第三章

第十話

 ローゼルディア王国との国境付近に集結していた帝国侵攻軍は総兵力六十万という大軍で国境を超えると、王国が「西の守護神」と呼ぶルーヴェスト防壁要塞を僅か二日で攻略し周辺の都市や村落を支配下に置きながら王都ヴィレンツィアを目指し進撃を続けていた。

 これに対し、迎え撃つ王国軍は早々に対帝国戦略の根本的な見直しを迫られる。

 王国が当初計画していた対帝国戦略は、ルーヴェスト防壁要塞で帝国軍を釘付けにしている間に同盟関係にあり帝国のもうひとつの隣国であるゼネルバート諸国連合との国境から諸国連合軍と王国軍主力が逆侵攻することで戦局を膠着させ講和に持ち込むというものだった。

 しかし、初戦において計画の要となるルーヴェスト防壁要塞が早期に陥落してしまい対帝国戦略を見直すことになった王国軍首脳部は各部隊の再編と王国中部に位置するセアン地方北部から南部にかけて防衛線を構築し帝国軍を迎え撃つこととなった。



   *      *      *



 セアン地方中部に位置するオルクス。

 春になれば色とりどりの花が咲き乱れ王国でも有数の行楽地として知られていたこの場所も、今やその面影を見出すことは出来なくなっていた。

 三重の塹壕と第二線塹壕後方に構築された砲兵陣地では、残存する王国軍の各部隊を解体し再編された中部方面軍五万の将兵が侵攻を続ける帝国軍を待ち構える。


「――帝国軍の動向について、新しい情報はないのか?」


 防衛陣地全体を俯瞰することの出来る丘の頂上に設けられた方面軍司令部のテントの中では、中部方面軍総司令官ナゼール・フェア・ルグランジュ中将が鋭い視線を情報幕僚へ向けていた。

 名門貴族の嫡子として生まれながら家柄ではなく自らの武功により今の地位に就いた歴戦の将の眼光に、若い情報幕僚は竦み上がりながらも言葉を紡ぐ。


「……はい。現在までに5回ほど斥候を放ちましたが、予想以上に帝国軍の警戒が厳重なのか誰ひとり戻ってきておりません。おそらく捕えられたか、殺害されたと思われます」

「ううむ……それでは帝国軍の攻勢時期が分からんということか」


 ルグランジュは木製の机の上に広げられたオルクス一帯の地図に視線を落とすと、防衛陣地の位置を指で叩く。


「最後に確認された帝国軍の位置はわかるか?」

「一週間前に出した斥候の報告では、ここから十キロの地点に先遣隊と思われる一個中隊規模の帝国軍が確認されています。主力についても、この数日で同地点に展開しているものと考えていいでしょう」

「ということは、帝国軍がこの防衛線に来るもの時間の問題ということか……作戦参謀、本防衛作戦の概要について今一度説明を頼む」


 ルグランジュの言葉に作戦幕僚は頷くと、指揮杖で防衛線が構築されている一帯を地図をなぞりながら説明を始めた。


「本作戦の要点は一切攻勢に出ない、この一点に尽きます。我が軍は防戦に徹することで被害を抑制し、反対に攻勢を仕掛けてくる帝国軍に出血を強いるということです」


 話を聞くルグランジュや幕僚たちは、自分たちの与えられた役割を再認識しゆっくりと頷く。

 ここオルクスを含むセアン地方が防衛線に選ばれたのは同地の地理も関係しており、帝国軍が侵攻してくる王国西部からセアン地方の境には森林地帯が広がっていることから自然の要害として大軍の行軍を阻むことが期待されていた。


「防衛の方法は至ってシンプルです。帝国軍の攻勢確認後、砲の射程範囲に入り次第砲撃を行います。砲撃を抜けた兵は各塹壕で待ち構える歩兵による射撃で対処という形になります」

