葛葉

第19話

 その切っ先は、弥吉やきちの額、わずか一寸手前で止まった。

 弥吉は白い目いて、あっさり気絶。

「ま、さばきは俺がするもんじゃねえけどな」

 ポンと、刀を肩に担ぎ、無慈悲な鬼が一転、にっかりといたずら坊主。

 源十郎げんじゅうろう、してやったりである。


 陰火いんかはすなわち、狐火きつねび


「終わりましたね!」

「ああ、ご苦労さん」

「はい!」

 陰火が消えて、そこから現れたのは、仔狐。

 それはなんと、コン太へとさらに変化したのである。

 よくやったと、源十郎に頭を撫でられればコン太は無垢な笑顔。犬が尻尾を振って喜ぶさまに似ていた。


 めっきり涼しくなった秋の夜に、すすきを揺らす風、さらり。

 ぷんと、あたりに季節外れな沈丁花じんちょうげの香り。

 風のなかに。


 源十郎の顔がまた、引き締まる。

 夜の闇に満ちて、甘く、蠱惑こわく的に、その香りはなぶるように脳を刺激する。

(チッ……)

 沈香じんこうにも似たそれは寺にも染み付いていて心を落ち着かせるものだが、源十郎の胸のうちはにわかにざわめいた。

 月がまだ隠れたままの黒い夜空に現れたのは、一匹の巨大な白い狐。

 にらみつければ、それはみるみると、女性にょしょうの姿となりて妖艶ようえんに源十郎に微笑ほほえみかける。

 遊女ゆうじょのように絢爛けんらん派手な紅い着物をまとっているが、沈丁花の香りを振りまき、ぷかぷかと空に浮かぶ姿にはそこはかとなく威厳、無きにしもあらず。


「母さま!」


 コン太は源十郎とは逆に、尻尾をぶんぶん振らんばかりに天を仰ぎ見る。


「あらあら、あんさんはいつまでも甘えたどすなあ」

「そ、そんなことはありません!」

 母にたしなめられ、はしゃぐ顔を急に引き締めたコン太であった。

 それを愉快ゆかいげに見下ろして、頭上の狐女は、

「おつとめ、お気張きばりやっしゃ?」

「はい!」

「まぁ。相変わらず、お返事だけはええ声どすなあ」

「そ、そんなことは……」

「ま、ええどす」


 かしげるようにして、源十郎へと向く仕草。

 魅了みりょうを超えて妖しげで、吸い込まれそうなその大きな瞳、警戒心の強い源十郎などは背中に毛虫でもったように、寒気も覚えるのである。


「さて、そちらさんも、お勤め、ご苦労さんどす」

 心のこもっていない薄っぺらい言葉など、かけられても嫌味にしか聞こえない。

 源十郎、その心を隠しもせず。

「フン。てめえにねぎらわれるこっちゃねえよ」

「そうどすなあ」

 狐女は扇子せんす取り出し、閉じたままのそれで小さな口元隠しつつ、

「人の世はいつでも騒がしゅうていけまへんな」

 白くも美しいおもてに狐の皮肉な冷笑は、泡を噴いて伸びている弥吉を

「人の世をのもいいが、山んなかだっていうほど静かでもなかったじゃねえか」

「フフフ」

 切りつけるような源十郎の言葉にも、狐女は静かに笑う。頭上でぷかぷか、幽玄ゆうげん優美ゆうびなものである。

意趣返いしゅがえしどすか? あの折りはおおきに。あんさんにはほんま、助けられましたなあ」

「コン太と一緒にな」

「そうどす。そやさかい、あんさんに付けるんは、うっとこの子の修行に打ってつけや思いましてなあ」

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