1章・第13話 黒姫と巫女


 周りは高濃度の昏睡ガスに包まれ、呼吸さえもままならない中、俺はひたすら地面に走る『検知』の光を頼りに足を動かす。



(いたぞ! 娘じゃ!)



 ダリアの声が上がる。

 立ち上る光柱の根元に、アイリスはいた。

 横倒しになった少女の側には、片膝をつき苦悶の表情を浮かべるトラックスの姿。

 中心部に入ってまだ二セドンも経過していない。

 このまま二人を回収すれば余裕で間に合うだろう。

 近づいてくる俺の存在にトラックスが気づいた。

 しかし――



「ジール君っ! ダメだあ!」



 ――俺を制止する声が響く。

 何事か、と思う前に俺の背中は民家の壁に叩きつけられていた。



「――ごはあっ!」


「ジール君っ!」



 ――二人を助けようとした俺に立ちはだかったのは蟲たちの『王』だった。

 姿形はピルピードを巨大にして、更に長くしたような見た目で、全長は恐らく二十トール以上。

 十個以上の赤く光る眼、絶えず動く節足、赤黒い甲殻の両サイドに現れた目玉のような文様からガスを噴き出し、尻尾の部分を誇らしげにぶらんぶらんと揺らしている。



(おい、大丈夫か! しっかりせい!)



 喰らったのは恐らく死角からの尻尾による打撃。

 咄嗟とっさに右腕でガードしたものの、あまりの体重差に衝撃を殺しきれず、吹っ飛ばされてしまった。


 きっと、群れの一角を殲滅した危険な存在を察知したのだろう。

 えて二人を生かし、ここにおびき寄せるための罠にした、ということか。



「くっ……」



 これは非常にまずいことになった。

 怪我の具合よりも、激突の衝撃で肺の中の空気をほとんど出し切ってしまったことが致命的だ。



「ジール君! ヤツが行った! 逃げろお!」



 逃げたいのは山々だが、もはや体が言う事を聞いてくれない。

 膝を突いた状態から立ち上がろうとしても、下半身には力が入らず。

 右腕は絶えず激痛を訴えかけ、短剣を放棄せよとの警告を絶えず送り続けてくる。

 ここまでずっと走り通しで酷使した心肺が、数千のピルピードを相手にした疲労が、もう休め、倒れてしまえと甘くささやく。



(おのれ、この化け物が! 今に見ておれ!)



 そんな俺を見かねてか、ダリアが俺の側を離れて『王』の方へと飛んでいく。

 ははは、触れもしないのに何をやってるんだよ。

 ほら、通り抜けたじゃないか。


 昏睡ガスの浸食が始まり、意識が混濁し、薄れていく。

 トラックスが何かを叫んでいるようだ。

 耳には入るが、脳には届かない。


 『王』が尻尾を振り上げる。

 それを振り下ろしてしまえば俺は潰れたトマトのようになるのかな。


 そういえば、俺が死んだらダリアはどうなるんだろう。

 道連れにはしたくない。できればまた元の場所に帰れると……いいのだ……けど…………

 ……あれ? 尻尾が動かない、ぞ?



「――何をボーっとしておる! この大王が!」



 その一言で、頭が晴れた――いや、違う。俺の周囲にあったガスが消えていた。

 一体、何が起きたのか……理解が追いつかない。

 追いつかないが、そんな事よりも状況を立て直す好機が転がり込んできたことには違いない。


 すかさず俺は思い切り肺へと空気を送り込み、循環呼吸を使って昏睡ガスだけを体外へと追い出した。

 瞬時に視界と思考が正常に戻る。



「あれは――鎖!?」


「今じゃ、儂がっ……こやつを……押さえている、……間に!」



 『王』は真っ黒な鎖のようなもので縛られ、動きを封じられている。

 それだけで十分に驚ける事態だが、それよりもあの声――



「――アイリス!?」


「お主は『勝つ』んじゃろっ!?

 なのに、こんな……蟲、程度にっ……何を……して、おる、かあっ!」



 昏睡していたはずの少女、アイリスが立ち上がり、謎の術を行使し――そして俺に激を飛ばしている。


 ――いや、違う! アイリスはあんなに口が悪くない!

 そうだ、あれは――!



「――ダリアかっ!」


「ふんっ、今、頃っ……、気づいたかっ……この、戯け!

 お主に入れるなら……もしやこの……娘にも……、と思うて……やって、みたの、じゃ!」


「でかした、ダリア!

 でもお前、何だよその魔術!」


「この、娘はっ……儂と、実に……合うよう、じゃな!

