第二六話
執務室で一報を受けた小夜が庁舎地下の危機管理センターに足を踏み入れると、センターの中は王都が帝国軍に襲撃された時以上の混乱に包まれていた。
「総帥閣下の所在は把握できているのか!?」
「叛乱を起こした部隊の詳細は! 叛乱に呼応した部隊がどれだけいるのか特定を急げ!」
「宮殿にいる特別護衛旅団の状況は? 生き残っている警護官はいるのか?」
警報とオペレーター達の怒声が響く中を、小夜は逸る気持ちを抑えながら務めて冷静に歩く。
壁面に埋め込まれた大型モニターの前に置かれている会議机の自分の席に腰を下ろした小夜は、センターの運用を担当する情報参謀に現状の説明を求めた。
「今から三十分前、ウィスデニア宮殿でディドナート副総帥閣下が王国貴族からの銃撃を受け負傷なされました。同時刻には複数の地点で複数の王国軍部隊が武装蜂起し、我が軍と共同運用していたヴィレンツィア駐屯地では駐屯部隊から『コロッセオ陥落』の符号が発信されました」
「まさか……それは間違いないのか?」
「残念ですが……以降、駐屯地との通信は途絶しています」
ヴィレンツィアの万が一に備えて駐留させていた部隊が全滅したという報告に表情を歪める小夜がさらに詳細を尋ねようとしたとき、隣接する情報管理センターの運用士官が情報参謀に駆け寄り何かを耳打ちした。
「どうした?」
「ウィスデニア宮殿の警護官から通信が入ったと……『ヴェルサイユ陥落』です」
声を震わせる情報参謀の言葉に、小夜も自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。
ウィスデニア宮殿に派遣していた警護官の全滅を報せる符号を聞き、参集した参謀たちの間にも重苦しい空気が漂う。
「本当に全滅したのか? 通信を入れた警護官の早とちりということは?」
「警護官の生体システムが全てオフラインになりました。全滅は間違いありません」
「……ご主人様の安否は? どこにいるか把握出来ているのか?」
「十五分前にウォルターズ准将から宮殿を脱出し、王都内のセーフハウスへ向かうと」
「そうか、ご主人様は無事か。で、ご主人様を救出することは出来るのか?」
小夜が尋ねると、同席する作戦参謀は険しい表情のまま口を開いた。
「閣下、現状でヴィレンツィアに向かうことの出来る部隊はおりません」
「なら正規軍は? アッシュフォード議長に通信を繋ぎなさい」
「はっ」
頷いた通信参謀が情報管理センターに指示を出すと、正面モニターに新たなウィンドウが出現しこちらと同じように混乱した様子の中央作戦指揮所が映し出された。
『失礼しました。アッシュフォードです』
「アッシュフォード議長、ご主人様救出のため部隊をヴィレンツィアに向かわすことは可能ですか?」
『雅楽代閣下、残念ながら派遣中の全部隊が叛乱軍の対応で手一杯です。敵はかなり前から周到に用意していたらしく、現地部隊も至る所で襲撃を受けています』
アッシュフォードの回答に、小夜の表情が悔しさで歪む。
決して油断していた訳ではなかったが、帝国の脅威も去ったことで駐留部隊を縮小しイーダフェルトの負担軽減のため王国軍への軍事支援を強化しており叛乱を起こすには絶妙なタイミングであることに間違いなかった。
「大陸に駐留する部隊は無理でも、それ以外に動かせる部隊はいないのか?」
『第四空母打撃群を大陸近海へ急行させています。同打撃群にはシールズ一個小隊が乗艦しているため作戦行動圏内に入り次第、総帥閣下の救出自体は可能ですが……』
言い淀むアッシュフォードの姿を見て、小夜は怪訝な表情を浮かべる。
「可能だが、どうした?」
『ヴィレンツィアに配置されている対空火器の存在が気がかりです。掌握されていれば、徒に犠牲を増やすことになります』
アッシュフォードがそう言うと、小夜も考え込む素振りを見せる。
ヴィレンツィアには再度の帝国軍襲撃を警戒して総帥軍がMMLやC-RAMといった対空兵器を配置しており、救出部隊が使用するヘリやオスプレイが撃墜されてしまう可能性があった。
「わかりました。シールズには出動待機を命じます。別命あるまで即応態勢を取らせておくように。それと、王都奪還と首謀者の処理は総帥軍が引き受けます。いいですね」
「了解いたしました」
通信を閉じ深い溜息を吐いた小夜が参謀達の方を振り返ると、彼らは捨て犬のような不安な視線を浮かべていた。
