第二二話


 時は少し戻りセーヴィルが占領される二日前。

 ルーヴェスト防壁要塞に置かれた侵攻軍総司令部の作戦指揮所は、未だ初期の混乱から立ち直れず焦燥を深め続けていた。


「各方面軍で生き残った部隊との連携はどうなっている!?」

「連絡が確保されている部隊の位置は?」

「各部隊の状況については、作戦地図に落とし共有出来るようにしろ!


 部屋中央の巨大な作戦台に広げられた地図に記載された情報は初期の頃からあまり変わらないどころか、壊滅や消息不明を示す記号が付けられた部隊が増加の一途を辿り前線の情報を知る術はもはやなかった。


「どこでもいい! 敵の撃退に成功した部隊はいないのか!?」


 事態をどうにか鎮静化させようと幕僚たちに指示を出し続けていた侵攻軍幕僚長ゲラルト・ディ・ベルツ中将は、次々と入ってくる凶報から逃れるように半ば狂乱した声で叫んだ。


「……現時点でそのような情報は入ってきておりません」

「むぅ……わかる範囲でいい。敵部隊はどこまで進出している?」


 気を落ち着かせたベルツはそう尋ねると、幕僚たちと共に作戦台の前に立つ。


「五日前に出した偵察の報告では、敵は我が軍と同じく三軍に分かれ進撃を続けています。北部の軍はルダン、南部の軍はゼク付近まで進出しているようです」

「中央に配置されている部隊の動きは?」

「中央軍の伝令の話では、進攻速度は他の軍に比べて遅いとのことです。敵も中央軍が主力だと認識して慎重になっているのではないかと」

「本当にそれだけだろうか……」


 幕僚の予測に、ゲルツはどこか腑に落ちない表情を浮かべる。

 これまでの攻撃から敵の能力を見れば我が軍の主力でも力押しで突破できるはずであり、敵の動きには別の理由があるように感じていた。


「敵の動きを決めつけるのは危険だ。とにかく友軍との連絡の確保と敵の詳細な動向に注意しろ」

「「「はっ」」」


 指示を受け幕僚たちが動き出そうとしたとき、作戦指揮所の扉が勢いよく開かれ侵攻軍総司令官ネリッツ・ヴィル・ダルベック大将が不機嫌な表情のまま入室した。


「幕僚長、いい報告は聞けるんだろうな?」

「総司令官閣下……戦況に変化はございません。通信状況は回復せず、各方面軍は各地で敵軍の反攻により押され続けております」


 ゲルツの包み隠さない報告を聞いたダルベックは顔を赤くし目を吊り上げると、ベルツ以下幕僚たちに当たり散らし始める。


「貴様らはこの数週間一体何をしていた!? どの部隊も壊走したという報告を本国にしろと!? お前たちは指示がなければ動けない無能集団か何かなのか!?」


 若輩の将軍の自分勝手な罵声に、この数週間不眠不休で状況の改善に尽力していた幕僚たちは思わず拳を握りしめた。

 敵の反攻が開始された直後、凶報を聞きたくないと全ての指揮をベルツに押し付け自分は自室に引きこもっていたダルベックに幕僚たちも我慢の限界だった。


「総司令官閣下、お言葉ですが――」


 耐えかねた幕僚のひとりがダルベックに反論しようとした瞬間、室内に電話のベルが鳴り響いた。

 通常の軍用電話と違うベルを発するのは本国の帝国軍最高司令部直通の電話であり、先程まで幕僚たちに当たり散らしていたダルベックの表情が固まる。


「……侵攻軍総司令部」


 電話の近くにいた幕僚が受話器を取り対応すると、通話口を手で塞ぎダルベックの方を見た。


「総司令官閣下、ムラオカ護国卿閣下よりお電話であります」