「第一塹壕線の状況はどうなっている」

「すでにアズナブール少将を防御指揮官とする二個師団が配置についています。鹿砦と有刺鉄線の設置も完了しており、帝国軍が第一塹壕線に近づくには相応の対価を支払う必要がありましょう」


 その言葉を聞いて余裕の表情を浮かべる幕僚たちの中で、ひとりの幕僚が腑に落ちない様子で口を開いた。


「守りに徹するにしても、帝国軍は継続的に増援を送ってくるのではないか? そうなった場合、我々も息切れするかもしれん」

「確かにそのとおりだ。守りに徹する我々にも限界はある。こちらからの反攻も視野に入れた計画も立案すべきではないか」

「その点については私から説明しよう」


 そう言って話に割って入ったのは、幕僚たちの議論を静観していたルグランジュだった。


「現在、王国海軍主力艦隊による一大反抗作戦が実行されている」

「反抗作戦ですか……!」

「うむ。詳細はまだ言うことが出来ないが、陸軍はこの海軍の作戦成功に呼応し反抗することになる」

「「「おおっ!」」」


 ルグランジュの言葉に、幕僚たちは喜色満面の笑みを浮かべる。


「その話だけでも腕が鳴るというものです」

「うむ。帝国軍がこの防衛線に何度攻撃を仕掛けてきたとしても跳ね除けてやるわ」


 幕僚たちの士気の高さにルグランジュは満足気に微笑むと、机を囲む幕僚たちを一巡し厳かな口調で話し始める。


「諸君らも知ってのとおり、王国は風前の灯火である。ここを抜かれてしまえば帝国軍は一気呵成に王都へ流れ込むだろう。王国の興廃は諸君らの双肩にかかっていると言っても過言ではない。王国に暮らす全ての民の盾となり、向かってくる敵を撃ち滅ぼすのだ」


