第一章 二人目の認識者

1章・第1話 ムッツリ大王


(なあ、お主)



 初夏の日差し、デコボコの道。紺碧こんぺきの空、半透明の浮遊物。



(ここのところ随分口数が少ないではないか。腹でも下したか?)



 額ににじむ汗、土にまみれたブーツ。遥か遠くの黒いもや、脳内響く謎の声。



(おい、無視するでない)



 汗をぬぐい、周囲を見渡す。

 はるか後方に旅人らしき二人組の気配がするだけでこの辺りの人間は俺しかいない。

 ならばきっと、空耳だろう。

 ――そう結論付けた俺は脳内へ伝わる声を無視し、再び足を動かす。



(……なんじゃ、まだ怒っておったのか。器の小さい男じゃのう)


「っ……」



 一瞬、反射的に口を開きそうになってしまった。

 幻聴にしてはピンポイントで怒りのツボを突いてくるじゃないか。



(やれやれ、あの程度すらも許せぬとはなあ。『騎士様』が聞いて呆れるわい)



 おい。それが謝る側の態度かよ。

 くそ、そのぱっつんと切り揃えた前髪に隠れたデコをひんいてひっぱたきたい。妙に長い耳を引っ張りたい。



(――まったく、仕様の無い奴じゃ)



 無視を決め込む俺にしびれを切らしたのか、雑音の主は何かを決心したようなつぶやきを残すと、俺の前へとすーっと移動してきた。

 人型の何かがこちらを向く。……何をするつもりだ?

 ――いやいや、気にしたら負け。目を合わせるな。



(……ジルバっ!)


「あん?」



 ……。

 ……しまった!

 久しぶりに本名を呼ばれたことで反射的に視線が声の方へ――



(ようやく、儂を見たの)



 自分へ注意を向けることに成功した魔女は心底たのしそうに口と目を三日月にして『にんまあああ』と笑う。



(これを先日のびとせい)



 そして、おもむろに黒いドレスのすそを掴むと――



(ほれっ! 釣りはいらんぞっ!)



 がばあ、と豪快にスカートをまくり上げたのだっ!



「っ! ――」




 ――それは深いスリットで前後が分かれているデザインながら、『見えそうで見えない』を強固に守り通してきた、言わば無敗の城門であった。

 だがそれも、自ら開くのであれば話は別。

 放たれた城門の中には、多くの者が求め、焦がれ、夢想した秘密の領域シークレットゾーンが広がり、しかも向こうから手招きをしているではないか!

 誘われるがまま桃源郷に飛び込めば、まず目に入るは中央に鎮座ちんざする『深紅の女王』。

 赤という色が子供っぽく感じてしまうほど妖艶ようえんなダークレッドが放つ威光は、見るものすべての瞳を焼き尽くす。

 そんな魅惑の女王は際どいラインでこちらを威嚇いかくしつつも、頭には可愛らしい黒いリボンを着けるなどして実にあざとく、とにもかくにも大変素晴らしい。女王様万歳。


 さて、素人はきらびやかな女王のみに目を奪われがちだが、忘れてはならないことがある。

 それは、王が名君であり続けるためには優れた従者が必要だということ。

 側に控える従者の一つ。美しいカーブを描いたくびれ、わずかな引っ掛かりさえ感じさせないであろう滑らかな表面、そして中央に佇むいじらしいくぼみを備えた上腹部。

 側に控える従者の二つは女王を支える二本の肉柱。弾けんばかりに身の詰まったそれらは、女王とともに魅惑の三角形ヴォイド・トライアングルを形成し、女王の隠れた魅力を引き出す重要な役割を担っている。

 それら単体でも主役を張れるだけのポテンシャルを秘めた従者の妖しく危うい白さは、彼女たちを覆い隠していた黒いドレスとのコントラストで、より鮮明に浮かび上がる。

 女王、腹部、太腿ふともも……それらが三位一体となり無知なる愚者にむちを打てば、簡単にとりこにされてしまうことだろう。

 ……これぞまさしくムチム――




(――おい?)


「ぶふぉおっ!!」



 はっ!? ほんの一セドンほどの間に俺は一体何を!?



(うおっ、汚いのう! ヨダレを飛ばすでない!)


「お、おま、おま、なに」


(ひっひっひ。どうじゃ? なかなかのものじゃろ?)


