第18話

 逃げる男が疑問を抱いた、そのときだった。


 ぼう、と、何かが鼻先三寸で燃えた。


「ヒィッ!」


「な、なんだ、これは……」

 そっと手を伸ばすも、ゆらゆらと空中で揺れる炎は熱くない。

 陰火いんかである。

 墓場に燃えるという。

 死者がともすとも、冥界の炎とも。

 それは太陽の暖かさを持たない、冷たい月下の火である。

 されど、それも火には違いない。

 明かりとなり、逃すものかと照らし出す。


 ぼわ……。

 ぼわ、ぼわっ……。


「あ、あ……」


 陰火が闇夜に灯る。

 一つ、二つと揺らめくたび、すすきが何故か倒れ伏し、そこはまるで広間の真んなか。篝火かがりびが輪となり照らし出されたなかで独り舞台を演じるかのよう。

「な、なんだ、これは! いったい、何なんだ?!」

 四方八方、ついに陰火に囲まれた。

 男の焦り、慌てぶり、壁際に追い詰められたネズミにも似て、おのれをなくす様は見るも哀れなほど。


「ここまでだ、観念しやがれ」

 

 陰火が分かれ、もう一人の役者を迎えるかのように、鬼を舞台に上がらせる。


「内偵はな、てめえのすぐそばまで進んでいたんだ」

「き、貴様! い、いったい、何者だ!」


隠密おんみつ……、妖怪あらたメ方、坂田さかた源十郎げんじゅうろう


「あ、あ……」

 無愛想な名乗りに、逃げた男も自らの運命を察し、血の気を引かせ、真っ青な顔をガタガタと震えさせる。

 ついに腰を抜かし、逃げの足も失った。

「安心しろ」

 いいつつ、源十郎、一歩、男に近付いた。

「てめえが妖怪だなんて思っちゃいねえ。世の中にそんなもん、ほいほいあってたまるかよ。妖怪をかたるのこそ、人間。それを突き止めるのが俺の仕事よ」

 ギロリと一瞥いちべつ

「正体不明の通り悪魔も、その正体見たり、ってな」


「なあ、弥吉やきち?」


 陰火に照らし出された、菱屋ひしやの番頭、弥吉は、もはや見る影もない。

 ガタガタと歯の根あわず、一点を凝視すること、本当の鬼を見たかのよう。

 やせ細った顔が、さらに細く消えてなくなりそうだ。


 源十郎のおもてには、怒りも何もない。

 感情の揺れも見せず、ズンズンと地を踏みしめるようにして、無慈悲に弥吉を追い詰めるのである。

「通り悪魔なんぞと訳の分からんうわさをばらまく。それだけでもおかしな話だが、それに疑い持つもんがいるとは考えなかったか?」

「な、なにを……」

「菱屋の大きな看板使ってあれやこれや、本当だ、うそだと巧みにうわさ流す。おまえさん自身の信用もあり、まあよくぞと思うほど壷にはまって、見事に通り悪魔は信じられたもんだ。でもな、うわさのもとをたどれば真実にたどり着くのは自明じゃねえか。浅はかにものを考えるんじゃねえよ」

 弥吉が後ずさりしても、後ろは陰火の壁。

 逃げられない。

「あ、あ、あ……」

「今日のこと、おまえらにとっては不運、災難だったろうが、俺にとっては勿怪もっけの幸い、渡りに船だったてえわけだ」

 源十郎、ついに刀を抜いた。

 白銀しろがねの刃が、陰火を受けてなおさら輝く。

 源十郎の鬼の顔は、悪を踏みつける仁王のそれそのもの。

「てめえの恨みも分からねえでもねえが、恨みつらみで罪のねえもんまで巻き込もうとするなや。そんな血も涙もねえこと考えるから、悪党どもにつけこまれるんだ」

 弥吉、もはや蛇ににらまれたかわず

 いや、獄卒ごくそつに追い詰められる咎人とがびとか。


「てめえは結局、自分に負けたんだよ。悪いもんはまず、きれいさっぱり斬って捨てておかねえとなあ」


「ぎゃあーーーーっ!」

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