 ルグランジュの訓示に、居並ぶ幕僚たちは無言の気迫でもって応じる。

 訓示やそのほかの伝達事項も終わり軍議を締めようとルグランジュが再び口を開こうとしたとき、雷鳴のような音がオルクスに鳴り響いた。


「砲声……?」


 誰かが呟き、幕僚たちの間に動揺が広がる。


「狼狽えるな! 誰か、状況を報告せよ!」

「報告いたします! 第一塹壕線が帝国軍のものと思われる砲撃を受けております!」

「なっ!?」


 伝令兵から報告を聞いたルグランジュと幕僚たちはテントを飛び出すと、遠眼鏡で第一塹壕線の様子を伺う。

 第一塹壕線を敷く辺りでは砲弾が着弾したことで多数の土煙が上がり、配置されていた将兵たちは塹壕に身を隠し砲弾片や爆風をやり過ごしていた。


「やはり近くまで来ていたか……ぼうっとしている暇はないぞ! ただちに敵砲兵の位置を特定し我が軍も反撃するのだ!」


 ルグランジュの喝で我に返った砲兵参謀は、部下に言って地図を持ってこさせる。

 確認した砲煙を基に部下たちとおおよそ距離を割り出し始めた砲兵幕僚は、しばらくすると愕然とした表情をルグランジュに向けた。


「どうした? 距離が割り出せたのなら早く砲兵に伝達を……」

「ふ、不可能です」

「なに?」


 砲兵幕僚の予想外の言葉に、ルグランジュは怪訝な視線を向ける。


「何を言っている? こんな時に馬鹿を言うものではない」

「砲煙の上がっている位置から考えますと、敵砲兵は我が軍の砲兵陣地から最低でも五キロ以上離れた位置に存在すると思われます」

「馬鹿なッ!? 我が軍の砲の倍以上の射程ではないか!」


 ルグランジュは思わず声を荒げる。

 王国軍が使用する主力野戦砲の最大射程は三キロ程度であり、砲兵幕僚の話がた正しければ王国砲兵は帝国軍に手も足も出ず一方的にやられるということになる。


「報告いたします! 第三歩兵中隊の壕に敵榴弾が命中。同部隊は全滅したものと思われます」

「アズナヴール少将より伝令! 第一塹壕線は砲撃により混乱状態。第二塹壕線への後退の許可を求む。以上です」


 伝令から次々ともたらされる報告に、ルグランジュと彼の幕僚たちは蒼白な表情を浮かべつつもテントへと戻り今後の対応を協議し始める。


「今の混乱した状況のまま第一塹壕線で迎え撃つのは難しいか……」

「だが、塹壕自体の被害は至って軽微だ。このまま後退させるというのも……」

「ともかく第二塹壕線には戦闘準備を進めるよう伝令を出そう」


 幕僚たちによって対応策が練られる中、その様子を見守っていたルグランジュが口を開く。


「第二塹壕線の部隊から一部抽出し、敵砲兵陣地を叩くことは出来ないか?」

「残念ながら難しいです。敵主力部隊の位置も不明なまま部隊を動かしては、逆にこちら全滅する恐れがあります」

「やはりそうか……だが、このままでは被害は増えるばかりだ」


 帝国軍による想定外の攻撃で混乱していた幕僚たちは、その場凌ぎの対応になるがひとつの案をルグランジュに提示する。


「ここは一時的に第一塹壕線を放棄するしかないかと」

「やはりそれしか手はないか」

「はい。ですが、これは砲撃を避けるための一時的な対処です。敵砲兵と主力の位置が判明次第、将兵を第一塹壕線へ戻し急造で砲兵陣地を構築することで帝国軍の侵攻に備えさせます。砲兵を前進させることに不安はありますが、少なくとも今のように一方的な砲撃を受けることはないかと」

