第十一話

 ――セアン地方で王国陸軍が敗北を喫する前日。

 戦列艦を中核とする王国海軍主力艦隊は二日前に母港のルベルトアを出撃し、初戦で帝国軍に占領された港湾都市セーヴィルに向けて航海を続けていた。


「――素晴らしい艦隊ではないか!」


 主力艦隊旗艦「ベルアラス」中央甲板より一段高い位置に設けられた艦橋で、艦隊司令官テオドルフ・ド・デュグラン大将は並走する各艦を眺め誇らしげに叫ぶ。

 セーヴィル奪還に投入されたのは王国海軍主力艦隊の九十門級戦列艦二十隻、四十門級フリゲート十八隻、二十門級コルベット十二隻、兵員輸送船十五隻の計六五隻からなる大艦隊であり、いずれの艦も蒸気機関を搭載していた。

 また、「ベルアラス」を含む八隻の戦列艦は艦体の主要部に装甲を施した装甲艦であり王国海軍の将校は「王国を守護する不沈艦隊」と豪語するほどだった。


「いずれも王国の技術の粋を集めて建造された艦艇です。これらの艦の前では、帝国の軍艦など玩具に等しいでしょう」


 傍らに控える「ベルアラス」艦長のレオルノ・オーヴレ大佐の自信たっぷりの言葉に、デュグランも満足気に何度も頷く。


「艦長の言うとおりだ。我が艦隊が出撃したからには、海戦での勝利は間違いあるまい」

「はい。閣下の仰るとおりです。今から敵艦を沈めるのに腕が鳴ります」

「うむ。期待しておるぞ」


 二人はそのまま無言で海を眺めていると、艦橋と甲板を繋ぐ階段を士官が上がってきた。


「失礼いたします。軍議のお時間となりましたので、軍議室までお越しください」

「もうそんな時間か。さて、帝国軍の奴らをどう料理するか考えるとするか」

「はははっ。いいですな」


 士官に促されデュグランとオーヴレイが艦橋を降り軍議室に入ると、すでに艦隊幕僚長や幕僚といった艦隊の主だった幹部が長卓の周りに集まっていた。


「幕僚長、今に至るまでに問題は起きているかね?」

「ございません。むしろここまでは普段の訓練よりも順調な航海です」

「ははっ。それは大変結構。それでは、我々が出撃した目的について今一度確認するとしよう」


 デュグランがそう言うと、海図台を囲む幕僚たちの中から作戦幕僚が半歩前に進み出る。


「本作戦の戦略上の目的は帝国軍の補給拠点となっている港湾都市セーヴィルを奪還し、我が軍の反抗作戦に向けた橋頭堡とすることです。我が艦隊は艦砲射撃により同都市沿岸に構築された防衛陣地を無力化し、輸送船に乗船する陸戦兵五千名を上陸させセーヴィルに駐屯する守備隊を降伏させます」

「セーヴィル占領後はどうする?」

「我が艦隊はルベルトアとセーヴィル間の制海権を確保することになります。占領後はセーヴィルに陸軍の反攻軍がセーヴィルに移動し、セアン地方に侵攻を続ける帝国軍地上軍の補給路と退路を断つことになります」

