第十七話

 総兵力三十万を誇るダールヴェニア帝国侵攻軍の総司令部が置かれるルーヴェスト要塞。

 普段なら戦勝気分が漂っているはずの作戦指揮所では、金糸や銀糸で編まれた飾緒を下げた士官や将官が慌ただしく行き交い蜂の巣を突いたような混乱に包まれていた。


「第13補給処との通信途絶!」

「馬鹿な!? つい五分前まで連絡が取れていたんだぞ!?」

「第9野戦通信隊とも通信できません!」

「各軍司令部が応答するまで呼び出し続けろ!繋がり次第、各軍隷下部隊の所在と通信網の状況について問いただせ!」


 作戦指揮所に隣接する通信室では、次々と交信を断つ部隊や拠点の増加に動揺する兵士たちの悲鳴にも似た怒声が飛び交う。


「幕僚長、これは……」

「ううむ。一連の混乱は敵の攻撃と見るべきだろうか……」


 通信室からもたらされる情報が書き込まれた戦況図を前に、侵攻軍幕僚長ゲラルト・ディ・ベルツ陸軍中将は顔を引き攣らせる。

 通信が途絶したことを示すバツ印は未明から増加の一途を辿り、今やその数は三十を超えようとしていた。


「幕僚長、現時点で連絡のつく部隊だけでも後退させましょう」

「後退だと?」

「これが敵の攻撃ならば、近いうちに地上軍による反攻が行われると考えるべきでしょう。ですが、混乱する今の状況では前線で敵を迎え撃つことは不可能に近い。ここは戦力の大半が無事な今のうちに前線を下げ、部隊を再編し態勢を立て直すべきです」

「……それは私の一存で決められることではない。全ての前線を下げるとなれば、総司令官閣下にお伺いを立てなくてはならん」


 苦々しい表情を浮かべるベルツは、絞り出すような声で幕僚の意見具申を却下した。


「これは一体何の騒ぎだ? 何が起きたというのだ?」


 その声がした瞬間、作戦指揮所に詰める全員の視線が入口の方を向いた。

 悠然とした歩調で作戦指揮所に足を踏み入れた侵攻軍総司令官ルネリッツ・ヴィル・ダルベック陸軍大将は、作戦台の周囲に固まる幕僚たちを睨みつけるように見回す。


「これは……幕僚長、これは一体どういうことか?」


 自らの出自と閨閥の力により三十代という若さで今の地位を手にした若き将軍は、作戦台に広げられた戦況図に目を凝らしベルツを詰問するかのように尋ねた。


「申し上げます閣下。本日未明、航空軍港五ヶ所からの通信が一斉に途絶。ヘルネ軍港から五十キロの位置に展開する第121歩兵連隊に偵察を出させたところ、敵からと思われる攻撃により航空軍港は全ての機能を喪失したことが確認されました」