「ご主人様の猟犬である貴様らがそんな顔をしてどうする! これは我が国だけではなく、我々にも売られた戦いだ。アッシュフォード議長にも言ったが、王都の奪還と首謀者の処理は我々の手で片を付ける。ご主人様をこのような目に合わせた連中に地獄を見せてやれ!」
「「「はっ」」」
𠮟咤を受け生気を取り戻した参謀達の姿に小夜は満足そうに頷くと、総帥軍陸軍を束ねる陸軍幕僚長に視線を向ける。
「我が軍の態勢はどうなっている?」
「陸軍は第一機動旅団が出動待機中です。人員はルドルフォア基地に空輸することが可能ですが、重装備のことを考えると海上から向かわせた方がいいかと」
「そうだな」
陸軍幕僚長の言葉に、小夜も同意の意を示す。
通常であれば先に人員をルドルフォア基地まで空輸し戦車や装甲車といった重装備は輸送艦で港まで運び込むことになっていたが、王国各地で叛乱が起こっている現状では人員と装備を同時に送り込む方が都合がいい。
「海軍の状況は? 第一海上作戦群と輸送隊群は出せるのか?」
「両群とも可能です」
海上幕僚長も胸を張って答える。
正規軍と同様に陸海空の三軍からなる総帥軍も規模は小さいが一個の海軍としては十分な戦力を保有しており、話に出た第一海上作戦群は戦艦や空母を中核とする強力な砲撃力と航空打撃力を持った艦隊だった。
「第一機動旅団を輸送隊群に積載。準備が完了次第ただちに出港し、港湾都市フェルジナ占領を目指す」
小夜が言い終わると、各軍の幕僚長や参謀達は席から立ち上がり正規軍や各軍との調整に奔走し始める。
「ご主人様、シルヴィア様、すぐにお助けします。それまでどうか……」
全員が席を離れ一人となった小夜の祈るような呟きは、危機管理センターの喧騒に掻き消された。
* * *
宮殿に潜入する諜報員たちの手助けで宮殿から脱出した蔵人一行は、追ってくる宰相派兵士を倒しながら王都内にあるセーフハウスを目指していた。
「こっちです」
ウォルターズが合図を出すと、警護官に周囲を固められた蔵人達が小走りで通りを横切る。
宮殿を出るときには一個小隊強いたはずの警護チームは、度重なる追っ手との戦闘でその数を半数にまで減らしていた。
「ウォルターズ、まだ着かないのか? このままだとシルヴィが……」
「もう少しです。セーフハウスまで行けば副総帥閣下の治療も行えます」
即製の担架に寝かされたシルヴィアの手を握り今にも泣きそうな表情の蔵人に、ウォルターズは宥めるようにそう言うと一軒のぱっと見は普通の家屋の前で立ち止まる。
今一度周囲に敵がいないことを確認したウォルターズが扉をノックすると、中から女性の声で誰何する声が聞こえた。
「本の読み聞かせはやってるかい?」
ウォルターズがそう言うと、一瞬の間があってから扉がゆっくりと開いた。
「お待ちしておりました。さ、早く中へ」
女性に促され家屋の中に入ると、室内で待機していた数十名の男女が一斉に蔵人達に駆け寄り即製の担架に寝かされたシルヴィアを部屋の奥へと連れて行く。
「し、シルヴィ……!」
部屋の奥へと連れて行かれるシルヴィアを慌てて追おうとする蔵人の前に、王都では目立たない普通の服装をした女性が立った。
「国家情報局王都事務所所長の御藤菜摘一等情報官です。副総帥閣下は当拠点の地下にある手術室で治療を行います」
「シルヴィは助かるのか……?」
「ご安心ください。幸運にも今日、総帥閣下と副総帥閣下の血液製剤が届いたところです。必ずや副総帥閣下をお救いします」
御藤の言葉に蔵人が安堵していると、別室で本土と通信を行っていたウォルターズが近づく。
「閣下、本土から連絡が入りしました。特殊部隊一個小隊を乗せた空母打撃群が急行しています。閣下救出のため指定する地点まで移動してほしいとのことです」
「移動……? それじゃあシルヴィはどうする?」
「副総帥閣下は回復するまでここで療養していただきます。処置が済んだとしても、あの傷ではすぐに移動することは難しいでしょう」
「だったら俺もここに残る。シルヴィを残して戻れるものか」
そう言って椅子に腰を下ろした蔵人に向かって、ウォルターズは表情を険しいものに変えて再び進言する。
「いけません。閣下には一刻も早く本土に戻っていただき、責務を果たす義務がございます」
「そんなの知ったことか! ……そうだ、憲法第2条に基づき俺の全権限を小夜に継承する。これで俺がここにいても問題ないだろう」
