黙する。機関音と波を切る音、直掩の零戦のペラを叩くかすかな音だけが聞こえる時間が数分間続き、その重みを払うように田代が尋ねた。

「何か来ませんかね?例えば……米軍の攻撃隊とか」

「厳しいだろうな。敵空母二隻を撃沈したと報告が入っとるし、普通の指揮官なら撤退するだろう。今米軍が動かせる空母の数から言ってせいぜい三隻、となれば残りは一隻だけだからな」

 自分が腕を振るう状況になって欲しい、と心の底で願った。俺は戦闘機乗りでもあるが、それが出来ないのだから、せめて参謀としてこの戦いに参加したい。

 そうぼんやりと考えていると、艦がゆるやかに傾き始めてバランスを崩しそうになる。攻撃隊の収容のため、母艦が風に立ったのだろう。直進するよりないこの時間は空母にとってかなり脆弱な時間だが大丈夫だろう。米軍は撤退しているに違いないのだから。一航艦のほぼ全員がそう思っていたが、後世の人間はこれを見てある言葉を思い浮かべるだろう。慢心、という言葉を。


碇は相変わらず直掩として高度二五をゆったりと飛びながら、戻ってきた味方を一号警戒装置こと自分の目で捉えていた。機数がそれほど減っているようには見えない。それどころか落下増槽を着けたままの零戦さえ見える。それだけ余裕のある戦いだった、ということだ。

 向かってくる彼らに二度、三度と翼を振る。彼らもすぐに振り返し、母艦航空隊にしか分からない思いを交えた。

 目の前の群れが分離した。その場で旋回に移る機体の群れと、高度を下げて着艦に移る群れ。後者の方が少数であるのは、彼らが損傷を受けているからだ。その彼らと悠々と上空を旋回する機体の群れを眼下に見ながら、彼らの邪魔にならないよう、そして彼らの上空を護るため、碇の小隊は高度をゆっくりと上げ始めー

「!」

 雲の上面に映る、大きな影を見付けた。


「上手くいったか」

 攻撃隊の指揮を執る、VB-3「サラトガ」爆撃機隊指揮官にして第三航空群ー日本式に述べるなら「サラトガ」航空隊ー司令のコーディエ中佐は口許に猛獣のような笑みを浮かべた。はっ。ハルゼーの親父に昨日「戦闘機隊を残してTF16に移乗しろ」と言われたときは何のつもりだと思ったが、そういうことだったのか。TF17が壊滅することを計算して、俺たちとTF16が全力でジャップどもに復讐出来るように、あんたは最高の舞台を作り上げてくれた訳だ。今頃あんたの命令に従って「ヨークタウン」と「ホーネット」の飛行甲板では、大わらわで発艦準備が進んでるだろうよ。そいつらが発艦したとき、ジャップの卑劣な機動部隊が壊滅して、この三流の大衆演劇は合衆国のハッピーエンドで終わる。親父。あんたは最高の演出家だよ。シェークスピアにも負けねぇぐらいのな。

 しかしジャップも詰めが甘い。俺たちの送り狼を見破ったのは流石だ。だがその時、上空に逃げた俺たちを追わなかったのはビッグ・ミステイクだったな。あいつらが追っかけ回したデバスデーター隊たちの結末は悪夢だっただろうが。

 彼らの無事を神に祈り、一瞬瞑目したコーディエの体に、計器板の左上から暖かい風が吹きつける。急降下により風防が曇ることを防ぐその暖気は、地獄へ飛び込む準備が整いつつあることの証左だ。

 コーディエは無線のスイッチをオンにして、後席に座る相棒に声をかけた。

「アントニオ、油圧やエアブレーキにも異常はねぇな!?」

「大丈夫ですぜ!奴らから空母一隻を奪ってやりましょう!」

「「合衆国がそれを許し、恐れ知らずの勇者ドーントレスがそれを与えるのだ!」」

 二人の間で事前に決めていた、突撃準備の合図を唱和する。52人の勇者たちが、一斉に「イエス・サー!」を唱和し、それぞれの舞台へと突き進んで行った。その花道に立ち塞がる忌々しいジークの姿はまだ遥か低空にある。合衆国の栄光は、バルコニーと地上から伸ばされた二人の手よりも近いところまで迫っていた。

 

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