第七話
帝国の高等弁務官が黝簾の間から立ち去った直後、宮殿を襲った爆発音と振動は会場にいる全員を騒然とさせた。
「誰かある! 今の爆発音の原因を報告せよ!」
いち早く混乱から立ち直ったアレクシアが叫ぶと、蒼白な顔をした近衛兵が息を切らし黝簾の間に駆け込んできた。
「ほ、報告ッ! 帝国軍の空中艦五隻が王都に襲来。先程の爆発音ですが、空中艦の砲撃により大城門が破壊された音になります」
「大城門が……ただちに修復に入ることは可能か?」
「残念ながら。大城門付近は空中艦から降りた帝国軍によって制圧されました。近衛の主力は宮殿城壁の周辺に配置されていたこともあり、効果的な防衛行動に入ることができず……」
報告を聞いたアレクシアは、思わず唇を噛む。
式典での万が一を考慮し近衛の各連隊を宮殿の周囲に配したことが裏目に出てしまい、大城門や城壁の守りは薄く外敵からの攻撃に脆弱になっていた。
「帝国軍の動きは? 王都内へ進攻を開始しているのか?」
「いえ。帝国軍は三隻の空中艦を城壁外へ降下させ、兵や物資の荷下ろしを行っております」
「――近衛の各連隊はただちに戦闘配置につくよう命じろ。宮殿城壁を中心にして防衛線を敷き帝国軍を迎え撃つ」
「はっ」
伝令を送り出したアレクシアは会場を警備する近衛兵に貴族と官僚たちを避難させるように命じ、自分はオーフェリアの傍に歩み寄る。
「陛下、帝国軍が攻めてまいりました。ただちに防護室へ避難いたします」
「わかりました。アレクシア、防護室へはシノミヤ閣下たちも一緒にご案内しなさい」
「で、ですが……」
オーフェリアの言葉に、アレクシアは戸惑いの表情を浮かべる。
王族や閣僚といった王国の最重要人物たちを収容するための防護室は国家機密であり、他国の人間である蔵人たちを連れていくというのは簡単に承諾できることではなかった。
「構いません。イーダフェルトの方々も防護室へお連れしなさい」
「……かしこまりました。シノミヤ閣下、これより防護室へ向かいますので我々の後に続いてください」
「わかりました」
蔵人が頷き席から立ち上がると、ウォルターズの指示で護衛官たちが懐から拳銃を取り出し周囲を固める。
「まさかこのタイミングで襲撃されるとは……本土は気付いているだろうか」
「大丈夫でしょう。今回のためにグローバルホークが上空を飛行しています。今の状況は本土でも把握しているでしょう」
アレクシアたちの後に続き黝簾の間を出た蔵人とシルヴィアは、周囲に聞こえぬよう小声で話しながら廊下を進む。
「防護室に着き次第、本土へ『黄昏』を通達。我が軍のお披露目としても丁度いいだろう」
「かしこまりました」
蔵人の指示に、シルヴィアも首肯する。
二人の会話で出た「黄昏」とは、今回の式典で緊急事態が生じた場合に使用される特別な符丁で事前に待機させていたイーダフェルト軍部隊の出動要請だった。
「ウォルターズ、宮殿前広場に駐機させているヘリのパイロットと警備の警護官たちは?」
「重要書類を焼却処分後、近衛兵の誘導で宮殿のセーフルームに避難しました。ヘリが帝国軍の標的にならなければいいのですが……」
「ヘリだけでも緊急離陸して退避できなかったのか?」
「可能かもしれませんが、空中艦に搭載されている兵装が不明なため危険だと判断しました」
「そうか」
ウォルターズとの会話を終えて移動に集中しようとしたとき、王国側の足が止まり近衛兵たちが周囲を警戒し始める。
何事かと思い蔵人が前を見ると、廊下の向こうから近衛兵が走ってくるのが見えた。
「報告ッ! 現在、高等弁務官護衛の兵たちと宮殿内で交せ――」
走りながら状況を報せる近衛兵が廊下の交差部に差し掛かった瞬間、横から銃弾を浴びて絶命した。
「一人仕留めた。これでスコアは並んだな」
「言ってろ。これから差を広げてやるよ」
「少尉殿、私の獲物も残しておいてくださいよ」
軽口を言い合いながら交差の角から姿を現したのは、近衛兵や王国兵ではないモスグリーンで統一されたドイツ国防軍のような軍服とヘルメットで身を固めた数名の兵士。
さらに蔵人たちイーダフェルトの人間を驚かせたのは、彼らの手にしている銃がこの世界の水準ではありえないGew43に似ているということだった。
「んっ? ……おい、兵士たちの中にいるのオーフェリアじゃないか?」