「機能の喪失……? こ、航空軍港が壊滅したというのか?」

「その通りです。本官も俄かには信じられませんが」


 言葉を失い口をパクパクと動かすダルベルクに構うことなく、ベルツは報告を続ける。


「航空軍港の通信途絶を皮切りに、前線に展開する各部隊及び後方に位置する補給処や貨物駅との通信も途絶えつつあります」

「そ、それも敵の攻撃だというのか?」

「情報が錯綜しているため何とも言えませんが、可能性は高いかと」

「……」


 報告を聞き終えたダルベルクは、絶句したまま指示を出すことなく戦況図の前で固まる。

 帝国幼年学校と士官学校を首席で卒業したダルベルクは決して無能というわけではなかったが、経験したことのない未知の攻撃は彼自身の処理能力を大幅に超過させた。


「閣下――」


 そんなダルベルクに、ベルツに意見具申した幕僚が進み出た。


「前線を後退させましょう。いずれ始まる敵の反攻を迎え撃つためにも態勢を立て直すべきです」

「馬鹿なッ!?」


 侵攻軍の置かれている状況を考えると良策だと思えたが、ダルベルクは案を聞くなり目を剥いて声を荒げた。


「貴様は今までに得た領土を放棄しろというのか!? その放棄した領土について私は参謀本部に、護国卿閣下になんと申し開きをすればいい!?」


 ダルベルクの剣幕に気圧されて、幕僚は思わず後退る。

 その様子を見ていた幕僚たちは、自分たちが付き従う若き指揮官にとって侵攻軍の命運のことなど考慮の外であったことに唖然とするのだった。


「……維持だ」

「閣下、今なんと?」

「前線の各部隊には現状を維持させよ。精強なる帝国軍将兵ならこれぐらいの逆境は凌いで当然である」

「……」

「復唱はどうした!」

「は、はっ! 各地へ伝令を出し、前線の維持に努めさせます」


 ダルベルクの一喝を受け、幕僚たちが慌ただしく動き始める。

 こうして前線の状況を一切把握できないまま対応を取り始めた総司令部は、この後も前線の詳細な情報を得ることが出来ず迷走し徒に被害を増やすことになるのだった。


      *      *


 至る所で雷のような爆発音が響く前線。

 通信網や補給網が寸断されたことによる混乱から抜け出せない部隊が多い中、北部軍に属する第38師団は比較的早くから混乱から立ち直っていた。


「北部軍司令部との通信はどうか? 繋がったか?」


 擬装網を被せた天幕の中で、第38師団長フォルセル・ギル・クラナッハ中将は傍らの通信幕僚に尋ねた。


「変わらず応答ありません」

「やはりどこかで電話線が切断されたか……」


 クラナッハは知る由もないが、第38師団の後方に位置する北部軍司令部はルドルフォア基地を発進したF-15EXの編隊から投下された数十発のJDAMにより跡形もなく吹き飛ばされ軍司令官のツェーザル・ヴィン・ベンゲン大将を含めた司令部要員は全員が戦死していた。


「総司令部へ指示を求めますか?」

「その必要はない。このような想定外の事態をあの坊ちゃん将軍が収束できるとは思えん」


 クラナッハは薄笑いを浮かべそう言うと、別の幕僚から渡された報告書に目を通す。

 出自と閨閥の力で総司令官の座に就いたダルベルクの能力をクラナッハは懐疑的に見ており、通信に異常が生じ始めた時点で彼の率いる第38師団は独自に動き出していた。


「各連隊に被害はないが、補給処が壊滅か……」


 報告書を読み終えたクラナッハは、自分たちの生命線が立たれたことに顔を顰める。

 通信の異常を敵の攻撃によるものだと直感したクラナッハは麾下の三個歩兵連隊に対し最低限の装備を持って宿営地から離れるよう指示していたが、大量の物資を集積する補給処だけはどうすることも出来ず一先ず人員だけを退避させていた。


「一部の兵たちが機転を利かせ自動貨車に積み込めるだけの物資を載せて退避したようですが、その量も微々たるものでしょう。現在、補給部で持ち出された物資の確認作業を行っております」

「そうか。まあ、持ち出せないよりマシだろう。各部隊への配分は貴官に任せる。出来るだけ公平に分配してやれ」

「はっ」


 補給幕僚を下がらせたクラナッハは、通信兵たちと打合せていた通信幕僚を再度呼んだ。


「各連隊との連絡は確立しているのだな?」

「はい。先程、各連隊との間に電話線の敷設が完了しました。これで問題なく連絡が取り合えます」

「よくやった。あとは軍司令部や他の師団とも連絡体制が確立できれば文句ないのだが……」

「閣下、軍司令部へ向かった伝令が戻ってきました」

「ようやくか」


 クラナッハは安堵の色を浮かべると、バイクから降りた伝令兵が駆け寄ってきた。


「報告します! 軍司令部は……軍司令部は壊滅したことを確認いたしました」

「軍司令部が壊滅……? それは間違いないのか?」

「間違いありません。司令部の置かれていた地点に破壊された自動貨車や天幕の残骸を確認しました」


 伝令兵からの衝撃的な報告に、今まで気丈に振舞っていたクラナッハも思わずその場に立ち尽くし額から冷汗が流れる。


「生存者は? 司令官閣下はどうなった?」

「司令官閣下を含め司令部要員の安否は不明です。本官だけでは捜索しきれませんでした」

「わかった。別命あるまで休息を取れ」

「はっ!」


 その後も各師団へ伝令に出した兵たちから同様の報告がなされ、クラナッハは天幕に全幕僚を招集させた。


「諸君、状況はどうやら考えていたよりも深刻なようだ。近隣の師団司令部は軒並み壊滅し、各連隊の被害も甚大である。最早、比較的無傷な師団は我々だけと言ってもいいだろう」


