1章・第5話 純真少女・アイリス


「――むむむっ!?」



 俺の思考はそこで中断、というより停止してしまった。

 複雑な推察を組み合わせた、極めて高度で高尚な思索行為から急に現実へと引き戻され、その直後に『眼前の美少女』という不意打ちである。

 それを至近距離で食らってしまったのなら、急に頭を切り替えるなど不可能に近い。



「ひっ」


(お主! 何をしておる! またまた『大王の目』になっておるぞ!)


「やばっ」



 ……未熟な俺の精神は、またしても鷹の目(ホークアイ)の発動を防げなかった。

 三度怯えてしまった少女は今度こそ、ここから逃げ去ってしまうだろう。

 だが、これでむしろ後腐れが無くなると考えれば――そちらの方がいいのかもしれ、ない……?



「す、すみません、驚かせてしまって」



 ……おかしなことが起きている。

 少女は目を逸らしつつも、まだそこに留まっていたのだ。

 普通の女の子なら「ぎゃあああ、こわっ! 何あの目!」とか何とか言って逃げていくところなのに。



「え、何で」


「その、お礼を言いたくて」



 何で、ってそういう意味では無かったのだが……。

 でも、まあいい。これで彼女にケガなどが無いことは確認できたんだ。

 これで心置きなく、ディルベスタへの旅路へと戻れるというもの。



「い、いや。礼は必要ない。無事で良かった。それじゃ俺はこれで」



 俺は必要最低限の社交辞令だけを口にして再び彼女に背を向ける。

 ここに来た理由はあくまでも彼女を助けることだけであって、お近づきになるためでは……ない。

 だから、彼女に自己紹介をする気はないし、世間話に興じる気もないし、

 勿論、君を助けるためにここに来た、と正直に話して恩を売るつもりも全く無い。

 ここでやるべきことは全て終わったのだ。



「え、え……?

 あの……どちらへ?」


「あいつらが起きる前に家に帰りなよ」



 最後に俺は軽く右手を上げ、背中越しに一声掛けると、街道とは正反対の方向へ向かって歩き出す。

 


(恰好をつけおって。あと、そっちは逆方向じゃぞ)



 ――そんなこと、言われなくても分かってるっての!

 だけど、あの子の姿をもう一度見てしまったら……別れが惜しくなってしまうかもしれないじゃないか。

 俺からすれば、それくらい衝撃的な可愛さだったのだ。



「待ってください、そちらへ行くと森の奥に行ってしまいます。危険ですよ!」



 少女は俺を止めようとするが、お構いなしに歩を進めていく。

 後ろから「ああ、どうしよう」とオロオロする様子が伝わってきて、少々心苦しい。



「お願いです、聞いてください! 奥にはとても恐ろしい怪物たちがいるんです!」


(怪物じゃと。お主のお仲間か?)


「いや、お前のお友達だと思うぞ」



 しまった。気が緩んで、ついダリアの相手をしてしまったじゃないか。

 だけどまあ、あの少女とはどうせ二度と会わないのだし、空に向かって独り言をつぶやく変な奴だと思われてもどうってことは無いな。



(なんだか、捨てられた小動物みたいじゃぞ。ちと可哀そうになってくるな)


「あっちを見るんじゃない。情が移るぞ」


(む? ……おい、お主)



 振り返ったダリアが少女の様子を伝えてくる。

 だが、何やら少し雲行きがおかしい。



「何だよ。もう見るなって」


(いや……あの娘……)


「はいはい。俺だって無視するのは心が痛むよ。

 でも急がないと次の町に着く前に日が暮れちまう。

 店が閉まる前に『追風』でボロボロになったブーツも直してもらわないと」


(そうではない。あの娘、今――儂を見ておる)


「はあ? そんなのたまたま、」


「あのっ! どうかあなたもその方を止めてください!――」



 そう見えただけだろ、と言いかけた俺に割り込んできたのは、尚も俺を止めようとする少女の呼びかけだった。

 ただしそれは、明らかに俺に対してではなく。



「――聞こえていますか、黒い服の方っ!」



 俺の右前方を浮遊している、黒いナイトドレスを纏った存在に対して発せられたもので間違いないようだった。




――――――



「…………」

(…………)



 最後の呼びかけがあった後、俺はダリアと無言で顔を見合わせ、数呼吸。

 その間、何度も少女の発言を頭の中で繰り返し、言葉の意味を脳に理解させる。



「……!!」

(……!!)



 そして、聞こえた言葉と俺の認識に相違が無いことをようやく確信すると、俺はターンしながらの全力ダッシュという離れ業で一瞬のうちに少女の元へと戻った。



「え!? ええ!?

 なに、君、ここ、こいつの事、みみみ、見えるの!?」


「きゃっ!

 い、痛っ、ちょ、ちょっ、おおお、落ち着いてくださいっ」



 更に、俺の暴走する体はそれだけでは勢いが収まらず、彼女の華奢な両肩を掴んでしまっていたのだった。



(その、手を、離さんか! この馬鹿者!)