「なるほど。帝国軍を袋の鼠にして挟撃するのか。陸軍も考えたものだな」


 作戦の全容を聞いたデュグランが感心していると、隣に立つ艦隊幕僚長を務めるルトランス・ウェイガン中将が尋ねる。


「セーヴィルに駐留している守備隊と沿岸の防衛陣地の規模は把握しているのか?」

「事前に潜入させた密偵からの報告では、一個連隊規模の歩兵と沿岸には八門の海岸砲が配置。さらに数十隻の砲艦も存在するようです」

「ほう。艦船も配置されていたか」

「はい。ですが、砲艦の武装は前後二門の大砲と数門の機砲のみとのことですので作戦の支障になることはないでしょう」

「それはいい。我が艦隊の練度を帝国軍に見せつけるいい機会だ」


 デュグランが余裕ありげな口調でそう言うと、幕僚たちも貧弱な武装で戦列艦に立ち向かってくる帝国軍砲艦の姿を思い浮かべ哀れみと嘲笑の混じった表情を浮かべる。


「閣下、油断は禁物ですぞ。帝国軍はあのルーヴェスト防壁要塞を短期間で陥落させたのです。海戦でもどのような手を使ってくるか……とにかく用心に越したことはないかと」

「お主も心配性だな。少数の砲しか持たぬ砲艦ごときに我が艦隊を阻むことは出来んよ。遭遇したとしても、圧倒的な火力で捻じ伏せてくれるわ」


 自分の諫言がまともに受け止められなかったことに憮然とするウェイガンだったが、デュグランが言うとおり六十隻を超える艦隊が数十隻の砲艦に敗北するとは考えられず彼もまた次第に楽観的な思考に切り替わっていくのだった。