「わかった。君たちの案を採用しよう。第一塹壕線の部隊を第二塹壕線へ後退させろ」

「「「はっ」」」


 ルグランジュが決断を下すと、幕僚のひとりが伝令を呼び命令の伝達を始める。


「第二塹壕線の状況は?」

「各部隊が配置につきつつあります。問題があるとすれば、後退してくる第一塹壕線の部隊の収容でしょう」

「ふむ……」


 ルグランジュたちが第二塹壕線を主戦線とした計画を練り直していると、今までひっきりなしに鳴り響いていた砲声が止んだことに気付いた。


「閣下、砲声が……」

「ああ。止んだようだな」

「あれだけの砲撃です。もしかすると弾薬が尽きたのかもしれません」

「だとしたら我々にとって好都合だ。第二塹壕線への後退は中止。代わりに一個砲兵大隊を第一塹壕線後方に進出させろ」


 ルグランジュの指示に幕僚は頷くと、伝令に新たな命令を伝達し砲兵陣地まで走らせる。

 時間を稼げると考えた幕僚たちは安堵の表情を浮かべ今後の対応について協議しようとしたとき、外で監視の任についていた下士官がテントに飛び込んできた。


「何事かっ!?」

「て、帝国軍が侵攻を開始しました! 見たことのない兵器を前面に押し立て、向かってきます」

「なんだと!?」


 ルグランジュと幕僚たちは血相を変えて再びテントの外へ出ると、第一塹壕線の先にある森林に遠眼鏡を向ける。


「な、何だあれは? 我々はなにを相手に戦っているのだ……!?」


 ルグランジュは遠眼鏡越しに見た光景に、声を震わせながら独語する。

 木々を踏み倒し森林から姿を現したのは、鉄で覆った荷車のような車体に大砲を載せた兵器の群れとそれに追従する帝国兵たちだった。


「あれは……戦像か? 大砲を載せているように見えるが」

「いや、生き物ではないようだが……この場合、鉄の戦像と呼んだ方がいいか?」

「呼び方などどうでもいい! 閣下、とにかく迎え撃つ用意を。このままでは、第一塹壕線の兵たちが敵の攻撃に晒されることになります」

「う、うむ。砲兵陣地にあの兵器が射程に入り次第、砲撃を開始するよう命じよ。鉄で覆っていようと砲撃には敵わぬはずだ」


 ルグランジュの命令から十数分後、射程に入った帝国軍に対し王国軍砲兵の砲撃が開始された。

 砲から放たれた砲弾は次々と兵器群の近くに着弾し、二斉射目で砲弾が数台の車体正面に命中し動きを止めることに成功した。


「おお、やったぞ!」

「砲弾さえ当たれば我が軍にも勝ち目はあるぞ!」

「帝国の新兵器など恐れるに足らず!」

「もっとだ! もっと砲弾を帝国軍に浴びせてやれ!」


 未知の兵器に打撃を与えられたことで、幕僚たちは歓呼の声を上げる。

 砲撃は激しさを増し、侵攻してくる帝国軍の周辺には多数の土煙が上がり当初の計画どおり作戦は成功するかに思われた。

 だが、そんな幕僚たちの歓喜は絶望にとって代わることになる。


「ば、馬鹿なっ!?」


 砲撃によって撃破したと思っていた兵器が、咆哮のような音を出し何事もなかったかのように動き出したのである。


「砲撃が通用しないというのか……」

「そんな訳あるか! 撃破するまで当て続ければいいのだ!」


 前進を続ける帝国軍の兵器群は上部の砲を動かすと、これまでのお返しと言わんばかりに砲撃を開始した。

 第一塹壕線を飛び越えた砲弾は砲列を構成する砲兵陣地に降り注ぎ、攻撃を受けることを想定していなかった砲兵たちは混乱状態となる。


「あの砲も我が軍の射程以上の性能があるのか……」

「砲兵陣地の損害を報告せよ!」

「砲兵がやられてしまえば、あの兵器を止めることが出来なくなるぞ!」


 そう言っている間に兵器群は鹿砦や鉄条網をいとも容易く突破すると、第一塹壕線に接近する。

 塹壕にいる兵士たちも恐怖を押し殺し装備する歩兵銃で射撃するが、放たれた銃弾は甲高い音を立て明後日の方向へ弾かれてしまう。

 代わりに兵器群は塹壕に近づき、搭載している連射可能な銃で逃げ場のない王国兵をいたぶるように射殺していく。


「帝国軍の攻撃がここまでとは……ルーヴェスト要塞が短期間で陥落するわけだ」


 ルグランジュは諦観した表情で呟くと、不安気な表情でこちらを見つめる幕僚たちを前に最後の命令を下す。


「諸君、残念ながら防衛線は突破される。各塹壕線に配置されている将兵はただちに退却」

「――閣下はどうなさるおつもりですか」

「私か。私はこの敗北の責任を取らねばならん」


 そう言うと、ルグランジュはホルスターに収めている回転式拳銃に触れる。


「そんな!? では、私もご一緒いたします!」

「私もです。この敗北は閣下おひとりの責任ではありません!」

「それはいかん。諸君らは今回の戦闘の情報を持ち帰り、次の戦いに備えなくてはならん。さっきも言ったが、王国の興廃は諸君らの双肩にかかっているのだ。わっかたのなら早く行け」

「――わかりました。短い間でしたが、閣下にお仕えできて光栄でした」


 ルグランジュの言葉に肩を震わせ泣いていた幕僚たちは、涙を拭うとルグランジュに敬礼し足早にテントを後にした。


 オルクスでの戦闘は帝国軍の圧勝という形で幕を閉じた。

 この戦闘で王国軍の被った損害は甚大であり、中部方面軍総司令官ナゼール・フェア・ルグランジュ大将を始めとする同軍の七割の将兵が戦死。

 同日にはセアン地方の北部と南部に構築していた防衛線も帝国軍に突破され、王国は開戦から二週間という短期間で王国領の三分の一を失うのだった。

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