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白いティーカップの中で、ミルクティーがゆらゆらと揺れる。薄桃色のテーブルクロスの上には三段のケーキスタンドが設置されており、そこにはケーキの他にもサンドイッチなどが並べられていた。質素な作りの室内と比べると、豪奢なテーブルやケーキスタンド、ティーセットは場違いに思えなくもない。


 ネイビーブルーのブレザーを羽織った少女は、カップの持ち手を指でそっと摘むように持ち上げてからそのまま口に近付ける。カップをそっと皿の上に置いて、もう片方の手でサンドイッチを取った。小さな口でゆっくりと咀嚼しながらちらりと横目で見ると、部屋の隅に控えていた女性が満足げに頷いている。赤毛をきちんと一つにまとめている、厳格そうな雰囲気を纏った身長の高い女性だ。深い緑色のドレスを身に纏った彼女が少女の方を鋭い目で見つめた。どうやら見ていたのがバレたらしい。すぐさま意識をティーカップの方へ向け直そうとした。その近くの扉がノックされ、男性が入ってくる。白髪が混じった黒髪と、優しげに垂れ下がった目元が特徴的だった。おじさん、と少女が心の中で呟く。女性が男性に呼ばれて部屋を出ていった。何か話があるようだ。

 扉が静かに閉められた次の瞬間、少女はきらりと目を光らせて両手でサンドイッチを掴み取った。それから二段目と三段目のケーキも次々に口の中へ放り込んでいく。バクバクむしゃむしゃという効果音が似合いそうである。なんならケーキスタンドごと傾けて全部一斉に口の中に入れかねないほどの勢いですらあった。緑色の野菜が挟まったサンドイッチはしょっぱい。赤い果物が挟んであるケーキは甘い。あまりにもアバウトな料理の感想が彼女の頭の中に浮かんでは消えていく。しかし、どのサンドイッチにもケーキにも共通して言える事があった。

 美味い。とても美味い。

 作ってくれた人が誰なのか、ぜひとも知りたいくらいだ。お礼を伝えたいので。文字通り食べ物を全て頬張ってから、彼女はティーカップの取っ手に指を入れた。摘むより入れる方がきっと落ちない。カップを上に向けてミルクティーを飲み干した彼女は、不意に何かに気付いたかのように辺りをきょろきょろと見回して慌てた様子のまま腕でワイルドに口元を拭う。ここにあの女性がいたら気絶間違いなしの行動だった。当然ながら白いワイシャツにケーキのクリームがついたがクリームも白いしどうせジャケットで隠れるので問題ない。後で洗えば解決だ。それと同時に扉を開けて、あの男性が入ってくる。今度は口に出して彼の名前を呼んだ。

「パウルおじさん」

 彼は眉を下げてにこりと微笑み、少女に向かって口を開く。

「そろそろ時間だね。行こうか」

 少女が立ち上がり、パウルと呼んだ男性の方へと足早に歩み寄る。荷物はもう寮の方へ送ってあるよ、と言いながら歩く彼の後を着いていった。


 木製の床板がきいきいと軋む音が響く。彼女の足の動きに合わせて、長めの赤いプリーツスカートの裾がゆらゆら揺れた。廊下を少し歩いて外へ出ると、温かい風が頬を撫でる。花の甘い匂いがした。黄緑色の芝生や木々、開けた大地が広がるそこに他の民家は立ち並んでいない。パウルは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「すまない、送ってあげられなくて……私も学園の方に抗議したんだが、送迎は貴族のみだと」

 彼はそう言いつつも、家の傍に停められたそれを見る。少女も釣られるようにしてその奇妙な物体に視線を向けた。本当に変わった作りだと思う。小さな屋根が設置された四角い箱のようなものの下に、大きな丸い輪が四つ付けられている。前方には、長い胴体と首を持った四本足の生き物が箱と繋がれている。乗り物は、バシャというらしい。翼とツノのないユニコーンと表現しても良さそうなその生き物は、どうやらウマという名前を持っているようだった。硬いヒズメで地面を軽く蹴りながら、四角い箱の前方に乗り込んだ男性と同時に大きな口を開けて欠伸をしている。あの緑色のドレスを着た女性(マナー講師、とかいう職業だそうだ)がこれに乗って家までやってきたのだ。一人乗りなので庶民は乗れないのだと何故かにこやかに言われたのは記憶に新しい。いや、そんな事よりも。あのウマ、……戦ったら強いのかな。なんて思いを封じ込めながら、彼女は笑顔で首を横に振った。

「ううん、気にしないで。自分で歩いた方がいいと思ってたんだー。だから全然へーきへーき!」

 この言葉は本心からのものだ。今までもずっと自分の足と体力を頼りに旅をしてきたのだから、逆に何か別の移動手段に頼るのは難しいような気がした。それに目的地までさほど遠くはない。ここを出て森に入り、一時間くらい歩けば余裕で到着するだろう。野宿とかもいらなさそうだし、むしろ楽だ。少女は履き始めたばかりの靴を慣らすかのようにつま先で土を叩く。ブーツよりも硬くて動きにくいが、その分蹴った時に相手へ与えるダメージも大きくなりそうだ。そんな分析をしつつ、彼女はブレザーのポケットに手を突っ込んだ。必要最低限の物は入っている。よーし、と小さな声で呟くと、パウルの方へ向き直った。

「それじゃあ、行ってくる」

「ああ。……何か嫌な事が起きたら、すぐにここまで逃げてきなさい。必ず匿って、どこか遠くの国へ逃してあげるから」

 真剣な眼差しを向けられた少女は、春に咲くサクラの花びらを閉じ込めたかのような淡いピンク色の瞳をぱちぱちと瞬かせる。目尻を下げて彼女は微笑んだ。

「だいじょーぶ。わたしは逃げないよ。おじさんに迷惑かけたくないもんね。おじさんの方こそ、何かあったらすぐ連絡してほしいな。変なモンスターが来た時はわたしが倒すから!」

 自身よりも頭二つ分高い彼の顔を見上げてはっきり告げると、パウルが口元を綻ばせた。

「そう言うと思ってた」

 その言葉に笑みを深めた少女は前へ、学園に繋がる道へと一歩踏み出す。くるりと振り返り、彼女は両手を振った。

「今までありがと、パウルおじさん!」

「こちらこそ。元気でな、リーゼル」

 リーゼルが人差し指と中指でブイサインを作る。育て親に見送られながら、彼女は走り出した。

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