1-7

「リーゼルだな?」

「うん」

「オレが誰かはわかるか」

「もちろん」

 即答だった。彼が誰なのかはわかりきっていた。……久しぶりだね、とここで言うのは違う気がする。そもそもリーゼルが消えてからどのくらい経ったのかすら不明だし、彼がどうしてここにいるのか、その姿はどういう事なのかさえわからないのだ。彼女が疑問をぶつけるよりも先に、眉間にしわを寄せた青年が口を開いた。

「オレに何か言う事があるだろう」

 リーゼルは小首を傾げた。きょとんという効果音が似合いそうだった。沈黙が場を支配する。生徒達が固唾を飲んでこの謎の展開を見守る中、彼女は何かを思いついたかのように手を軽く叩いてみせた。

 そうして満面の笑みを浮かべ、彼女は彼の愛称を呼ぶ。

「クーちゃん!」

「誰がクーちゃんだと言いたいところだがまあ今回は見逃してやる。で、なんだ?」

 リーゼルの発言直後に、空気が凍りつき、そして次の瞬間ぴりぴりとしたものへと変化した。第二王子殿下に不敬な! と言う声が聞こえてくる。言葉遣いに気を付けた方がいいだろうか、そんな彼女の考えを見透かしたかのように青年は首を横に振った。

「いつも通りでいい。周りの奴らの事は気にするな。オレに気を使ったら承知しないぞ」

「わ、わかったよー……ええとね」

「おう」

「こっ、こん、婚約おめでとう!」

「そいつはどうも。コンヤクは解消するつもりだがな」

 衝撃の事実が投下された。周囲が今度は別の意味でざわつき始める。呆然とするリーゼルを他所に、彼は更に爆弾を投げ始めた。

「相手が何故か了承してくれないからコンヤクが続いてるだけだ。詫びの金もオレが自分自身で魔物を討伐して集めた素材やらを売り払えば十分に用意できるし、なんならオレはオウジの身分も捨ててヘイミンになるつもりでいる」

 もはや不敬な平民が何故か魔法を使って人だかりを跳び越えようとした上に図々しくも第二王子に話しかけたという出来事が生徒達の中からは吹き飛んでしまったようだ。

 魔物討伐の話も初耳だったらしいが一番衝撃が大きかったのは身分を捨てるくだりだろうか。えっ魔物ってそう簡単に討伐できるものじゃなかったよな? まずこの国から一番近い魔物の巣には一人で倒せないほど強力な個体ばかりが生息しているらしいし……きっとご冗談だろう。だがこの前こんな噂があったじゃないか、『血みどろ殿下』の! ああやたら血まみれの服を着た殿下が衛兵と話してたってやつか……所詮噂だろう。でも私見ましたわよ、何かがたくさん詰まった大きな袋と剣を持って歩く殿下のお姿を! そんな声が次々と聞こえてくる。

 リーゼルは身分だとか、そういうのにはあまり詳しくない。平民より貴族が偉い。貴族よりは王族が偉い。この場合は逆もありき。そんなうっすらとした知識しかない。しかし、ダイニオウジデンカというものがかなり高い地位に属するものだという事くらいは想像できる。オウという二文字が入っているのだから、多分王族だ。すごく偉いと言う事だ。なのに、何故。リーゼルは思わず青年の両肩を掴んでゆさゆさと揺らした。

「どうして!?」

「どうしても何もない、オレはオウジなんて柄でもなんでもないだろうが。第一、誰ともケッコンするつもりなんてなかったんだよ。一生を共にしたい相手なんていなかったしな。……ああ、いや、今は……その、例外ができたんだが」

 後半に向かうにつれて彼の頬は薄桃色に染まり、リーゼルから視線を逸らして小声でもごもごと喋るようになっていたため、彼女は『一生を共にしたい相手なんていなかった』という部分までしか聞き取れなかった。少しの間を置いてから、リーゼルは苦笑いを浮かべる。

「そ、そっか。そういう理由があって、きみ自身が決めた事なら仕方ないよね」

「……一応言っておくけど、オマエは別だ。オマエとなら死ぬまで一緒に過ごしたい……って思ってるんだからな。前も、今も、その気持ちは変わらない」

 青年が、自身の肩に置かれていた彼女の手のひらを両手で包み込むようにして握る。リーゼルは視界がぼやけそうになるのをなんとか堪えつつ、無理やり笑顔を作ってみせた。

「それ、ちゃんと意味わかって言ってるの?」

「は? 意味ってなんだ、言葉通りだろ。他に何かあるのか」

「……ふ、あははっ! 鈍感だね、相変わらず!」

「オマエに言われたくない。一番言われたくない」

 笑うリーゼル、ため息をつく青年。彼は彼女から手を離すと「それで」と口を開いた。

「オマエがかけるべき言葉をオレはまだ聞けてないんだが」

「うっ。逃げられなかったかー……」

「当たり前だ、逃してたまるか」

 まるで山の奥深くに存在する、澄んだ湖をそのまま写し取ったかのような青色の瞳がリーゼルを見据える。二人きりの空間ですよと言わんがばかりの雰囲気を作られた上にとんでもない情報爆撃をくらった生徒達はもう何も言わずにただ彼女と彼を見守るしかなかった。見守ると言うよりも、見ている事しかできそうにないと表現する方が正しいだろうか。口を下手に挟めないのである。彼女は改めて彼を呼んだ。

「クーちゃん」

「一度は見逃したが今度は言わせてもらうぞ。誰がクーちゃんだ」

 そのやり取りに、リーゼルは小さな笑みをこぼした。あの頃を思い出す。彼の名前を知った、あの日の出来事。お互いに違う言葉を使っていたから、意思疎通に身振り手振りを使う羽目になっていたけど、それでも。「クーちゃん」と呼びかけるたびに、違うわと言いたげに声を上げる彼の姿が記憶の中で鮮明に蘇る。

 あの時も、今と同じように「誰がクーちゃんだ」って言ってくれていたのかな。そう考えて、それから彼女は彼の名前に思いを馳せる。彼の名前の由来。かつて彼女と出会う前に、各地を彷徨い歩いていた彼がゴミ捨て場から偶然拾い上げたバッグ。その内側に刺繍されていた文字列。

 リーゼルは、大切な、そして大好きな親友に向かって、その名前を呼びかける。

「ジーク」

「ああ」

「さっきので腰打っちゃった! 動かそうとするとすごく痛い! 骨が折れたのかも! あはは!」

「あははじゃないんだよそういう事は一番初めに言えバカ!」

 目と眉を吊り上げた相棒の怒りの叫びが庭中にこだました。

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