第一章

1-1

「ん、んんー?」

 ぱちりと瞼を開けた少女は両腕を組んで首を傾げる。辺りは真っ白な空間で、もはや彼女以外に色を持った存在はいないだろう。境目すらもなく、ここが立体か平面かすらもわからない。

 少女は自分の頬に手を当ててみる。手のひらが冷えているのか、温かい頬が少しひりついた。肩やら首やらにも手を当ててみる。ちゃんと人間の体らしい温かさと皮膚越しの骨の感触もある。

 次にジャンプしてみた。両足が浮き上がり、明確な重力を以て地面(と表現してもよいのか。そもそも天井の可能性もある)へ引き寄せられて着地する。どうやら立体空間ではあるらしい。彼女自身が立派な質量を持って存在しているので。

「……なんで?」

 ここが立体空間内であるという仮説はある程度の正しさを帯びてきたが、結局はその疑問にぶち当たらざるを得ない。

 何故自分はここにいるのか。そもそも彼女はあの時に、存在ごと消えたはずだった。救うための役割を彼女は全うしたのだ。手順も予言とか夢の通りにやったハズだし、間違えてないと思うんだけどなあ。そんな呟きが少女の口から溢れる。闇の力とやらに支配された神からの妨害があったせいで上手くいかなかったのかとも一瞬考えたが、すぐにその可能性はないと思い至る。何回かパンチして大人しく寝てもらっていたし、彼女の頼れる相棒も一緒にいてくれていたのだから。……そうだ、相棒。

 少女の頭の中を、ふっと不安が過ぎる。彼はあの後、どうなったのだろう。思い出すのは金色のウロコに覆われた体と、綺麗な、緑がかった青色の瞳。幼い頃からの付き合いだった相手。同じ言葉は交わせなかったけど、それでも、心は通じ合っていたはずだ。


 少女は目を伏せて、微笑みを浮かべる。幸せになってくれているといいな。優しい子だから、きっと素敵な相手に、新しいパートナーに巡り会える。約束を破ったわたしの事なんか、忘れて。そこまで考えてから、彼女は息を吐き出した。

「…………そっか。そうだ、約束なんてしてないよね。わたしが一方的に結ばせちゃっただけだもん」

 今思えば酷い事をしようとしていた。彼は、彼女の役割に何も関与していないのに。巻き添えにするなんて、あの時はどうかしていたに違いない。一人で消えるのが正しかったのだ。そう、だから。

 これでよかった。わたしの判断は、間違ってなかった。

 少女は顔を上げる。それと同じタイミングで、白い空間がぱちぱちと点滅した。視界が一瞬のうちに黒く塗り潰される。彼女はこの時になって、本来なら消滅するべきだった自分が今も存在している理由を悟った。

 あの時と同じだ。彼と旅をしている時に、夢で見た、あの。少女が心の中で神託と呼んでいるそれは、瞬きほどの短い時間のうちに完了していた。いつだってそうだ。気付けば、自分のやるべき事が提示されている。心の中に、やらねばならない事がくっきりと刻みつけられる。高くもなく低くもない、平坦な声が胸の中から彼女に向かって囁きかけてくる。

 救済せよ、と。

 少女は唇を尖らせる。別に神様を盲目的に崇拝しているわけではない。今だってほら、消えた自分に向かって更に働けと言ってきているようなものだし。だけど。だけど、一度消した彼女を生み直すくらいなのだ。恐らく、何か大変な事が起きているのだろう。それこそ、あの神のように。彼女が闇を、穢れを代わりに全て引き受けて物理的浄化を行う事になったみたいに。

 深呼吸をした少女は両頬を軽く叩いて、よし、と声を上げる。

 救って、守る。

 誰かの笑顔を。

 誰かの命を。

 彼女の思いは変わらない。例え自分の命を失ってでも、他者の為に尽くす。それが、それこそが————。

 少女は瞼を閉じた。

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