 電話の相手を聞いた瞬間、ダルベックは顔を青褪めさせる。

 震える手で幕僚から受け取った受話器から彼の耳に入ってきたのは、村岡の底冷えするような声だった。


『ダルベック君、君には大変失望したよ』

「ご、護国卿閣下……ご心配には及びません。我が侵攻軍は万難を排し、王都に向け着実に進撃を――」

『ああ。そういうのはいい』


 弁明しようとするダルベックに対し、村岡は冷たくそう言い放った。


『そちらの状況はこちらでも把握している。よくもまあ、貴重な時間と兵力を無駄にしてくれたものだ』

「か、閣下、これには深い訳が……」

『ほう。侵攻軍の指揮を放棄し、自室に引きこもっていたことに理由があると』

「そ、それは……」


 今日までの自分の行動を言い当てられたダルベックは戦慄し、二の句が告げられず口をパクパクと動かすだけだった。


『情報の隠蔽に敵前逃亡と君のしたことは重罪だ。現時刻をもって侵攻軍総司令官の任を解く』


 村岡から告げられた瞬間、タイミングを見計らったかのように数名の憲兵が作戦室に入ってきた。


「ネリッツ・ヴィル・ダルベック。貴官を国家叛逆罪の容疑で身柄を拘束する」

「か、閣下! 私は……私はあぁあああ!」


 憲兵はなおも受話器に縋りつくダルベックの両脇を担ぐと、そのまま焦点の合わない瞳をした彼を連れ出した。


「はっ。少々お待ちください。参謀長、護国卿閣下が代わってほしいと」

「わ、わかった」


 目の前で起きた衝撃の逮捕劇に唖然としていたベルツは幕僚の声で我に返ると、やや上擦った声で電話に出た。


「護国卿閣下、参謀長のゲラルト・ディ・ベルツであります」

『参謀長、今回のことは申し訳なかった。君が戦線を維持しようと腐心していたことは聞いている。一時的な措置ではあるが、現時刻から君が侵攻軍総司令官だ』

「わ、私が、でありますか!?」


 いきなりのことに理解が追い付かず、ベルツは素っ頓狂な声を上げる。


『そうだ。君の総司令官としての最初の任務は、現時点で連絡がつく全部隊を帝国側の国境地帯に撤退させることだ』

「て、撤退でありますか?」

『そうだ。最早、占領地域で態勢を立て直すのは不可能に近い。一度本土へ撤退し、国境地帯に集結中の増援と合流せよ』

「わかりました。ただちに準備にかかります」

『よろしく頼むぞ』


 そう言って電話が切られると、ベルツは不安気な眼差しで自分を見つめる幕僚たちを見遣り声を張り上げた。


「我が軍は本土国境地帯に撤退する。ただちに連絡のつく部隊にも通達。残りの者は、機密書類の処分にかかれ!」

「「「はっ!」」」


 ベルツの指示を受けた幕僚たちは弾かれたように動き始めると、近隣部隊に伝令兵を向かわせ機密書類の焼却に取りかかるのだった。


*      *


 戦略指揮統制室から自分の執務室に戻った村岡は、深い溜息をついて椅子の背もたれに身体を預けた。


「無能な人間には困ったものですな」

「お前か……まったくだ。そのせいで予定していた王国占領が遠のいてしまった」


 入ってきた男を一瞥した村岡は、そう言いながら体を起こす。

 赤色を基調とする帝国軍の制服ではなく黒を基調と軍服は、謀略や破壊工作を担う護国卿直轄の特務局所属であることを示していた。


「それで、そちらの首尾はどうだ?」

「万事抜かりなく。すでに配下の者が分散して王都に入っております」

「それならいい」


