第五章
第二五話
シルヴィアが銃撃される十分前。
ウィスデニア宮殿の一室に設けられたイーダフェルト特別護衛旅団分遣隊のモニタールームでは、数名の警護官たちが机の上に置かれたPCの画面を見つめいていた。
『こちら六班異常なし』
『八班、城壁の周囲に異常は見られず』
「本部了解。次の報告は三十分後」
無線機から流れる各所に配置された警備班からの定時報告に、警護官のひとりが定型文で返す。
宮殿の各所に配置された警備班に加えて、端末の画面には王国の了解を得て主要箇所に設置された監視カメラの映像が表示されていた。
「異常はないか?」
「はい。警備班、カメラ共に異常は見られません」
「総帥閣下が本土へ戻られまで気を抜くなよ。終わったら一杯奢ってやる」
「了解」
軽い緊張感を纏いながら室長と部下が話していると、不意に扉をノックする音が室内に響く。
警護官がコンソールを操作し監視室前の監視カメラ映像を出すと、茶器や茶菓子を乗せたワゴンを伴ったメイドが立っていた。
「室長、いつもの子から差入れです」
「そうか。エディ、受け取ってこい」
「はい」
エディと呼ばれた若い警護官は席から立ち上がり扉を上げると、目の前に立つメイドに話しかける。
「やあ、いつもすまないね」
「お気になさらず。この仕事も今日が最後になりますから」
そう言って薄く笑みを浮かべたメイドはスカートを少し捲り太ももに付けていたナイフを抜くと、そのまま勢いよくエディの喉元を掻っ切る。
「へっ?」
間抜けな声を漏らしたエディは、信じられないといった顔でメイドを見つめながら倒れこんだ。
「エディ!? ――ガッ!?」
物音を聞いて扉の方に視線を向けた室長は、糸の切れた操り人形のように血を噴いて倒れこむエディの姿に驚愕の声を上げる。
だが、それ以上の行動をとることは出来ず室内に足を踏み入れたメイドから投擲された棒手裏剣のような武器が頭に刺さり絶命した。
「室長!? ――グッ!?」
「き、貴様! ――ッ!?」
これまでずっと顔を合わせていたメイドの凶行に動揺しながらもホルスターから拳銃を抜こうとする警護官たちだったが、棒手裏剣を頭部などの急所に受けて僅か数分でモニタールームの警護官は全滅した。
「ご苦労だったな」
無感動な表情で警護官の死体の前に佇むメイドにそう声をかけたのは、王国軍士官の男だった。
「そこに倒れている連中の武器も残さず回収しろ」
「「「はっ」」」
男の後に続いてモニタールームに入ってきた王国軍兵士たちは、警護官たちの死体を漁り装備している拳銃などを回収していく。
全ての装備を回収し終えると、士官の男は部下からプラスチック製のIDケースを受け取る。
「武器庫は見つかったのか?」
「はい。こちらに」
部下に案内された先にはカードリーダーを取り付けた武器保管庫が置かれており、男は慣れた手つきで身分証をかざす。
ピピッという短い電子音が鳴ると、待機していた部下たちが保管庫の扉を開き中の銃を取り出す。
「銃と弾薬を受け取った者は予定された箇所の制圧に向かえ。イーダフェルトの人間は誰であろうと見つけ次第殺せ」
「「「はっ」」」
バケツリレー方式で保管庫にある武器弾薬を受け取った王国兵は、小集団に分かれて男の指示通りに動き始めるのだった。
* *
「貴様ッ!」
銃声がした直後、ウォルターズはホルスターからP229を抜くと再び発砲しようと銃を構えたメイドを射殺した。
「閣下、ご無事で――ッ!?」
メイドが死んだことを確認したウォルターズは、蔵人の方を向くと驚きで目を見開く。
「し、シルヴィ……?」
自分に覆い被さるようにして倒れこんだシルヴィアに蔵人は動揺し、彼女の背中に回していた手に視線を移しさらに顔を引き攣らせた。