「――間違いない。オーフェリアだ」
「こりゃ運がいい。ここで捕えれば昇進と勲章をもらえるチャンスだぞ」
オーフェリアの姿に色めき立つ帝国兵たちに対し、近衛兵たちは腰に差したサーベルに手を伸ばそうとする。
「動くなッ! それ以上動くと、オーフェリア共々そこに転がっている奴のようになるぞ」
そう言って銃口を向ける帝国兵たちに、近衛兵はたじろぎサーベルの柄から手を離す。
「主様、攻撃の許可を……」
「まだ動くな。今変な動きをすれば、前にいる近衛兵やオーフェリア陛下に被害が出る」
シルヴィアの進言を退けた蔵人は帝国兵たちの動きを観察し、確実に全員を倒せる隙ができるのを待つ。
「――よし。オーフェリアは前に出てこい。そうすれば、ここにいる全員の命だけは助けてやる」
「……わかりました」
「へ、陛下、お待ちください!」
「帝国兵の言葉に従ってはなりません!」
アレクシアや近衛兵が思い留まるよう声をかけるが、オーフェリアは近衛兵の壁を割って帝国兵たちの前に出る。
「ほう。さすが王国の至宝と言われるだけはあるな」
「こんな美人に色々お世話してもらいてえな」
「捕縛の命令さえなければ、この場でひん剥いてやったのにな」
帝国兵たちの品性の欠片もない会話に、近衛兵たちは悔しさで体を震わす。
そんな近衛兵たちの姿に気が緩み向けていた銃口が下がった瞬間、それを見逃さなかった蔵人が叫んだ。
「王国の人間はその場に伏せろッ!」
突然の声に近衛兵とオーフェリアは訳もわからないままその場にしゃがみ、護衛官たちは弾かれたようにP229を棒立ちになっている帝国兵たちに向ける。
「なっ……えっ?」
「撃てぇ!」
複数の銃声が廊下に響き、困惑した表情の帝国兵たちに次々と.357SIG弾が浴びせられる。
勝敗は数秒で決し、廊下には複数の弾痕がついた帝国兵の死体が転がっていた。
「撃ち方止め! オーフェリア陛下、お怪我はありませんか?」
オーフェリアに駆け寄った蔵人は、手を差し出し起き上がらせる。
「え、ええ。大丈夫です」
「手荒な手段となってしまい申し訳ありません。あの状況下では、ほかに方法がありませんでした」
「感謝こそすれ、非難する理由などありません。シノミヤ閣下、ありがとうございました」
「陛下、まずは防護室へ移動を――ッ!?」
続いて駆け寄ったアレクシアに促されてその場から移動しようとしたとき、まだ息のあった帝国兵が起き上がり銃剣を振り上げ蔵人に襲いかかった。
「死ねぇえええ!」
「主様ァ!」
「「「閣下ッ!」」」
身体が固まる蔵人だったが、即座に死んだ帝国兵の傍らに転がっていた銃剣付きの小銃を拾い襲いくる帝国兵に突き刺した。
「ぐっ……クソが……」
銃剣の突き刺さった帝国兵は膝をつくと、蔵人を睨み呪詛を吐きながら息絶えた。
「主様! 主様、ご無事ですか!?」
「護衛官は帝国兵の確認を徹底しろ。二度とこのようなことを起こすな!」
呆然と立ち尽くす蔵人にシルヴィアが慌てて近寄ると、全身をくまなく触り怪我がないか確認する。
「あ、ああ。俺は大丈夫だ。それより、帝国兵の持っていた武器と弾薬を回収。本土に戻り次第、統合軍需省に詳細な解析を依頼しろ」
「かしこまりました。ウォルターズ」
「はっ」
ウォルターズの指示で帝国兵たちの装備品を回収し終えると、一行は再びアレクシアを先頭に防護室に続く隠し通路のある部屋へ急いだ。
「――ここです。早く中へ」
通された部屋は高級そうな机と本棚しかない普通の書斎と思われる場所だった。
そんな変哲もない部屋でアレクシアがいくつかの手順を踏み扉の右手にある本棚を動かすと、隠し部屋に繋がる重厚な造りの扉が姿を現す。
「この扉の先が防護室となります。私は前線で指揮を執りますので、後のことは私の部下の指示に従ってください」
促されるままオーフェリアと蔵人たちが扉の中へ入ると、アレクシアは外から扉を閉め本棚を元の位置へ戻し部屋を後にするのだった。
* * *
――蔵人たちが防護室へ向かっている頃。
イーダフェルト本土の総帥府庁舎ビル地下五階に設けられた総帥軍危機管理センターは、蜂の巣を突いたような騒ぎに包まれていた。
「――情報参謀、状況を」
副官からの急報を受け自分の執務室から危機管理センターに降りた小夜は、最上段に置かれている長卓に腰を下ろしながら尋ねた。
