浮世草子「源十郎隠奇譚」

源十郎隠奇譚

二階座敷

第1話

 ころあいは、中秋の名月を過ぎてしばし。

 江戸、京坂きょうさかより離れた西国さいごくにも、涼やかな風が忍び寄る。

 山をよそおう、錦秋きんしゅう竜田姫たつたひめをそろそろ待ちわびるのは、どこでも同じ。


 とある領国、港町。

 活気あふれる町でも、昼日中の酒屋に入り浸る人あるのは、それもまたどこでも同じ。

「……いや、いいです」

 にこやかにも、その侍は女中の案内を断った。

(さて、どういう顔をなされるか)

 羽織袴はおりはかまに汚れもしわもない若侍。目鼻の通った中性的な痩身の優男がうるわしくみかければ、町の垢にまみれた女中など役者に誘われたとばかりぽっと頬を染め、うっとり。それを知ってか知らずか、若侍の含み笑いはすでに二階座敷を向いていたのである。

 ギシギシと音を立てて階段を上がり、

「失礼します」

 と、ふすまをすらり開ければ、

「呼びつけておいて遅れるたあ、いい根性だ」

 冗談とすぐに分かる、野太いが明るい声。

(やはり……)

 とでも、いいたげに、侍は悪びれることもなく秋風もさらりと受け流して、後ろ手にふすまを閉めた。


 港には遠いとはいえ、風が磯のにおいを二階座敷まで運んでくる。それをかき消すかのように、すでに酒のにおいこそ、小さな座敷にはこもっていた。

「お待たせしましたか?」

「ま、酒は進んだがな。それは許してくれような?」

「遅れたのはこちらですから」

「フン。なら、酒代は……」

「もとより」

 にっかりとこだわりもなく、若侍は、三十も手前と見える、床の間の柱にもたれかかって杯を置きもしない、いかつい男に微笑みを送った。


 二人は人体からしてまるで対照的。

 一方は女形おんながたの役者と見紛うほどの美男子。もう一方は、大きな体を折りたたむようにして座る、全身に鋼を巻き締めた仁王像のような野性味あふれる男。

 身分も違うではないか。

 城勤しろづとめとすぐに分かる、こざっぱりとした二本差しの若侍。対して、つぎはぎも目立つ着物を袴もはかない着流しのむさくるしい姿で、刀一本落とし差しの浪人である。

 横柄な態度は無宿むしゅく浪人よりも、主持ちの侍にこそ相応しいはずだが。


「源十郎さんがどうしてもというから、このような場を設けましたのに」

「おまえと会っているとな……」

「おみつさんに叱られる?」

 含みのある艶笑えんしょう見せる、若侍鷹山たかやまかなめである。

 それには浪人、坂田さかた源十郎げんじゅうろうは渋い顔。返す言葉は弱々しい。

「叱られるとかいうな。まったく……」

「フフ。だから、私があなたの家へ出向くことかなわず、面倒な手はずを踏まないといけないわけでしょう?」

「分かってる。さっきの遅れたを気にするか?」

「久しぶりに源十郎さんの顔を見られると思ったら、きついことをいわれるのでは」

「そんな玉かよ、おまえが」

 ごまかすように酒をあおった源十郎を見るかなめの顔からは、、楽しげな笑みが取れることはない。それがよほどこそばゆいのか、足に虫でも這っているかのように、源十郎は落ち着かないのである。


「失礼します」

 と、女中が入ってきた。

 膳部をかなめの前に、源十郎にはまた酒を満たした徳利を置けば、すぐに去る。

 のどかな秋の日差し入り込む小座敷で、距離も近く、いっそう二人はくだけた話し振りになるのである。


「おまえと会っているとな、あいつはいやな顔をするんだよ、何故か」

「何故? とは、これは源十郎さんらしくもない」

「妬いているといいてえんだろう? かわいいもんだが、おまえとどうこうなるものでもねえのにな」

「僕としては、どうこうなっても構いませんが」

「わざとらしいを作るな。冗談はもういい」

「僕は別に冗談でも……」

「バカなことを」

 気安いやりとりに、二人が気心知れた仲だと伝わる。

「おまえがそんなだから、会うとなればこそこそと、隠れるようにして家から離れたこんなところでとなるんじゃねえか」

「すれ違いもまあ、その意味では仕方ありませんね」

「待っているあいだにいい酒飲ませてもらえるってえのは、ありがてえがな」

「なら、いいではありませんか」

「むうぅ……」

 軽薄なかなめにやり込められて、そこはおもしろくない源十郎であった。

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