 男の言葉に村岡は頷くと、再び背もたれに身体を預けた。


「だが馬鹿な連中だ。救ってもらった恩を仇で返し、殺し合っていた人間の手を取るとは」

「貴族はメンツとプライドが一番大事な人種です。このまま彼の国の専横に我慢ならないのでしょう」

「そういうものか……まあ、連中にも計画が露呈しないよう細心の注意を払うようにと釘を刺しておけ」

「御意に」


 そう言って男を下がらせた村岡は、執務机の上に広げたノートにペンを走らせ何やら思案に耽るのだった。



*      *      *



 各前線で帝国軍に対する攻勢が続けられている頃。

 帝国軍から奪還した北部地域のある街道を、オリーブドラブ色に塗装された数十輌の軍用車輌が列を組んで走っていた。


「――隊長、そろそろ情報提供のあった村です」

「了解。各車には全周警戒を怠らないよう念押ししておけ」


 助手席に座る隊長と呼ばれた男は後席の部下にそう言って視線を再び前に向けると、前方から車輌と同じオリーブドラブ色に塗装されたバイクが近づいてきた。


「通信、全車停止だ」

「了解。指揮車より各車へ。全体停車」


 通信手が告げると、車列が一斉に停車する。

 総帥軍第八治安維持部隊を預かるアラン・バセット大尉はL-ATVから降りると、先行させていた偵察兵に状況を報告するよう求めた。


「情報提供のあったとおりです。ここから四キロ先の村で帝国軍の敗残兵が好き放題やってます」


 偵察兵はそう言ってタブレット端末を出した。

 端末が起動すると、村の住民と思われる男性の死体が転がる横で帝国兵たちが笑いながら酒を飲んでいる映像が流される。


「ドローンによる村の映像です」

「酷すぎるな……村に居座っている帝国兵の人数は?」

「確認できただけでも三十人程度。それと――」


 偵察兵は言葉を区切り端末の画面に触れると、村の中でも一際大きな建物を表示させる。

 その建物には軍服を着崩した帝国兵が何人も出入りしており、その様子を見ただけでバセットは何に供されているのか理解できてしまった。


「ここがそうか」

「はい。内部の確認は出来ませんでしたが、まず間違いないかと」

「これでは正規軍というより、盗賊団の類ではないか」


 偵察兵の返答を聞いたバセットは、嫌悪感から顔を歪めてそう吐き捨てた。


「あとは敵の防備だが……村の入り口には軽野砲と機関銃か。下手をすればこちらが損害を被る可能性もあるな」

「面倒なことになりましたな。人質がいるとなれば村を吹き飛ばして終わりというわけにもいきません」


 一緒に端末の映像を確認していた曹長がそう言うと、バセットも同意するように頷く。


「セオリー通りにやるなら夜襲だな。彼我の戦力を比べても問題はないだろう」


 治安維持部隊には自分たちが乗っている装甲車輌以外に16式機動戦闘車が配備されており、限定的ではあるが機甲火力も付与されていた。


「普通ならそうですが、三個小隊のうち二個小隊があれでは……」


 そう言って曹長は車列後方に不安気な視線を向ける。

 視線の先いたのは、M1ガーランドを持ち66式鉄帽と迷彩服Ⅰ型に身を包む新生王国軍の兵士たちだった。


「帝国軍とほぼ同じ装備を持つ彼らがどこまでどこまで戦えるかどうか」

「我々がフォローせねばなるまい。王国軍の小隊には支援分隊を組み込む。こちらの小隊の戦力は落ちるが、村内の掃討は彼らにやってもらう。その方が彼らにとってもいい経験となるだろう」