 クラナッハの言葉に幕僚たちは息を呑む。

 北部軍には第38師団を含め九個師団が配置されていたが、その悉くが敵と一戦交えることなく壊滅するなど考えられなかった。


「閣下、我々は王国軍を相手に戦っているのではなかったのですか?」


 動揺を隠せない幕僚の一人がためらいがちに尋ねると、クラナッハは黙り込む。

 これまで自分たち帝国軍が相手にしてきた王国軍は自分たちよりも数十年遅れた兵器を扱い、戦術も拙い軍隊であるはずだった。

 だが、この敵は自分たちの想像しえない攻撃によって生命線ともいえる補給線を断ち部隊同士がぶつかるまでもなく正確にこちらの戦力を削っている。


「狼狽えるな! 我々が怯えてしまうことこそ敵の思う壺である。今は出来ることをするしかない」


 自分にも言い聞かせるようにクラナッハは幕僚たちを叱咤すると、作戦台に広げた地図に記載されている情報に今一度目を凝らした。


「とにかく、我が師団と比較的戦力の残っている連隊との連絡体制の確立を急がねばならん。情報を精査した限り、敵の攻撃は信じ難いことだが空から行われていると見るべきだろう。師団麾下の連隊には擬装を徹底するよう命じよ」

「「「はっ」」」


 クラナッハからの命令を受けた幕僚たちは不安を拭うように力強く頷くと、各連隊へ派遣する伝令や有線通信網構築のため野戦通信隊を呼ぶなど慌ただしく動き始めるのだった。



      *      *      *



 イーダフェルト軍による「フィンブルの冬」が発動されて五日。

 この日、蔵人は本土をシルヴィアに任せ小夜や国務省の高官などを連れて王都ヴィレンツィアのウィスデニア宮殿を訪れていた。


「本当に閣下が味方でよかったと思います」


 ウィスデニア宮殿の談話室でオーフェリアは、対面する蔵人に弾んで口調でそう言った。

 蔵人がウィスデニア宮殿を訪れた理由はオーフェリアから非公式の会談を打診されたからであり、このタイミングでの非公式の会談を若干訝しく思いながらも了承したのだった。


「そう言ってもらえると、得体の知れない我々を受け入れてくれた貴国へ恩が返せたというものです」


 この日の前日、オーフェリアは二回目となる合同戦略会議の席で録画された空爆の映像を視聴していた。

 帝国軍の野営地や物資集積所を吹き飛ばす映像は、イーダフェルト軍の実力や空爆の効果を疑問視していた王国軍将校たちに畏怖の念を抱かせた。


「イーダフェルト軍の援助があれば、奪われた領土を取り返す日もそう遠くありません」

「ええ。我々もそうなるよう努めるところです。ところで、非公式な会談とはどういうことでしょうか」

「急な打診となってしまい申し訳ありません。実は、ある方に貴国との仲介を頼まれたのです」

「ある方とは?」

「もう少しお待ちください。そろそろこちらに来る頃だと思うのですが……」


 そう言ってオーフェリアが扉の方を見たとき、ノック音が響いた。


『陛下、バルツァ様をお連れいたしました』

「入りなさい」


 扉が開かれると、アレクシアに促され紺色のドレスを着た艶めかしい雰囲気を纏う女性が二名の侍女を伴い入室する。

 女性が空いている席まで来ると、オーフェリアが口を開いた。


「シノミヤ閣下、こちらはゼネルバート諸国連合評議会議長のディミトラ・バルツァ様です」


 ゼネルバート諸国連合。

 大陸中部に位置する十個の都市国家で構成される連合国家であり、それぞれは都市の自治権を有しているが外交権と軍事権の行使は各都市の代表者からなる連合評議会で決議されるという特殊な形態をした国家だった。