蔵人の右手は真っ赤に染まっており、シルヴィアの背中からとめどなく溢れる血液は大理石の床に血溜まりを作る。
「あ、主様……ご無事で」
「あ、ああ。俺は何ともない。でも、シルヴィが……」
今にも泣きだしそうな顔で自分の手を握る蔵人に、シルヴィアは弱々しい微笑みを浮かべる。
「国家元首がそんな表情をしてはダメですよ……何が起きても凛々しくしていなければ」
シルヴィアはそう言うと、握られている反対側の手で蔵人の頬をなぞる。
「馬鹿! 今はそんなこと言っている場合じゃ……おい、医療班はどうした!」
「今呼び出しているのですが、医療班どころか周囲に配置している警備班とも連絡が……とにかく副総帥閣下の応急処置を」
車輌に待機している医療班や警備班と通信がつながないことに困惑するウォルターズは、部下に命じてシルヴィアの止血などの応急処置を取らせるのと並行して簡易担架を作らせる。
移動の準備を進めていると、ウォルターズたちが耳に付けているイヤホンからノイズ交じりだが声が聞こえてきた。
『……います』
「ウォルターズだ。状況を報告しろ」
『こちら警備十二班。現在、王国軍と交戦中。すでに何班かは全滅した模様……モニタールームとも連絡が取れません』
「なぜ王国軍が……わかった。すぐに増援を……」
『連中、我々の武器を……早く総帥を連れて脱出を……! そう長くは――グアッ』
「おい、どうした! 応答しろ!」
警備班との通信が途絶したことを受けて、ウォルターズは応急処置を受けたシルヴィアの傍らに寄り添う蔵人の耳元で囁く。
「護衛旅団が王国軍の襲撃を受けています。ここに留まるのは危険なため、一先ず退避を」
「何っ?」
ウォルターズの報告を聞いた蔵人は立ち上がると、怒りを宿した瞳を顔を青褪めさせているオーフェリアに向けた。
「陛下、これは一体どういうことか?」
「も、申し訳ありません。謝罪して済むことではありませんが、この件に関しては改めて――」
「そうじゃない! なぜ王国軍が、私の護衛たちを襲撃しているのかと聞いている!」
蔵人の怒号に、オーフェリアは身体を震わせるも訳が分からないといった表情を浮かべる。
オーフェリアのそのような態度に蔵人が再び声を荒げようとしたとき、彼女の横に立つロディアスが高笑いを上げた。
「ロディアス……?」
「貴様に当たらなかったのは残念だが、これは警告よ。歴史も伝統もない下賤な国が、我が国で幅を利かせようなど思い上がりもいいところだ」
「な、何ということを……」
「陛下も悪いのですぞ。このような連中の専横を許すから、伝統ある王国が破壊されてしまう。今後は本当にこの国を憂う我々に政治はお任せください」
したり顔でそう告げたロディアスが軽く手を叩くと、M1ガーランドを装備した王国兵が会場に乱入しロディアスたちの前に並んだ。
その様子に、警護官達も蔵人とオーフェリアの前に並び壁となる。
「ロディアス、今ならまだ間に合います。すぐに兵を引きなさい」
「……これ以上話しても無駄のようですな」
「――総員、ここから退避する! 武器の使用も許可する!」
ロディアスがオーフェリアに憐憫の目を向けてそう言うと、次の行動を察したウォルターズが叫ぶ。
その瞬間、警護官たちはホルスターから拳銃を抜きM1ガーランドを構えようとする王国兵に発砲を始めた。
「閣下、言った通りです。とにかくここから退避します」
「……わかった」
「オーフェリア陛下もご一緒に。詳しい話はあとで聞かせていただきます」
「え、ええ……」
担架に乗るシルヴィアや蔵人たちを中心に配置し、警護官たちは王国兵と撃ち合いながら広間から出た。
「旅団長、我々にどこに向かえば……」
「とにかくモニタールームに向かう。あそこに行けば武器もある」
「――いけません」