「と、とにかく、お、下ろせ、それ」


(なんじゃ、もう良いのか?)



 白黒女は『ニヤニヤ』いや、『ニタニタ』しながららすようにゆっくりスカートを下ろしていく。



(これで機嫌も直ったじゃろ?)



 完全にスカートが下りきったことを横目で見届け、ようやく背けていた顔を戻せた。

 こういうのは心の準備が大事なのだ。なかなか隙を見せないと思っていただけに、この不意打ちは完全に予想外。うまく脳に焼き付けられたかどうか……。

 いやいや、そういうことじゃなくて。



「……お前、こういうのはやめろ」



 どうせやるなら予告しろ、とかそういう意味ではない。何かの対価としてこういうことをされるのは俺の流儀に反するのだ。

 その証拠に、俺は王都でも裏通りにあるようないかがわしい店には一度も入ったことはない。



(こうでもせんとお主は話を聞かんかったじゃろ。まったく、わらしのように拗ねおってからに)


「当たり前だろ。俺が寝ている間に俺の身体で好き勝手しやがったのはどこのどいつだ」



 犯人の全く反省していない態度が、俺の嫌な記憶を蘇らせる。

 三日前の朝――酒場の二階にある簡易宿泊所のベッドで眠っていたはずの俺は……何故か一階のテーブルに突っ伏した状態で目を覚ました。

 周りには豪遊の跡、そして滅茶苦茶になった店内。

 疲れ果てた顔をした酒場の店主に出入り禁止を言い渡され、訳も分からず荷物をまとめて店を出る俺。

 そして、やけに軽くなった財布を見て、ようやく全てを悟ったのだ。

 『全部、こいつの仕業だ』と。

 問い詰めるまでも無く、犯人は簡単に自供した。



(そんなもの、酔って便所で寝入る方が悪いのじゃ)


「しょうがないだろ、酒飲んだの久々だったんだし」


(普段から慣らしておけばいいじゃろ。

 だいたい、お主は堅物すぎるのじゃ。

 酒も飲まず旨いものも食わず、一体何が楽しくて生きておる)


「そういうものは高いし、身体に悪いんだよ」


(毎日毎日、味のしない干し肉だのパンだのをかじってばかり。

 たまの人里くらい羽目を外しても良いじゃろ)


「……俺に不満があるなら他のやつのところへ行けよ」


(……それが出来れば苦労はせんわい)



 半透明の女――ダリア――は腕を組み、ぶすっとした表情で唇を尖らせる。

 これは失言。自分でも今の一言は余計だと思った。



「……悪い。言い過ぎた」


(ふん。今更遅いのじゃ)


「でもさ、やっぱりアレはやりすぎだって。

 俺もうあの町に行けないよ。

 みんないい人たちだったのに、逃げるように出てきたんだぞ」


(う……まあ、そうじゃの)



 今度は落ち着いて、諭すように話していく。

 そう、こいつは魔物じゃない。いちいち感情的にならず話せば分かってくれるはず。


 もし俺が人生経験豊富な人格者と呼ばれるような人間だったらこんなトラブルも起きず、きっともっとうまくやっていたのだろう。

 でも、残念ながら俺は俺。

 少し前まで浮世離れしたような場所にいて、上辺しか物事を知らない青二才である。

 こうやって、失敗しながら少しずつ学んでいくしかないのだ。



「だから、一回ちゃんとルールを決めておこうぜ」


(規則、とな)


「ああ。お互いに不満をめ込まないようにするための最低限のものだけどな」


(よかろう。望むところじゃ)



 まずは、二人だけの規則ルールを決める。

 いつまでこの状態が続くか分からないだけに、お互いのためにも再発防止策は必須となるだろう。



「それを守ってくれている限り、食事に関しては多少譲歩することを約束するから」


(本当か!)


「ああ。もちろん、財布に余裕があれば、だけどな。

 あと酒は――」


(――良い、良い!

 酒は無くても構わぬ!

 その分、甘いもの……特に『ぱい』や『たると』、それと『けえき』は山盛りで頼むぞ!)


「調子に乗んな。

 あんな高いもん、そんなに食えるわけねえだろ」


(なあに、その分お主が稼げば良いではないか!)


「……何か俺だけ損してる気がするんだが」



 俺が働いて、俺が金出して、俺が体に悪そうなものを食って、俺の味覚を共有しているダリアだけが喜ぶ。

 何だ、この不公平な仕組みは。



(んん?

