序章・第4話 酸味、甘味、歓喜

「お買い上げありがとうございます!

 それでその、値段が値段なもので、前金になりますが……」



 店主の言葉を聞いた俺を含む三人は、それぞれ自分の財布から大銅貨四枚と銅貨五枚をまみだし、店主へと渡す。



「……にーさんしーごー、と。

 はい、パイ三つで銀一枚、大三枚半! 確かに頂きました!

 冷やしてありますんですぐにでもお持ちできますが、どうしますか?」


「アタシは後でいいよ。エールには合わなさそうだし」


「私も後にしようかな」


「じゃ、僕のだけ先に持ってきてもらえますか?」


承知しょうちしました。少々お待ちくださいねっ!」



 すっかり上機嫌になった店主は足早に去っていった。

 そしてカウンターに着くと、店中に聞こえる様な声でたった今注文された菓子を厨房に伝える。

 店内がざわつきようからして、宣伝効果は十分と言ったところだろう。



 その後、注文からほどなくして両手に木製のジョッキを二つずつ握った給仕係がやってきた。



「お待たせしましたー。エール四つですー」


「おお、来た来た!」


 

 ローザが女性に代金とチップを渡している間に俺がエールの入ったジョッキを配る。

 そして、全員が取っ手を握ったことを確認したトラックスが乾杯の音頭おんどを取り始めた。



「ま、色々ありますがね、このひとときくらいは気楽に楽しみましょうや」


「そうだね。じゃあ、二人の無事を祝って」


「みんな元気でいることに感謝を」


「……」



 三人の視線が俺に集まる。



「……僕も?」



 三人はこくりと頷く。

 どうやら、こういう時は一人一言付けるのがこの町での流儀らしい。



「ええと……国王陛下のご健勝を願って」


「――乾杯!」



 掛け声とともにジョッキ同士をぶつかり合わせ、そしてすかさず流し込む。

 相変わらず苦くて酸っぱくて、大して美味いとも思えない飲み物だ。

 ただ、冷却魔術で程良く冷やされたエールの炭酸が喉を通りすぎる瞬間の心地よさは他ではなかなか味わうことができない。

 総合的に考えれば、やはりこれはこれで悪くない飲み物だと思う。



(……む。何じゃ、これは)



 一方、これを熱望していたダリアは非常にしぶい顔をしていた。



(酒場の人間たちがいつも美味そうに飲んでいるのを見ていたが……儂の口には合わんようじゃ)



 まあ、酒の本分は喉越しを感じることと、そして何より酔う事にあるようなものだからな。

 味覚を共有しているだけで、触覚やその後の酩酊めいてい感までは感じられないダリアにとってはただ苦酸っぱい味しかしないはずだ。

 もちろん、『中央』の晩餐ばんさん会で出るような果実酒や蒸留酒といった飲み物だとまた感想も変わってくるとは思うが、そんな高級品で味を占められても困る。



「お待たせしました、パイです」


「おおぉー」


(こ、ここ、これが、ぱい、という菓子か!)



 周りから思わず上がる感嘆かんたんの声。

 それはこちらをのぞき込んでいた隣のテーブルからも聞こえてきている。


 驚くのも無理はない。

 普段の酒場で出されているような武骨で野性味あふれる料理とは違い、それは優雅でかつ魅惑的という、例えるなら『ギルド内のダリア』といった感じなのだから。


 切り分けられたチーズのように細長い三角形をしたそれは、小麦色の表面が燭台の明かりを受け『てかてか』と光り、断面からは卵の色をした柔らかそうなソースがのぞく。

 しかも、それはたっぷりと詰まっていることを主張するかのように、表面からはみ出しているのだ。

 見る人間の『食べ物』の常識を覆す、そんな見た目である。


 ……とまあ、事細かに描写しているが、実はこの俺、パイという菓子を見たのは初めてではなかったりする。

 もっと言えばタルトも、ケーキも。


 だが、見たことがあるだけで、食べるのは正真正銘の初体験。

 横目で見ていただけの当時は食べたいとも思わなかったが、こうして自分のモノとなると途端に詳細を観察したくなるほど魅惑的に見えてくるのが不思議だ。



「じゃ、失礼して」


 さく。


 先端から三分の一程度の場所に木さじを割り入れると、軽快な音とともに滑るような感触が指に伝わる。


 誰かがごくりと生唾を飲み込んだ。

 その誰かをらすため、俺は木さじの上に乗せたそれの香りを体内へとたっぷり送り込む。


 焼けた小麦の香ばしさと、乳と卵のやわらかな香り。

 そして何かは分からないが、甘ったるい独特の香り。

 いやはや……これが不味いはずがない。



(は、早く、口にっ)



 どうやら彼女ももう限界らしい。

 それでは俺も大銅貨四枚半分、じっくりと味わわせてもらうとしよう。



「いただきます」 



 木さじを口に入れた。

 ――瞬間、心の中でため息が出る。

 これは……確かに美味い。


 とろりとした卵と乳のられた濃厚なソースがさっくりとした小麦の生地と絡み合って、実に良く合う。

 別々に食べてもそれはそれで美味いのだろうが、一緒に咀嚼そしゃくすればこそ混然一体となった旨味へと昇華する、計算し尽くされた贅沢品。

 もはやこれは料理というより芸術に近い逸品いっぴんではないだろうか。


 美味しい。間違いなく美味だ。毎日食べてもきっと飽きることは無いだろう。

 ただ、直感的にこれは心と体の贅肉ぜいにくになりそうな食べ物だ、とも感じた。

 『美味しいものほど心身に悪い』と言ったのは『先輩』だったか鬼教官だったか、一体誰の言葉だったっけ。


 ……まあ、地獄にいたそんな過去の話より、肝心なのは甘味を所望しょもうした本人がお気に召しているかどうか、だろう。

 できれば同じ感想でいてほしい、と思いながら彼女の様子を見てみると――



(――――――!)



 ダリアは顔を紅潮させ、ぎゅっと目を閉じ、全身をぶるぶると震わせていた。

 全く見たことの無い表情だけど、これがどの感情に属するかは直感的に分かる。

 歓声や派手な動作が無くとも感動を伝える方法はあるのだ、と思わせるほどの喜び。


 俺はその様子に満足感を覚えながらパイだったものを喉の奥に送り込んだ。

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