1-16

 ようやく彼が呆れやら何やらから解放されて歩き出そうとしたその時、振り向いたマルガレーテがこちらを案じるような顔で駆け寄ってきた。

「……んだよ」

「大丈夫? もしかしてさっき転んだ時の怪我が実は深刻なのでは」

「ちげーわ! 余計な心配してんじゃねえぞ……!」

「本当に? 骨が折れたりはしていない……? ほら、人の骨ってもろいし……昨日リゼさんがジャンプの着地に失敗して骨をまた折ったみたいだから、心配で……」

「いやヒロインマジで何やってんだ!」

 今度こそ口からツッコミが出た。「ひ、ひろ……? 疲労院?」とマルガレーテが聞いてくる。頭上に疑問符が浮かんでいるように見えた。なんでもねえよ気にすんな、とあしらうように手を振ってから、ハインツは歩き出した。マルガレーテが彼の歩調に合わせてついてくる。ムカついたのでもっとスピードを遅めてやろうか、と思ったがそれだといつまでも先に進まないだろう。彼は舌打ちをしながら足を前へ前へと動かした。

「っつうか、『また』って事は前にも骨折った事があんのか?」

「うん。あの人、怪我が多いんだ。孤児院にいた時から変わってない。ある程度は光魔法で治せるみたいだけど」

 光魔法の使い手である事はゲーム通りのようだが、ヒロインに怪我が多いという設定はない。逆に周りが怪我ばかりするからヒロインの使える癒しの魔法が必要とされる、なんて設定だったはずだ。ヒロイン本人がかすり傷一つでもすれば顔を青ざめさせた攻略対象達が秒速で駆けつけてヨシヨシするような、まさしく箱入り娘という言葉が似合いそうな少女だったと思うのだが。

「怪我? そんなに多いのかよ」

 ここで初めて、マルガレーテは嫌そうな顔をする。ハインツに向けたと言うよりかは、過去にヒロインが怪我ばかりしていた事を思い出すのが嫌なようだった。手でも切りまくったのだろうか。もしくは不器用すぎてめちゃくちゃ転んで擦りむいたとか。マルガレーテは嫌そうな顔のまま指を折り曲げて列挙していく。

「まず、刺し傷が二十、咬み傷が二十七、切り傷が三十二、擦り傷が五十九」

「待って待って待って」

 理解が追いつきそうになかった。普通に生きてたら負わないレベルの傷である。しかしマルガレーテの指の動きと口は止まらない。

「捻挫が十、脱臼が十三、肉離れが二、そして骨折がじゅ————」

「頼むもう言うな!」

 体が奇妙な形に変形してるんじゃないかと疑ってしまうくらいに怪我の回数が多い。なんでそんなに傷を作るの? マゾなのか? そんな疑問を込めた視線をマルガレーテに向ける。

「リゼさんは、自由な時間さえあれば近くの山や森に入って修行をしていたから」

「しゅぎょ……えっ何、ヒロ……ローズクオーツはどこ目指してたの……?」

 方向性があまりにも謎すぎる。あっもしかして怪我のエキスパートってそういう……という闇深い考察にまで行き着いてしまいそうになった。マルガレーテの話によると、ヒロインは素手で戦う事を得意としていたらしい。魔法を使え。そしてたまに武器として何故か懐中電灯を持ったまま昼間に魔物の住む森へ向かった事もあるらしい。剣を使え。ここまで来て、ハインツの頭の中にはこの事実に対する選択肢が出現した。あの悪役令嬢がとんでもない人違いをしているか、それともこの雑魚がとんでもない人違いをしているかの二択に違いない。

 光魔法の使い手という大きな共通点は持ち合わせているものの、ゲームの『ヒロイン』と悪役令嬢の『ヒロイン』とマルガレーテの『ヒロイン』像はあまりにも乖離しすぎている。最初のがクソ偽善者お花畑女、二番目は意地悪腹黒バカ女、三番目は戦闘狂。

 なんだかヒロインと会うのが怖くなってきてしまった。すごいガチムチの怖い顔した奴だったらどうしよう。不安が彼の心を支配する。やっぱりテキトーな言い訳して部屋に戻ろうかな、でも悪役令嬢からの命令があるんだよなぁ……あいつすげえ怖そうな顔してたし、「従って頂かなければ……わかるわね?」とかほぼ脅しに近い言葉も吐かれたし。くっそめんどくせぇ、ダルすぎる。今後の事を考えると、ハインツの胃が痛くなってくる。キリキリという音が聞こえてくるような気さえする。……違う。これはキリキリではない。キンキンだ。硬いものがぶつかり合う時の音だ。自分の腹の中で何かが起きているのかと慌てて胃の辺りを二度見した。が、すぐに音の発生源が自分の胃袋ではない事に気付く。

「あ、いた」

 マルガレーテが呟くと同時に、音は止んだ。視線の先に目を向ける。二人の生徒が、森の木々が開けた場所に向かい合って立っていた。

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