序章・第3話 口は激痛の元


 明かりは燭台しょくだいだけという薄暗さにもかかわらず、威勢いせいのいい話し声が飛び交う店内。

 その片隅の丸テーブルに俺たち四人が着席するなり、妙にそわそわした様子の店主がやってきた。



「やあやあ、いらっしゃい。

 おお? ジールさん! ついにパーティーに入ったんですか!」


「いえ――」


「いや、これから勧誘するところさ」



 俺の言葉をさえぎり、ローザが勝手なことを言う。

 ほんの少し滞在を延長するという話からだいぶ飛躍してしまっているようだが……。



「そうかい。まあ頑張んなよっ!

 で、ご注文は?」


「エールを四つ。あと……」



 店主の言葉に反応したローザがメニューなどらぬと、勝手知ったる風に次々に料理を注文していく。それを「あいよ」と暗記していく店主の男。

 そんなやり取りを眺めていた俺に丸テーブルの左側に座った男から声が掛かる。



「何だあ、ジール君。ここの親父とは知り合いかい?」


「ええ。ここの二階で寝泊まりさせてもらってまして」


「ああ、なーるほどね」



 クエスト帰りですっかり無精ぶしょうひげが伸びていたトラックスは、いきなり引っ張られてきたのにも関わらずだいぶリラックスしている様子。

 冒険者たるもの、こういったことは日常茶飯事さはんじなのだろう。



「宿代がかなり浮いて助かりました」


「それは何よりだ」


「トラックスさんのアドバイスのお陰ですよ。ありがとうございました」


「いやいや、俺も好きでやってるだけだからさあ」


「……他人のこともいいけど、少しは自分のことも気にして」


「いやいや、プリムちゃん。俺、ちゃんとしてるだろう?」


「どこが。汚いし、ボロボロだし、山賊みたいな恰好かっこうしてるくせに」


「たはー。相変わらず、キッツイなあ」



 プリムが会話に混じってきたが、彼女の能力を警戒している俺はすぐに一歩引いて視線をらす。

 そして、そろそろ注文も終わる頃だろうとローザの方へと顔を向けた。



「――まあ、とりあえずはこんなもんかな」


「へへへ、毎度どうも」



 予想通り、丁度良いタイミング。

 このままローザに適当な世間話でも振ろうか――と考えたが、それは未遂に終わってしまう。



「いやあ、それにしてもお客さん、運が良いよ!」



 何故か店主の男がテーブルの側から離れようとせず、そこにとどまっていたため話しかけるタイミングをいっしてしまったのだ。

 どうやら彼はまだ何か話があったらしく、両腕を広げて話を続けてくる。



「いえね、各地を回ってるっていう菓子職人がいるんですがね。

 それが今日はウチで腕を振るってくれてるんですよ」


(か、菓子じゃとっ!?)


「へえ。でも菓子ってあれだろう?

 質の悪い麦を使った、やったら硬くて味の薄い石みたいな」


「いえいえ、そうじゃないんです。

 何でも、『中央』で修業した……パテシ? だか何だかで、砂糖やら卵やら乳やらをふんだんに使ったそれはもう見事なもんでしてね。

 味見はしましたが、もうこの世のものとは思えないくらいで」



 うまく話題は切り替わったものの、これはこれですごくタイムリーな話である。

 こんなの、あまりに都合が良すぎやしないだろうか?



(な、な、なんじゃとっ!

 おい聞いたか、お主!

 卵じゃと! 乳じゃと! この世のものとは思えないんじゃと!)


随分ずいぶんと高級な食材を使うんですね……。お値段はどのくらいで?」


(馬鹿者! 値段など気にするな!)



 気にするわ。

 せっかく今日のクエストで目標額の銀貨二十枚に到達したんだ。

 無駄遣いなんて出来るわけがないだろ。



「……まあ。お値段はそれなりに。

 えーと……パイ、ってのが一切れ大銅貨四枚半。

 タルト、ってのが一切れ大銅貨五枚。

 ケーキ、ってのが一切れ大銅貨六枚。

 ってとこでして」


「はあ!?

