1章・第6話 発動条件
「さあさあ、遠慮せず飲んでくだされ!」
「すみません、酒は今は控えてて……」
「何と。エルデの芋酒は絶品なのですがのう」
アイリスの後に続いて歩くこと約三オーズ。
『少し遠い』どころでは無い距離を歩き、森の奥の奥にあるエルデ村に到着した俺たちはアイリスの家、つまりは村長宅に招かれていた。
「お父さん、無理を言ってはご迷惑でしょう?」
「お、おお。そうですな。
ではせめて、食事だけでもしっかり取ってくだされよ!」
「ええ。喜んで頂きます」
食卓を囲んだ俺たちの前に並んでいるのは心づくしの晩餐の数々。
これらはアイリスから一通りの事情を聞き、いたく感激した村長が用意してくれたものだった。
――だが、残念ながら……食卓に追加で用意された椅子と食器は一人分のみ。
ダリアの存在を初めて認識できた少女の、その家族ならもしかしたら……とほんの少しだけ期待していたものの、そこまで甘くはなかったようだ。
事前に『恐らくこいつの姿は他の人に気付かれない可能性が高いから存在を伏せておいた方が良い』と言っておいて良かった。
大事な娘が見慣れない男と帰ってきた上に、突然「ふふふ、あそこに女の人がいるのよ」なんて言い出したらどんな展開になってしまうのか――想像するだけで恐ろしい。
「どれもこの村自慢の料理ですよ。
外の方のお口に合うと良いのですが」
そう言ってアイリスの母、ミリアはにこにこと笑う。
隣に座る村長、つまりはアイリスの祖父も同じように笑っている。
先ほど見た孫娘の笑顔と合わせ、この人たちが家族であることに説明なんて要らないんだなあ、と思わされる。
「それでアイリス。あなたはきちんとお礼したの?」
「し、したよお。
ね、ジールさん」
隣に座ったアイリスがこちらを上目遣いで見てきた。
残念ながらそういうのはダメなので、俺は食べ物に視線を向けるふりをして目を逸らし、「してた」とだけ答える。
「ほら」
「そう。なら良いんだけど。
でも本当に、アイリスの危ないところを助けて頂いて……ありがとうございました」
「いえいえ、お礼はもう良いですって!
俺もたまたま通りがかっただけで、大層なことをしたわけではありませんから」
(何を言うておる。あれは十分に大層な事じゃろ)
俺の右隣に座る……というか浮かんでいるダリアが俺の謙遜をすかさず否定してきた。
それに続けて、あり得たであろうもう一つの現実について言葉を重ねる。
(あのまま放っておけばこの娘は良くて傷物、悪ければ二度とこの家に戻れんかったはずじゃ。
世の中の男ども全てがお主のように女子の手すら握れんような無害な連中ばかりでは無いことくらい、知っておろう?)
少女から、息を飲む気配がした。
ケダモノのような男どもに絡まれているところへ突然旅人風の優男がやってきて、男たちを引きつけたと思ったら一瞬で全員を殴り飛ばし、そして極めつけは半透明の不思議な存在との出会い。
エルデでの素朴な暮らしに馴染み切った彼女から見たらあの一連の出来事はあまりにも現実感が無く、夢でも見ていたかのような心境だったのかもしれない。
だが、今のダリアの言葉でようやく自分の置かれていた状況が分かったのだろう。
「おや? どうされましたかな?」
「あ、い、いえ。
あまりのご馳走に胸がいっぱいになってしまって」
「それは良かった!
さあさあ、どうぞ召しあがって下され!」
「ええ。では遠慮なく」
俺はそう言って何かの粉を練って作ったのであろう蒸しパンのようなものを掴む。
そして、口に運ぼうとしたところで――
俯いていたアイリスが顔を上げ、こちらへ向かって真っすぐな視線を向けてきた。
「あ、あのっ!
ジールさ――」
「――今はその話をするのはやめよう。な?」
俺はアイリスの方は向かず、そう告げてから蒸しパンを口に入れた。
「アイリス? 突然どうしたの?」
「……な、何でもない。
ちょっとお礼が足りなかったような、そんな気がしただけ」
「でしょう?
食事が済んだら、もう一度きちんとお礼をするのよ」
「うん。分かった」
こちらとしては本当に大したことはしていないつもりなのだが、それはあくまでもこちら側の認識。
受けた恩の大きさをきちんと理解できるようになる、というのは真っ当な人間の正常な人生にはきっと必要なことなのだろう。
色々あったが、アイリスはこうしてまた一つ人間として成長した、というわけだ。
そんなアイリスを見る村長とミリアの満足げな笑みを見ていると、関わったこちらとしても何となく誇らしげな気分になる。
「さてと、それじゃあ次は何を頂こうかな。
アイリス、何かお勧めはある?」
「えっ、あ、はい!
えーと、その山鳥の蒸し焼きは美味しいと思います!」
「たしかに美味そうだ」
「あと、キノコのシチューも美味しいですし、そっちの焼いたエルデイモも!
さっきの蒸しパンに森イチゴのジャムを付けても美味しいんですよ!