 儂が念じたままに力、をっ……、このッ! 蟲風情、がっ……!」



 俺へのトドメを邪魔され怒り狂った『王』は、黒い鎖を引きちぎらんと藻掻もがき始めた。

 そしてその負荷は術者へと押し寄せる仕組みのようで、アイリスの声は一転して苦しいものとなる。



「は……やく、こやつに……トドメを……刺さんか……っ!」


「――『『闘気よ、我がつるぎに力を』っ!」

 


 残り少ない魔力。祈るような俺の詠唱。

 『闘気』はそれに応え、右手の短剣に闘気の帯が付与される。

 だが、その輝きは先ほどの半分ほどしかない。

 それでも、行くしかない。

 こんな時、『切り札』が使えたらな――



「ダメだ、ジール君! そいつに闘気は効かねえ!」


「ぅおぉぉぉぉっ!!」



 下らない無いものねだりを断ち切り、トラックスの助言も聞き流し、俺に最後に残された『気合い』とともに闘気剣でピルピードの王に斬りかかっていく。

 弱点は同じはずだ、腹部の節と節の間に『闘気』を乗せた刃を滑り込ませればそれで――



 ガッキィイイイン――



「なっ!?」



 俺の渾身の一撃は、まるで魔法金属で出来た鎧に斬りつけたときのように、簡単に弾かれてしまった。

 そもそも節と節の間なんてものは無く、腹自体が一枚の巨大な板のような外皮に覆われた構造だったのだ。



「な、に……をしておるか、しっかりせい、『騎士様』よ……ぐぅっ!」



 ダリアに憑依されたアイリスの顔が苦悶の表情となり、片膝をつく。



「ダリア!」


「儂の……こと、なぞ、気に……しておる、場合か……」



 暴れれば暴れるほど、『王』を拘束している黒い鎖はばちっ、ばちっ、という音を立て次第に半透明へと変わっていく。

 要領を得た蟲の王は雄叫びを上げ、更に激しく体をくねらせ、もはや目を凝らさないと見えないほどにまで実体が薄くなってしまっていた。

 俺はその間もひたすら短剣を叩きつける。左手で殴る。蹴り飛ばす。

 腹がダメなら頭、それもダメなら目玉、それもダメならガスの噴出口、それもダメなら――



「――うぐっ!」



 ついにダリアが両ひざを着き、四つん這いのような恰好になってしまった。

 そして、その衝撃でアイリスが肩から掛けていたかごの紐が肩から滑り落ちる。


 元々蓋の無いデザインだったこともあってか、中身が派手に飛び散った。

 薬草の採取道具や裁縫道具、そして……小さな杭のようなもの。


 少女の鞄から出てくるには異質すぎる『それ』に、思わず目を奪われてしまう。

 色はともかく、形はまるで武器のようで、年頃の女の子には似つかわしくないような……



「……あれは……」



 謎の物体は、持ち手と思われる部分に布が巻かれ、尖った先端側の金属が淡く水色に発光している。


 そしてようやく、杭の正体に思い至った。

 そうだ、そもそも彼女は一体何を取りにご神体の元へ向かったのか――!



「あれが……あれが! 『アレ』か!」



 『アレ』だ。アイリスが取りに行った、『アレ』。


 俺は気付いてしまった。感じてしまった。

 俺の力の根源だったもの。俺が過去に最強と呼ばれた土台となったもの。それを行使するための『触媒』、つまりは『霊器』。『アレ』はそれによく似た存在であることを。


 そう言えば、『魔除け』だってそうだったじゃないか。

 なら『アレ』だって似たようなものかもしれない、って何故考えなかったんだ!



「ま、まさか……それは……

 ダメだよ、ジール君、それを使ったら……!」


「いや。もう、そんなことを言えるような状況じゃない」



 俺は地面に転がった杭のような形をした『アレ』を拾い上げ、しっかりと短剣とは逆の左手に握る。



「……こんなの、なんて報告すりゃ良いんだ……」


「悪いね。できれば黙っててほしいけど」


「それが出来たら苦労はしないってーの!」


「ははは」



 暢気のんきに笑う俺に現実を思い知らせるかのように、周囲には王が呼び寄せたと思われる手下たちが集合しつつあった。

 東側を除く三方向から逃げ場を塞ぐように、隙間なくゆっくりと包囲網を狭めてきている。


 『王』の戦闘力は想像以上で、もはや籠城戦での勝ち目も薄い。

 プリムの結界など麻布あさぬののように簡単に引きちぎられてしまうだろう。


 ならば、ここで勝負をつけなければならない。

 例え、禁じ手である『切り札』を使ったとしても――。



「ありがとう、ダリア。お前のお陰で助かった」


「……そうか、では後は頼んだぞ。このままではこの娘が持たんのでな」



 ダリアは乗り移ったアイリスを使ってそう言い、そして薄く微笑む。

 直後、再び力を失った少女の身体はゆっくりとうつ伏せに倒れ込んでいった。

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