「わかりました。それでは、夜襲でいくということを各隊に伝えます」


 バセットの言葉に頷いた曹長はその場から離れると、小隊長たちを集め村解放に向けた作戦を伝えるのだった。


   *      *


 日没を待って移動を開始した第八治安維持部隊は、村の周囲に歩兵部隊を展開し突入の態勢を整えていた。


「村にいる帝国兵に何か動きはあるか?」


 指揮本部として使用しているL-ATVの車内で、バセットは偵察小隊長に尋ねる。

 村の上空には暗視カメラを搭載したドローンを飛ばしており、村を占領する帝国兵の活動が低調になるタイミングを計っていた。


「動きありません。ほとんどの帝国兵が家屋で休んでいるものと思われます」

「やるなら今か……予定通り状況開始だ」

「了解。指揮本部から機動戦闘車小隊へ。状況を開始せよ」

『こちら機動戦闘車小隊。了解。攻撃を開始する』


 気付かれないよう微速で村に近づいた16式機動戦闘車四輌は、村の入り口に構築された野砲陣地と機関銃陣地に向けて105ミリ砲を撃ち込んだ。


『命中ッ!』

『敵機関銃陣地の破壊を確認。これより歩兵と共に突入する!』


 居眠りしていた野砲や機関銃の操作員を陣地諸共吹き飛ばした16式機動戦闘車は、車体後部に王国兵たちを従えて村の中に突入する。


「な、何だ――ギャッ!?」

「今の爆発はどうした? 弾薬の暴発――グアッ!」


 爆発音に驚いて寝ていた家屋から飛び出した帝国兵は、何が起きたのか把握する間もなく突入した王国兵のM1ガーランドによって撃ち殺された。


「て、敵襲だ! 王国軍が攻めてきたぞ!」

「王国の雑兵相手に狼狽えるな! 装甲車を始動させろ!」


 ある程度村の入り口から距離のある家屋で寝ていた帝国兵は事態を飲み込むと、自分の銃火器を手に取り応戦態勢を整える。

 その様子を見た王国兵たちも応戦しようとしたとき、倉庫と思われる建物の扉を破り砲塔と車体に機関銃を搭載した装甲車輌が姿を現した。


「連中は装甲車の姿を見たら逃げ出す。このまま前面に押し立てて迎え撃――」


 思わぬ兵器の登場に動揺した王国兵たちを見て反撃に転じようとした帝国兵だったが、装甲車の存在をドローンで確認した指揮本部から指示を受けた機動戦闘車が間一髪で駆け付け砲撃を浴びせた。

 数ミリの装甲しか持たない装甲車は、105ミリ砲弾に容易く撃ち抜かれ車体を炎上させた。


「え、な――ギャッ!」


 王国軍相手なら無敵だと思っていた装甲車が一撃で撃破されことで呆然とする帝国兵だったが、王国兵たちはその隙を見逃さず弾丸を浴びせ絶命させる。

 村を占拠していた帝国兵の掃討は一時間もかからず完了し、残りは帝国兵が頻繁に出入りしていた集会場を残すのみとなった。


「村瀬少尉、臨時編成した分隊を連れて集会場に向かえ。まだ中に帝国兵がいる可能性もある。油断はするなよ」

「はっ」


 村に入ったバセットから村瀬と呼ばれた女性少尉は、集合していた兵士たちを連れて集会場に向かった。

 少尉の分隊が集会場に向かった直後、その様子を見ていた王国軍士官がバセットに詰め寄る。


「あの集会場には帝国兵に拉致された女性がいると聞いている。彼女らは王国民なのだから、我々が救い出すべきではないか!」


 そう言って息巻く王国軍士官に辟易しながら、バセットは冷たい眼差しを向けて口を開いた。


「集会場の中で帝国兵が彼女たちにどんな仕打ちをしていたのか筆舌し難いものがある。そんな傷を負った彼女たちのことを考えず、貴官は自分たちの面子を守る道具にしようというのか?」

「あ、いや、その……」


 バセットの言葉に、王国軍士官は目を泳がせて言い淀む。

 実際、拉致された女性たちのことを考え集会場に向かわせた分隊は村瀬少尉を含め全員が女性兵士で構成されていた。


『少佐、集会場に敵影なし。拉致された女性たちも保護しました』

「了解。少尉、何か必要なものはあるか?」

『衛生兵と何か着るものを……なければ毛布をお願いします』

「わかった。すぐに用意させる」


 村全体の確認を終えて女性たちも後送した第八治安維持部隊は、補給としばしの休息を取ってから警戒任務に復帰するのだった。

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