宮殿内で唯一イーダフェルトの拠点であるモニタールームへ向かおうとしたとき、不意に後ろから聞こえた鈴を転がすような声に全員が反射的に銃を向ける。
そこに立っていたのは、王国のメイド服に身を包んだ女性。
「……風」
「祝福」
オーフェリアの言葉に、女性は表情を変えることなく返す。
何も知らない人間からすれば二人の会話は可笑しなものだったが、返答を聞いたウォルターズは強張っていた表情を緩めた。
「銃を下ろせ。彼女は我々の味方だ」
オーフェリアからそう言われ、警護官たちは怪訝な表情を浮かべながらも銃を下ろす。
メイド服に身を包んだ彼女は総帥軍情報局が王国の内情を把握するために潜入させた諜報員のひとりであり、その存在は軍や政府高官と総帥の警護という特務を担うウォルターズにしか知らされていなかった。
「それで、モニタールームが駄目とはどういうことだ?」
「モニタールームは敵の手に落ちました。敵が我々の銃を使っているのはそのためです」
「馬鹿な……モニタールームのセキュリティはそれなりのものだったはず」
「メイドの中にも宰相の手の者がいたようです。完全に不意を突かれました」
事前に宰相たちの企みを掴めなかったことに、メイドの言葉の端々からは悔しさ感じられた。
「とにかく、モニタールームではなく我々が使っている勝手口からお逃げください。すでに退路は私の同僚が確保しています」
「感謝する。君たちはどうするつもりだ?」
「このままここに残り情報収集を続けます。今後もこちらの情報は必要でしょう」
メイドの言葉に頷いたウォルターズは、様子を伺っていた部下に指示するとメイドに言われた道順を通り宮殿から脱出するのだった。
* *
王都ヴィレンツィア近郊に造られたイーダフェルト総帥軍ヴィレンツィア駐屯地。
副総帥銃撃の一報を受けた直後から緊急対応部隊をウィスデニア宮殿に向かわせようとしたが、共同で使用する王国軍が武装蜂起したことで至る所で銃撃戦が繰り広げられていた。
「第五小隊との通信途絶!」
「第二中隊から緊急通信。王国叛乱部隊に武器庫を制圧されたとのこと!」
駐屯地の作戦指揮所では、机に置かれたパソコンで状況を確認する兵士たちから悲痛な声で次々と凶報がもたらされる。
「クソッ。連中、元々こうするつもりだったのか……」
駐屯地司令を務めるレスト大佐は、次々と異常を知らせる端末を忌々しそうに見つめる。
「……特別条項五項を発動する。ここと本土を繋ぐデータリンクの切断及び全システム端末を破壊。重要書類も全て焼却しろ。敵に置き土産をひとつも残してはならん!」
「「「はっ」」」
大佐からの命令を受けた兵士たちは部屋を飛び出すと、小銃やプラスチック爆薬でサーバー室や各部屋に置かれている端末の破壊に取り掛かる。
作戦指揮所が置かれている建物の近辺でも守備隊と叛乱部隊との間で銃撃戦が始まっており、人数、装備に勝る敵側が徐々に押し始めていた。
「通信、本国の統合参謀本部と総帥府に連絡。『コロッセオ陥落』だ……」
「――了解」
大佐から告げられた言葉を聞いた瞬間、通信兵の表情に影が差した。
「コロッセオ陥落」それは、万が一の場合に設定されていた駐屯地全滅を本土へ報せるための符号だった。
『こちら正面ゲート。敵の攻撃が激しく、もう持ちません!』
「了解。守備隊は庁舎内に撤退せよ。戦える者は武器を持ち、守備隊と共に敵を迎え撃て!」
大佐はマイクに向かいそう告げると、自分も立てかけていた小銃を掴み防衛線へと向かう。
叛乱部隊の蜂起から二時間後、ヴィレンツィア駐屯地に駐屯していた総帥軍部隊は全滅しヴィレンツィア一帯は完全に宰相率いる叛乱部隊によって掌握された。
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