それから……」
「え、ああ、ええ?」
「ほらアイリス、そんなに
「……あ」
「もう、本当にそそっかしいんだから、この子は」
「ごめんなさい、ジールさん。わたしったら、つい……」
またまたしゅんとなるアイリスに俺は彼女の方を見てフォローを入れる。
「いや、それだけ一生懸命だったってことだから。謝る必要なんてないよ」
「うう……わたしってば。もう」
汚名挽回を焦り、逆に更に失点を重ねてしまったアイリスは顔を赤くして
「じゃあ、お勧めの山鳥を頂こうかな」
「それなら、わたしが取りますっ!」
「あ……。そう? それならお願いするよ」
「はいっ!」
元気よく返事をし、アイリスは俺の取り皿を持って
今度こそ、という気合いが入った姿が実に愛らしい。
(おい、お主)
そんな少女をほんわかした気持ちで
もちろん返事など出来るはずがない。
俺は肩をほんの少し動かし『何?』のサインを送る。
(一体どうしたのじゃ。
娘を見ても大王にはなっておらんようじゃが?)
……なるほど、どうしてもこいつと話せないときの為にこういったサインを決めておくのも良いかもしれないな――というのはまあ、一旦置いておいて。
確かにダリアの言う通り、俺は少し前からアイリスを見ても緊張はしなくなっていた。
もはや無理に
それが何故急に出来るようになったのか……自分でもはっきりとした理由は分からないが――
彼女がどういう環境で育ち、どういう人たちに育てられたのか。
余所行きの顔と、家族の前だけで見せる顔。
そういった、彼女を彼女たらしめる背景をいくらかでも知れたことで表面上の『美少女』から、『一人の人間』として見られるようになった――という事なのかもしれない。
思い返せばダリアだって最初は顔を見ることすら出来なかった。
でも今は違う。
それは慣れたからではなく、たくさん会話をして彼女の人格を認識できたからではないのか。
女慣れしていなくて緊張が、とか何とか言い訳していたが、実際のところ俺は女性という『未知の存在』を恐れていた、――俗っぽい言い方をすればビビっていただけなのではないのか。
未知であるならば知ればいい。そんな単純なことを『やり方が分からないから』という言い訳で放棄し、あまつさえダリアを練習台に使おうなどとは、思い上がりも甚だしい。
やはり俺はまだまだ人としてみじゅ――
「――ジールさん、どうぞ!」
そんな、苦悩モードに入りかけた俺の闇をアイリスの明るい声が切り裂いた。
盛りに盛られた皿を両手で持ち、満面の笑顔でこちらへと差し出している。
「おお、随分と山盛りだな」
「はい、いっぱい食べて欲しいですから!」
「ありがとう。いやー、これは美味そうだ」
と、皿を受け取ろうとしたその瞬間――
「――あひゃっ!!」
アイリスを一人の人間として認識し、強くなったはずの俺の心は、たったそれだけのことでいともたやすく崩壊してしまう。
「あっ!」
そして、こともあろうに俺は思いっきり手を引いてしまった。
衝撃で、アイリスの手を離れ宙に浮く取り皿。
突然の異変に驚く村長とミリア。
まるで時間がゆっくりと流れているかのような、そんな錯覚。
「やばっ!」
瞬時に立ち直った俺は引っ込めた手を再び伸ばし、皿の縁を掴む。
そして、同じく宙に浮いていた料理の山に崩さないよう、衝撃を吸収しながら皿の上に着地させた。
「あ、あぶねえ……」
(やれやれ。平気になったのは見るところまで、という事じゃな)
まあ、そういうこと。
『人として認識すれば途端に普通に付き合える』なんて、そんな都合のいい話なんだったらこんなに苦労しているわけがない。
「じ、ジールさん! 大丈夫ですか!?」
「いやそっちこそ! ケガとか無い!?」
「わ、わたしは平気ですっ。でも突然どうされたんですか!?」
「い、いや別に何でも――」
気遣うアイリスと誤魔化そうとする俺。
そんな
(――娘。こやつはな、病気なのじゃ)
「病気っ!?
そ、それは一体どんな!?」
(それはな……)
まずいまずいまずい。
余計な事を聞かれたら俺がアイリスをそういう不純な目で見ていると思われてしまう!
「ちょ、お前やめろ、余計なことを」
(大王病じゃ!)
「だ、だいおう病……?」
「ダリア! アイリスに余計なこと言うんじゃねー!」
ダメだ、止められなかった。
これで俺は年下の女の子にいやらしい視線を送る、あの連中と変わらない下衆な男として見られ、そして村長一家からの評価も地に落ちてしまう事だろう。
あいつ、一体なんでこんなことを――!
「お、お母さん!
ジールさん、だいおう病って病気なんだって!
わたし、そんな病気聞いたことないよ!」
「あ、アイリス!
違うから! それはこいつが勝手に言ってるだけで――」
突然焦りだした二人、対照的に驚きと疑問の表情のまま呆気に取られる対面の二人。
そして、向かい側に座る女性がその表情のまま、恐る恐る口を開く。
「――二人とも、一体誰と話しているの……?」
間抜けな俺はそこでようやく、既に俺の評価とかそういう次元の話ではなくなっていたことに気付かされたのだった……。
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