「ディミトラ・バルツァです。どうぞよしなに」

「イーダフェルト総帥の篠宮蔵人です。こちらこそどうぞよろしく」


 互いに挨拶を終えて席に座ると、蔵人が早速口火を切った。


「諸国連合の評議会議長が王国に滞在されていたとは驚きです。貴国は帝国の勢力下に入ったと我が国では認識していましたが……」


 王国と同じく帝国の侵攻を受けた諸国連合は早々に王国との同盟を破棄すると、帝国侵攻軍に資金や物資の提供を行い王国侵攻を援助していると情報機関から報告を受けていた。


「評議会の主な代表者は帝国の侵攻を受けて王国へ亡命しています。今諸国連合を統治しているのは、帝国が擁立した親帝国派の人間たちによる傀儡政権です」

「そうでしたか。それで、バルツァ議長が我が国との会談を望んだ理由を聞いても?」


 蔵人から尋ねられたディミトラは居住まいを正すと、懇願するような口調で言葉を紡いだ。


「どうか、どうか我が国も貴国のお力で帝国の不法な占領からお救いください」

「それはつまり、我が軍の派兵を要望するということでしょうか」


 蔵人が再度尋ねると、ディミトラはゆっくりと頷く。


「先程も言いましたが、今の諸国連合は帝国の傀儡に過ぎません。正当な統治に戻すため、どうか貴国のお力をお貸しください」

「バルツァ議長の話は理解しました。しかし、今の諸国連合の評議会が正当なものではないと証明することが出来ますか?」

「もちろんです。こちらをご覧ください」


 言葉に合わせ背後に控えていた侍女の一人が進み出ると、精緻な装飾が施された小さな箱を机の上に置く。

 蓋を開いたディミトラは真紅のベルベットを丁寧に捲り、金で作られた印鑑を取り出した。


「これは?」

「諸国連合評議会議長の証である御璽です。諸国連合の公式な文書にはこの印を必ず押印するよう義務付けられているのです」

「なるほど。バルツァ議長の正当性はわかりました。諸国連合への派兵ですが、我々は慈善事業で王国に派兵したわけではありません。こういう言い方はあまり好きではありませんが、貴国は派兵の対価になにを提供していただけますか?」


 蔵人から言われたディミトラは、しばらくじっと考え込む。

 実際のところ今回の反攻作戦に諸国連合の制圧は含まれておらず、派兵を簡単に受け入れると作戦計画の大幅な見直しが必要になるため蔵人自身あまり乗り気ではなかった。


「我が国との交易かかる交易税の免除、評議会に特別議員として加入を認める。この二つでいかがでしょうか」

「平時ならば魅力的な条件でしょうが、今の情勢ではそれだけのために軍を派兵は出来ませんね」

「そんな……」


 蔵人の返答に、ディミトラは落胆したように項垂れる。

 だがディミトラの様子は心の底から落胆しているようには見えず、蔵人には彼女が演技をしているように思えた。


「それでは……」


 ディミトラは顔を上げると、先程までとは打って変わり妖艶な笑みを浮かべながら御璽の入った箱を持っていないもう一人の侍女に目配せする。


「それでは、こちらを貴国に提供する。という条件でいかがでしょう」


 侍女の手によって置かれた簡素な箱の蓋をディミトラが開けた瞬間、中身を目にした蔵人と小夜の表情が固まる。

 小箱の中にあったのは三角フラスコのようなガラス瓶に入れられたサファイアブルーの液体――それは本土の第六軍需工廠で分析中の航空艦の燃料だった。


「このような得体の知れない液体で本当に我々が動くとでも?」


 こちらの動揺を気取られないよう努めて無表情で接する蔵人に、ディミトラは不思議そうな表情を浮かべる。


「ご存じありませんか? おかしいですね。イーダフェルトがこの液体の情報を集めていると聞いていたのですが」


 ディミトラから言われ、蔵人は目の前に座る女性に敵わないと悟る。

 小夜や国務省の高官たちにもそれとなく視線を向けてみても考えていることは同じなようで、要望を受け入れるかどうかは別として彼女の話に乗らざるを得なくなった。


「そこまで調べていましたか。確かに我々はその液体を分析中です。ここに持ってきたということは、バルツァ議長はこの液体の詳細をご存じということでしょうか」

「はい。というよりも、この液体は諸国連合で生産されています。諸国連合が帝国に狙われていた理由もそのためです」

「なるほど……」

「軍を派兵していただけるなら、この液体の優先供給と製法の開示をお約束しましょう」


 ディミトリの提案に今度は蔵人が考え込む番となった。

 未だ本土では見当もついていない液体の供給と製法がわかれば、航空艦の整備計画は一気に加速することになるためイーダフェルトにとって利益なしと一蹴することは不可能に近い。


「……一度この話は本土に持ち帰らせてください」

「わかりました。色よい返事を期待しています」


 こうしてゼネルバート諸国連合との非公式会談が終了した。

 その後、蔵人の指示を受けた統合参謀本部は方面軍総司令部を交え反攻作戦についていくつかの修正と追加を行いゼネルバート諸国連合への派兵が決定したのだった。

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