「今から二十分前、総帥閣下が訪問されているローゼルディア王国王都ヴィレンツィアが帝国軍と思われる軍勢に襲撃されました。現在は、城下を制圧しながら二個連隊規模の兵力が宮殿を守る王国軍部隊と交戦中です」
「帝国と王国は離れていたはずだが、どうやって王都に襲撃を?」
「こちらの画像をご覧ください」
情報参謀が部屋の隅でコンソールを操作する女性士官に目配せすると、それぞれの座席に備え付けられたモニターにRQ-4が撮影したと思われる画像が表示される。
画像では至る所で黒煙が上がるヴィレンツィアの上空に、巨大な矩形の物体が浮かんでいるのが確認できた。
「なるほど。これで兵力を運んできたということか」
「詳細な性能や武装は不明ですが、ヴィレンツィアの状況から複数の火砲を搭載しているのは確実だと思われます」
「ふむ。ご主人様の動向は把握できているのか?」
「十分前にウォルターズ少将から連絡がありました。王国側の要人と一緒に緊急用のシェルターに向かっているとのことです」
「そう。それなら、多少は時間が稼げそうね」
報告を聞き終え小夜が思案気な表情を浮かべていると、参謀の一人が手を挙げた。
「閣下、状況は切迫しております。一刻も早く即応待機させている部隊をヴィレンツィアに向かわせるべきです」
この参謀の発言に、別の参謀が反論する。
「総帥閣下の命令もなしに部隊を出しては我々の独断専行になる。部隊の出動は慎重を期すべきだろう」
「そんな悠長なことを言っている場合か!? このままでは手遅れになるぞ!」
「だが我々は総帥閣下の軍隊だ。勝手に動くことは許されん」
参謀たちの間で喧々諤々の議論が繰り広げられる中、静かに様子を見守っていた小夜がおもむろに口を開いた。
「今の段階では情報が少なすぎる。統合参謀本部のアッシュフォード議長に通信を繋ぎなさい」
小夜が命じると、モニターの画面が切り替わり統合参謀本部の国家軍事指揮センターで対応に追われているアッシュフォードの姿が映し出された。
「アッシュフォード議長、王都の状況は統合参謀本部でも把握していますね」
『はい、閣下』
「正規軍の状況について教えていただけますか」
「王都襲撃の一報が入った直後に、即応待機中の部隊に加え空中給油飛行隊と航空管制飛行隊に緊急招集をかけました。また、洋上に展開中の第十一海兵遠征部隊にも作戦準備命令を出しています。ご命令があり次第、一定の戦力をヴィレンツィアへ――」
報告の途中、参謀の一人がアッシュフォードに近寄り耳打ちする。
「アッシュフォード議長?」
次第に眉根を寄せるアッシュフォードの表情に、小夜は訝し気な視線を向ける。
「失礼しました。王国東部に展開中の深部偵察隊からです。総帥閣下救出のため、王都へ向かう許可を願うと……」
「却下します。深部偵察隊の規模を考えればどうにもならないでしょう」
「はっ」
小夜の判断に、アッシュフォードは反論することなく頷く。
王都東部に潜入中の深部偵察隊は小規模な部隊であり、拠点が置かれている位置を考えても到底間に合うはずがないと判断してのことだった。
「とにかく、正規軍もそのまま今の態勢を維持――」
指示を途中で止めた小夜は、参謀から手渡された紙片の内容に目を走らせ画面の向こうにいるアッシュフォードに向き直る。
「ご主人様より『黄昏』が発せられました。アッシュフォード議長、即応待機中の全部隊に出撃命令を。ここからは時間との勝負です。急ぎなさい」
『了解しました』
指示を出し通信を終えた小夜は、自分に視線を向ける参謀たちを一巡し厳かな口調で告げる。
「聞いてのとおりです。総帥軍もただちに作戦行動に入ります。これ以上、ご主人様を危険に晒してはなりません」
「「「はっ!」」」
力強く頷いた参謀たちは席から立ち上がると、各部隊への指示や調整のため慌ただしく奔走し始める。
――符丁「黄昏」が発せられてから五分後。
イーダフェルト本土の各空軍基地からミサイルや精密誘導爆弾を搭載した戦闘機や戦闘爆撃機が一斉に発進すると、上空で編隊を組み北西二五〇〇キロのヴィレンツィア目指し雲間へと消え去った。
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