名案とばかりにそう言う蔵人の目の前に立ったウォルターズは、無言のまま腕を振り上げ蔵人の頬に平手打ちを入れる。
いきなりのことに室内にいた全員が呆気にとられる中、ウォルターズは唖然とする蔵人の胸ぐらを掴み椅子から立ち上がらせた。
「いい加減にしてください! 閣下がここにいても副総帥閣下が早く治るわけではありません。ここに閣下がいても邪魔なだけです。もう一度言います。一刻も早く本土へ戻り、ご自分の責務を果たしてください」
言い終えたウォルターズは蔵人の胸ぐらから手を離すと、彼の隣で狼狽していた部下の警護官に視線を向けた。
「おい、私を拘束しろ」
ウォルターズからそう言われて警護官が彼女の手首に手錠をかけようとしたとき、その動きを蔵人が手で制した。
「ウォルターズが何かしたのか? 頬の腫れは自分で気合を入れるためにやったものだぞ」
「閣下……」
「すまないな。シルヴィが撃たれて気が動転していた」
「いえ、閣下の寛大なお心に感謝いたします」
「感謝されるようなことは何もしていないがな。それで、救出作戦の詳細はどうなっている?」
乱れた服装を整えた蔵人が尋ねると、ウォルターズは机の上に王都周辺の地図を広げた。
「王都から脱出した後、南東五十キロの地点にある教会跡で救出部隊のヘリと合流します。その後、空母へ立ち寄りそこから輸送機で本土へ戻ります」
「詳細については分かった。だが、教会跡まで歩いていくのか? 俺はともかく、オーフェリア陛下に五十キロも歩かせるわけにはいかんだろう」
蔵人がそう言うと、机を囲んでいた全員の視線がアレクシアに支えられながら立つオーフェリアに向けられる。
ここまでの逃避行だけでも相当体力を消耗したらしく、顔には疲労の色が浮かんでいた。
「その点についてはご安心を。王都郊外に設置した隠し倉庫にGMVが用意されています。それを使用すれば、五十キロの距離も苦ではないでしょう」
「それなら問題なさそうだな。というか、そんな物まで用意しているのか」
準備の良さに苦笑した蔵人は、オーフェリアに向き直る。
「陛下、今ウォルターズから説明があったとおりです。ここにも長居は出来ませんので、私と一緒にイーダフェルトまでご案内します」
「わかりました。今の私はどうこう言える立場ではありません。シノミヤ閣下に従います」
オーフェリアの言葉に頷いた蔵人は、部下達に周辺の状況を確認させていた御藤を呼び寄せた。
「御藤、ここには武器庫もあるのか?」
「はい。こちらです」
御藤の後に続いてとある一室に入ると、そこには短機関銃や小銃といった銃火器と弾薬が所狭しと置かれていた。
「これは……凄いな」
「お好きなものを持って行ってください。連中の追跡を振り切るためにも必要でしょう」
「ありがとう。そうさせてもらう」
準備を整える警護官達の中で、蔵人もM27AIRを傍らに置きボディーアーマーのポーチに予備の弾薬を入れていく姿にウォルターズが慌てて声をかける。
「閣下、何をしているんですか!?」
「ん? 何って脱出の準備をしてるだけだが……」
「そんなことを聞いているのではありません。何故、閣下も戦う準備をしているのかということです」
「戦える奴はひとりでも多い方がいいだろう」
あっけらかんとした口調でそう言う蔵人に対し、ウォルターズの顔には不安の色が浮かぶ。
「閣下に万が一のことがあれば、副総帥閣下や雅楽代閣下に顔向け出来ません。お願いですから、すぐにその装備を外してください」
「……あー、何か急に頬が痛くなってきたなあ。そういえば、誰かに平手打ちされた気がするなあ」
蔵人がわざとらしく言うと、ウォルターズは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「閣下、それは卑怯ではないですか」
「気がすると言っただけだが、ウォルターズには何か心当たりがあるのか?」
「……分かりました。ですが、戦闘になった場合は絶対に前に出ないでくださいね」
「分かった。それは約束しよう」
やんちゃな弟の面倒を見る姉のように溜息を吐いたウォルターズは、自分もボディーアーマーや選んだ銃の点検など脱出に備えるのだった。
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