「あ、あああ、すまん!」



 ダリアのゲンコツが四回ほど頭をすり抜けたところで、ようやく少しだけ我に返ることができた俺は、慌てて肩から手を離す。



(すまん、で済むと思うかこの戯け。

 お主のような変態が乙女の体に許し無く触るなど、それだけで重罪じゃぞ)


「わ、わたしは平気ですから! ただ少し驚いただけで」


(いや娘、この辺りにおったのならあの男の怪人ぶりは見ていたであろう?

 下手したらお主の肩の骨が粉々になっておったぞ?)


「ええっ!?」


「ちちち、違う、ちゃんとそっと掴んでたから!」


(何!? ならば最初からそちら目当てであったのか!

 ドサクサに紛れてとは、ますます重罪じゃな!)


「ちちちちち違う違う!

 そういう、いやらしいのとか俺、大嫌いだし!?」


「……あの、本当にわたしは気にしてませんから。

 お願いですから、落ち着いてください」



 恐らく年下であろう少女になだめられる憐れな二十一歳男性。

 その様を見てけらけらと笑う腐れ白黒半透明。

 出会ってからここまで滅茶苦茶な言動ばかりの男に戸惑いっぱなしの美少女。

 この三者が出会ったのは、偶然か、はたまた必然か――。



――――



「さっきは取り乱して悪かった。俺は……ジール、だ。

 ディルベスタを目指して旅をしている途中だったんだが、たまたまこの辺りを通りかかってね」


「わたし、アイリス、っていいます。

 助けて頂き、ありがとうございました。

 この近くのエルデという村で薬師の見習いをしています」


(儂はダリアじゃ。

 名前以外の記憶が無くてな。

 何の因果か、こやつと一緒に旅をする羽目になっておる)



 アイリスの衝撃的な発言から、何とか冷静さを取り戻した俺は無難に自己紹介を済ませると、早速本題に入るため少女の方へと向き直る。



「……早速だけど、アイリス」


「はい、何でしょう」



 正直、何がどうなっているかは分からない。

 だが、これは間違いなく絶好の機会であることだけは間違いない。

 俺は頭の中をまとめきれないまま、ダリアを指差しながらアイリスに話しかける。



「こいつのことで少し話があるんだ」


「ダリアさんの? わたしは初めてお会いしたばかりですが……」



 こいつが俺の周りを浮遊するようになってから、俺の姿は軽く千を超える人々に目撃されている。

 だが、誰一人としてダリアという存在を認識できた人はいない。


 だから、ダリアとかいう半透明の女なんて、本当はこの世界にいないのではないか、

 おかしくなった俺の頭が産み出した幻視、幻聴、妄想なのではないか――

 と思い始めていた。


 そして、そんなときに現れた美しい薬師の娘。

 冗談や比喩ではなく、彼女は俺にとっての救いの女神となる可能性を秘めている。



「いや。むしろそっちの方が良いかもしれない」


「どういうことでしょうか……?」


(なに、難しい事ではない。聞かれたことに答えればいいんじゃよ)


「わ、わかりました。やってみます」



 まずは、ダリアが本当に俺が生み出した妄想ではない、ということを確定しておきたい。

 俺の生み出したものではなく、別な法則によって発生した現象なのであれば、それを解除する方法だって存在するはずだから。



「アイリスから見たダリアがどんな見た目をしているか、教えてほしいんだ」


(よし、しかと見るが良い)

 


 ダリアはアイリスの前に出て、腰に手を当てた無駄に偉そうなポーズで直立する。



「それは……見たまま、だと思いますが……」


「その見たままを言葉で話してほしい」


「はあ……。そんなことで良いのでしたら」

 


 いまいち要領を得ない様子のアイリスだったが、事前情報を入れすぎて変な不純物が混ざってほしくない。

 本当に、俺の見ているダリアがダリアであるのか――それが知りたい。



「そうですね……とても、奇麗な方だと思います」


(……なかなか正直な娘じゃな。見どころがあるぞ)


「あ、ありがとうございます」


「いやいや、お世辞は良いから」


(ふん。あの娘の目を見よ。あれが嘘をついている目か?)



 いや、俺はアイリスの目とかまともに見れないし。無理を言わないでくれ。



「もう少し具体的に……えーと、そうだな……例えば、服装はどんな感じ?」


「はい。とても高価そうな、上下がひとつながりになった黒い服を着ています。

 下は足首までの長さで、横の方に切れ込みが入っています。

 上はその、胸元がかなり開いているような、そんな感じです」


(儂もこの衣は気に入っておるぞ。まあ、これしか無いのは不満じゃがな)


「肌の色は?」


「白いです。とても」


「髪型は?」


「とても、奇麗な赤い髪です。

 前髪は眉のあたりで切り揃えられていて、あと、後ろ髪がとても長くて、腰の後ろ辺りで縛られています」


(儂の自慢の髪じゃ。羨ましかろう)


「顔はどんな?」


「とっても、綺麗な方だと思います」


(何と愛い奴じゃ!)