 菓子一切れに大六枚だって!?

 馬鹿馬鹿しい、それ一つでここの払いが出来ちまうじゃないか!」



 なるほど、ちゃんとホール担当の使用人がいるのに、わざわざ店主自ら接客に来たのはこういうわけか。

 恐らくは稼ぎの良いローザの来店を見て、直接売り込みに来たのだろう。


 でも、流石にこれは高すぎる。

 一切れ大銅貨六枚ということは五個食べたら今日の討伐報酬である銀貨三枚が消えてしまうということだ。

 更に言えばここの宿代は素泊まりで一泊大銅貨一枚半。

 ケーキ一切れと、屋根のあるベッドで四日間就寝できる権利が同等というのはどう考えても割に合わない。



「いや、その、それでも非常に珍しい食べ物でして」



 ローザからの至極しごく当然な拒否反応により、店主は徐々にトーンダウンしていく。



「まあ。ですので、余裕があれば話のタネにでも、と」



 そして最後には売り文句としては弱気すぎる言葉で締め、テーブルを離れようとした。



「ああ、分かった分かった。飲み終わった後に気が向いたら注文してやるよ」


「ええ、是非ぜひ



 肩を落としてカウンターの方へ向かう店主。

 何やら「これじゃ大赤字だ、やっぱりやめとけば良かった」などと悲しいつぶやきをこぼしている。



(あ、ああ、おい、店主が行ってしまうぞ、ほれ、早う注文せんか!)



 ……一応は約束してしまった以上、酒はエール、そして甘いものは適当に果物でも、と考えていたのだが……。


 はてさて、この悪意のありそうな運命的な偶然をどう考えるべきだろうか。

 ダリアの言う『責任』を取るいわれは一切無い、という考え自体は変わっていないが、一時の感情に任せて意趣いしゅ返しのような、大人げないことをしてしまったのも事実。


 あと、普段は少し冷たい表情をしていることの多いこいつが中央で流行はやっていた甘味を食べたときにどんな顔をするのか――単純に見てみたい気がしないでもない。


 哀愁あいしゅうを漂わせた店主が一歩、二歩とカウンターへ向かって歩き出した。

 この空気感だと後になるほど頼みにくくなりそうな気がする。迷っている時間はない。



「あのー」


「ん?

 ……ジールさん、どうかしましたか?」



 一瞬の沈黙。ダリアも含めた、五人の視線が俺に集まる。



「……一切れ、ください」


「え?」


「パイを。一切れ」


「……おおっ!

 あ、ありがとうございます!」


(お主という奴はぁっ! 儂はやってくれると信じておったぞっ!)


「おいおい、アンタ」



 全く興味がなさそうにしていた男が突然、高級な菓子を注文したことで俺達のテーブルは騒然となった。

 いや、正確には姿が見えず声も聞こえない幽霊みたいな女が一人で騒いでいるだけなのだが……。

 他の三人は驚きと疑問に満ちた、つまりは『こいつ何やってんだ?』みたいな目で見ているだけなので実際にはきっと静かなのだろう。



「どうしても、必要になりまして」


「……いや、こっちも驚いて悪かった。

 アンタ、それほど甘いものが好きだったんだねえ。

 本当のことを言うとさ、実はアタシも気にはなってたんだ」


「私も食べたい」


「おっ、プリムもかい!」


「甘いものが嫌いな女子はいない」


「あっはっは、まったくもって同感さね!」


「いや、はや。ローザさんは女子っていうよりじょけ――いだあっ!」



 トラックスが何かを言いかけた途端、突然テーブルの下から爆発音のような凄い音がとどろいた。



「余計なことを言うんじゃないよ。

 せっかくアンタたちの無事を祝ってやろうってのに、帰ってきてからケガをするのは馬鹿らしいと思わないのかい?」


「おじさん、パイを一つ追加」


「アタシのも頼むよ」



 すねを押さえて飛び上がっているパーティーメンバーを気にもめず、平然と追加注文をするプリムとローザ。

 どうやらトラックスの分はないらしい。

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