 それならこれからもアレをやっても良いぞ?)


「………………いや、遠慮しとく」



 アレ、ってやっぱりさっきのアレだよな。甘いものを食う代わりに……ということなんだろう。

 だが、ここで受け入れたら「金払うからスカートをめくってくれ」って言ってるのと変わらなくなってしまう。

 それは違う。違うんだ。俺の流儀では『自分から求めてはいけない』のだ。

 そこのところを分かってくれないと困る。



(しかし、儂は他に返せるものがないぞ?)


「別にいらないって。

 ……てかさ、あんなことして恥ずかしくないの?」


(ふん。別に減るものでも無いからの)



 と、腰に手を当て、挑発的に唇をゆがめて笑う白黒(と一部暗赤ダークレッド)女。

 そういうのは見る側の理屈だと思うんだが。

 あと、あまり胸を張らないで欲しい。パツパツだから。



(それに、お主の『欲望』を発散させてやろうかとも思ってな。

 ――気になっておったのだろう? この下が)



 女はそう言ってほれほれとスカートを揺らす。

 スリットからチラチラと白い従者が見え隠れして、目のやりどころに困る。



「お、俺はそういうの興味ないから」


(いやいや。

 あれほど凝視していたくせにさすがにそれは無理があるじゃろ……)



 違う。あれは不意打ちだったからだ。もし心に余裕があれば顔の向きをらすことくらいできたのに、つい釘付けになってしまった。

 だが、ここで堪能たんのうしたことを認めてしまえば今後の生活が色々と不利になりかねない。状況は苦しいが、何とか押し返さなければ。



「そ、それはアレだ。えーと……

 そう、珍しい防具だと思ってな、つい」


(防具……?)


「そうだ、伝説の、その、し、『深紅しんくの腰巻き』かなーって」


(――こしま……ぷ、くく。

 鑑定の心得など無いくせによく言うわ、くっく)



 ダリアは口を押さえて吹き出すのをこらえながら、的確に事実を突いてくる。

 くそ、パンツに似合わず可愛くない奴だ。



「こう見えて、パ……腰巻きにはうるさくてな。

 鑑定眼なんて俺には不要なのさ」


(何とも限定的な趣味じゃのう。

 で、結果はどうじゃった?)


「残念だが、どこにでもある普通の腰巻きだな」


(おや。儂はけっこうなお宝じゃと思うとるんじゃが?)


「それはお前の思い込みだ」


(しっかり楽しんでおいてそれは無いじゃろ)


「ふっ。俺は知的好奇心が強くてな。そんな下劣な感情など微塵みじんもないぜ」



 やれやれと首をすくめる俺。



(――そうか、分かった。

 ……儂の、見当違いであったようじゃなあ)



 ダリアは卓越した俺の話術により納得したのか、一転して穏やかな表情に変わる。

 ようやく諦めたか。よしよし、俺のかわしテクニックもまだまだ錆付いていないな。


 ――だが、魔女とは人間を安心させ、巧みにその隙間へと入り込むもの。



(……と、見せかけて)



 俺が安心するその瞬間を狙っていたかのように、再びドレスのすそを掴むと――



(もう一丁じゃっ!)



 掛け声とともに! 再び! 『がばあっ!』と勢いよく両腕を上げたのだっ!



「むむっ!」



 ……が、上がったのは両腕だけだった!



 くそっ! フェイントか――!

 黒い城門はそのままで、女王様どころか従者の姿すら見当たらない。

 標的を見失った俺の鷹の目ホークアイが、空中を彷徨さまよう。



(……あっはっはっはっは!

 『むむっ!』じゃって!

 あは、あは、あはは)


「……」



 そんな俺を見て、空中で笑い転げる腐れ半透明ダリア

 そして派手に転げまわっている割に、何故かスカートはめくれたりはだけたりすることなく、足に張り付いている。


 ……ああ、そうか、あれ自分の意志で動かせるんだ。初めて知った。どおりでなあ。鉄壁なはずだわ。



――――



(はあ、はあ、ふう。やれやれ。いやはや、お主は大王じゃな)



 一通り笑いつくしたらしい半透明が言う。俺は王を超えた存在であると――



「――『大王』……だと?」


(そうじゃ。お主は大王。

 『ムッツリ大王』じゃ)


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