「いや、特徴とかさ」


「あ……そうですよね、すみません。

 えーと……瞳が赤いように見えます。あと耳が……少し長い……ような」


「…………」


「……あの。ジールさん?」


「………………ありがとう……完璧だ」


「あ、ありがとうございます」



 良かった。

 俺が見えているダリアだ。

 俺の頭はおかしくなんてなっていなかったんだ。

 実はアイリスまで俺の妄想でした、なんていう陳腐なオチでもない限り、こいつはちゃんと世界の法則に基づいて存在する半透明女なんだ。

 アイリスは、やっぱり俺にとっての救いの女神で間違いなかった。



(ほれ。だから幻などでは無いと言っておっただろう)


「あの、さっきから事情がよくわからないのですが……」


「ああ、悪かった。もっとゆっくり説明してあげたいんだけど……

 あいつらがいつ目を覚ますか分かんないし、できれば他の場所が良いかもな」


「別な場所、ですか。……あっ!」



 場所の移動を勧めた俺の言葉に、アイリスは即座に何か良い案を思いついたようだ。

 そして嬉しそうな顔で俺を見ると、ぱちん、と両手を合わせ「それでしたら!」と元気よく話しかけてきた……のだが。



「……あ」



 一つの大きな懸案事項が片付いて、安心してしまったタイミングだったことが良くなかったのだろう。

 つい、音に合わせてその方向を見てしまったのだ。

 目に入ったのは楽しそうなアイリスの顔。

 俺はそれを、真正面から見てしまった――!



「やば」



 目に入ったのは、くりくりの碧眼。

 そして、はっきりと視認できるほどに長い睫毛。

 危機を脱した興奮が収まらないのか、ほんの少し紅潮した頬。

 短めの茶色い癖っ毛。薄い唇。


 ――まずい、これは破壊力がありすぎる。

 これ以上見てしまったらまたしても制御不能になりかねない。

 危険だ。退避、退避。


 そう考えた俺は、俺は視点を下方向に退避し、安全圏と考えていた膝頭辺りに視線を向ける。



「ぜひ、お二人で……」



 だが、それで逃げ切れるほどアイリスは甘くは無かった。

 考えないようにしていたアイリスの『服装の際どさ』が、ここに来て本格的に牙を剥き始めてしまったのである。


 ……彼女の服装――それは、一言で言えばとても『個性的』。

 今まで通った町や村で見かけた娘たちの着ていた服とは機能性も、設計思想も、まるで異なるものだった。

 メインとなるワンピースは中央に穴の開いた一枚布を頭から被り、横部分の十か所程度を紐で結ぶ、という設計なのだとは思うが、結び目と結び目の中間地点に開いた隙間からは内側が見えてしまっている。

 もちろん、肌着のようなものは着ているようで、見えてはいけない部分に関してはしっかりとカバーされてはいるのだが、それでも十分に目のやりどころに困ってしまうことには変わりない。

 そして実は、今俺が見てしまっている下半分の方が側面よりも大問題だったりする。

 前後に二枚折にした布は丈が短いのか、膝上から太腿の半分くらいまでが見えてしまっているのだ。

 肉付きには多少発展の余地を残すものの、健康的な小麦色の肌はダリアとはまた違った方向性での魅力を感じさせてくる。

 また、薬師というだけに森へ行く機会も多いのだろう、あちこちの小さな虫刺されや切り傷の跡でさえ、彼女の飾らない魅力を引き出しているように思えてならない。

 ある意味安心感のある、ダリアの鉄壁スカートに慣れ切った身には、これらはいささか刺激が強す――



「――あの……」


「……」


「あのう、ジールさん……?

 ジールさんっ!

 聞いてますかっ!?」


「ぎりぅっ!?」


(上を見ても大王、下を見ても大王とは。

 お主、ようもそんなんで二十年以上も生きてこられたものよの)



 仕方ないだろ、俺は十年以上前に『王都』に拉致されてからずーっと男社会で生きてきたんだから。

 その間、身近な女性といえばあいつらくらいのもんで……。

 でもあれこそ兄妹というか家族みたいなもんだしなあ。

 あ、あと思い出そうとするとなぜか頭が拒否してしまうのだけど、ちょっと年上の一応性別上は女性、みたいな人はいたような気がする。



「す、すまん。少しボーっとしてた」


「大丈夫ですか? 少し遠いですけど」


「遠い? どこが?」


「え? あ、ええ。ゆっくりお話しするならエルデ村で、と言っていたのですが」


「あ、ああ! エルデね、うんうん、聞いてた聞いてた!

 いやほら、俺からしたらその程度は大したことないから! 楽勝だから!」


「そうですか! それは心強いですねっ」



 疑うことのない、アイリスの純真な笑顔。

 残念だが、大王の俺には眩しすぎる。

 所詮俺には横で呆れ顔をしているダリアの蔑んだ目くらいがお似合いなのさ。

 はあ……。



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