   *      *      *


  ――軍議から三時間後。

 セーヴィルまでの距離が十キロを切った頃、マストの見張り所で監視の任に就いていた水兵から帝国軍と思しき艦艇を発見したと報告される。

 艦橋に上がったデュグランたち艦隊首脳部が遠眼鏡で報告された方向を見ると、艦首に一門の砲と数門の機砲を搭載した砲艦十二隻が横列陣で主力艦隊に向かってきていた。


「ふむ……報告のとおり、随分と小さい艦だな。武装も見る限りでは貧弱そうだ」


 砲艦の姿を確認したデュグランは、その小さな船体に憐憫の眼差しを向ける。

 主力艦隊の中で一番小型なコルベットよりも小さいその船体は、一発でも砲弾が命中すれば簡単に沈んでしまいそうだった。


「閣下、あの艦隊がセーヴィルに駐留する帝国の守備艦隊で間違いないかと」

「よろしい。艦隊、取り舵。帝国艦隊には悪いが、予定どおり我が艦隊の砲撃訓練の的になってもらうとしよう。各艦は砲の射程に入り次第、あの砲艦に向け砲撃を開始せよ」

「「「はっ」」」


 手旗信号によりデュグランの命令が伝達されると、艦体はゆっくりと回頭を始める。

 機砲しか持たない十五隻の兵員輸送船を戦列艦などの後方に置き二列縦隊となった主力艦隊は、右舷の砲門を開き帝国艦隊を待ち構える構える形をとった。


「こちらの砲門を見ても退かぬか……」

「そういう命令なのでしょうが、敵ながら哀れですな」

「うむ。せめて彼らの恐怖を感じる時間が短くなるよう我々も全力で相手せねばならん」


 砲の射程に入るまでデュグランとウェイガンが話していると、砲艦の艦首に搭載された砲から砲煙が上がった。


「敵砲艦が発砲しました!」

「こんな離れた距離からか? 撃ったとしても当たらんだろう」


 自軍の艦に搭載されている砲の性能を基準に考えているデュグランは、届くはずのない距離から撃ち始めた帝国艦隊に思わず首を傾げる。


「我が艦隊の威容に耐えきれず、錯乱して撃ち始めたのではないしょうか」

「そうかもしれんな。こちらの兵たちにも今の砲撃で早まらぬよう命令を徹底――」


 ルグランジュの言葉は、突如鳴り響いた爆発音によって遮られた。


「な、何事だ!?」

「せ、戦列艦『オルレゾ』が敵砲艦の砲撃により大破しました!」

「何だと!?」


 見張り所からの報告を受けてデュグランたちは艦首方向に視線を向けると、「ベルアラス」の前方を進んでいた戦列艦「オルレゾ」が黒煙を上げ傾斜しつつあった。


「お、面舵! 後続艦も本艦の後に続くよう知らせよ!」


 「オルレゾ」との衝突を回避しようとオーヴレイが操舵手に命じると、「ベルアラス」はゆっくりと右へ舵をとり「オルレゾ」の脇を抜けていく。


「まさかあの距離から当てたというのか?」

「距離もだが威力も凄まじい。戦列艦を数発で沈める砲など聞いたことがない」

「帝国軍は一体どんな魔法を使ったというのだ……」


 予想外のことに動揺を隠せないデュグランや幕僚たちを嘲笑うかのように、帝国艦隊は主力艦隊の射程外から砲撃を浴びせ続ける。

 主力艦隊の周囲には幾本もの水柱が立ち、砲弾の命中した感からは炎と黒煙が上がった。


「怯むな! こちらも撃ち返すのだ!」

「で、ですが、我が軍の砲はまだ射程外で……」

「とにかく撃つのだ! このまま嬲り殺しにされてたまるか!」


 半ば錯乱状態となったデュグランの命令で「ベルアラス」が砲撃を開始すると、後続の各艦も砲を撃ち始める。


「だ、駄目です! 帝国艦隊に届きません!」


 やはりと言うべきか各艦から放たれた砲弾は帝国艦隊に届くことはなく、遥か手前に着弾し空しく水柱を上げるだけで終わる。


「閣下、攻撃よりもただちに左へ回頭しましょう」

「何……?」

「敵に側面を晒しているこの状態では、敵に狙ってくれと言っているようなものです。帝国艦隊から距離を取り態勢を立て直しましょう」


 ウェイガンの上申は正鵠を射たものだったが、艦尾には武装がないため反撃の手段を失うことを恐れたデュグランは決断を渋る。


「戦列艦『ルヴラン』、『メーヌ』、フリゲート『ガラード』、『メイユ』撃沈!」


 デュグランが決断を躊躇っている間も主力艦隊の被害は増え続け、見張り員からは悲鳴に近い声で次々と凶報がもたらされる。


「閣下、ご指示を……!」


 蒼白な顔のデュグランにウェイガンが言い募ったとき、見張り員が帝国艦隊の新たな動きを伝える。


「帝国艦隊が左へ回頭!」


 横列陣で主力艦隊に向かっていた帝国艦隊は、左端を進む艦から順に回頭し始め主力艦隊と並走する形となった。

 これにより帝国の砲艦は艦尾に搭載された砲も使用可能となり、それがゆっくりと旋回すると主力艦隊に向けられる。


「閣下、ご指示を! 最早、一刻の猶予もございません!」

「……艦隊、左へ回頭。帝国艦隊と距離をとり、態勢を立て直す」


 ようやく意を決したデュグランが絞り出すような声で指示を出すも時すでに遅く、ついてこられる艦は兵員輸送船を含め三十隻程度しか残っていなかった。

 帝国艦隊は再び変針し横列陣になると、無防備な艦尾を晒す主力艦隊に砲撃を浴びせる。


「戦列艦『リュノール』、『ルシヨン』、コルベット「ルグミラ」撃沈! あぁ……戦列艦『ラマテール』行き足止まります!」

「構うな! とにかく帝国艦隊から距離を取ることだけを考えよ!」

「正面に帝国軍と思われる艦隊! 完全に我々の針路を塞いでいます!」


 後方に気を取られていたデュグランたちが正面を向くと、後ろから迫る砲艦と同型と思われる艦が横一列でこちらに前後二門の砲を向けて待ち構えていた。


「もはやこれまでか……斯くなる上は、王国海軍の名を汚さぬよう華々しく散るとしよう」


 デュグランがそう言うと、残存する艦艇は最大戦速で正面の帝国艦隊に突撃を行う。

 「ベルアラス」自身も船体に機砲を数発受けながらも敵艦隊側面に割り込み、艦列を分断することに成功した。


「撃ちまくれ! 今までの鬱憤を晴らし――」


 デュグランが攻撃命令を言い終える前に砲艦から放たれた砲弾が運悪く「ベルアラス」の火薬庫を直撃すると、大爆発を起こし数百名の亡骸を抱えたままその船体を海中に没した。

 「ベルアラス」沈没後、指揮系統を喪失した主力艦隊の残存艦は前後から帝国艦隊に蹂躙され端艇で命からがら脱出した数十名の水兵と陸戦兵を残し全滅。

 帝国侵攻軍の補給拠点奪取と王国陸軍との挟撃という王国の命運がかかった一大反攻作戦は、セーヴィルに駐留する帝国海軍守備艦隊の反撃によって多数の艦艇と人命を失うという王国海軍に短期間で修復不可能な損害を与え王国史上類を見ない大敗北という形で幕を閉じたのだった。

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