第3話

「人さらいのうわさ、か? おまえがいうのは」

「ええ。近頃、子どもがさらわれること多いと」

「何の冗談かしらねえが、鬼だか、通り悪魔だかの仕業と騒がしいな、確かに」

「鬼は、ここにいますけどね」

「うるせえ」

「でも、通り悪魔は捨て置けません」


 通り悪魔。

 奉行も務めた根岸ねぎし鎮衛やすもりの「耳袋みみぶくろ」、隠居した殿様松浦まつら静山せいざんが書き溜めた「甲子夜話かっしやわ」など、江戸の随筆にもその記述はある。それに通りえば心を乱し、行いはなはだ荒くなる、果ては刃傷沙汰にんじょうざたにまでおちいるとか。気をしっかり保てば、それに出遭っても害を避けられるとか。


「俺は眉唾まゆつばにしか思っておらん」

 源十郎げんじゅうろうは鼻で笑う。

「今はちと景気が悪い。それで人心も荒れる。強盗だ、辻斬りだと、毎日のように何かしら起こっているのがそれだ。それを面白おかしく妖怪に仕立てて言い立てているだけのこった。おもしろくない世のなかに、せめておもしろい話を添えてやろうとまあ、庶民なんていじらしいもんじゃねえか」

「それなら、いいのですが……」

「いや、よくねえだろう? 架空の悪魔の仕業より、現実の人間の仕業、それをこそ、お上が何とかすべきなんじゃねえのか?」

 源十郎の鋭い物言いに、

「私には関係ありません」

 などと、うそぶくかなめである。


「部署が違うといってしまえばそこまでですが……」

「気になるからこそ、俺に相談持ちかけたと、そんなところか?」

「よく分かっていらっしゃる」

 からかいが入れば、かなめの口調は元通りの軽さへ。

「私はお役目でしばらく町を離れます」

「そのあいだに、俺にそれを探れと?」

「ま、そんなところです」

「何様だあ、おまえは」

「それはあなたが一番、よく分かっているはず」

 チッ、と、これ見よがしに舌打ちの源十郎はやけくそ気味に、

「探るのはなんだ、人さらいか? それとも通り悪魔か?」

「それは源十郎さんが、如何様いかようにも」

 つやを帯びた笑み、再び。

「源十郎さんの人の好さ、私はよく存じておりますよ」

「なんだ、そりゃ?」

「鬼の源十郎も、実は子ども好き」

「よせ……」

 痛いところを衝いてくる。

 結局、縛られるもののない放蕩ほうとう自由な身をあてに、厄介ごとを押し付けられたわけか。

 源十郎はご機嫌斜めである。

 かなめは逆に楽しそう。

「では、しばらくのご無沙汰です」

「おう」

 その物言いは、ちょっと買い物へと出向く家族を見送るがごとく。

 このころの旅である。いうほど気軽なものでもないのだが。

 だからこそ「はなむけ」と人は旅の別れを惜しみ、かつ無事を祈るのである。


「気をつけて、とはいってくれないのですね」

「フン。おまえにか?」

 ニヤリと、いたずらものを見る年長者の顔で、

「地獄の果てでもすまして、鬼にも愛想振りまくような奴のくせに」

「ひどいなあ、それは」

「鬼のお墨付きだ」

「ハハハハ」

 源十郎の意趣いしゅ返しを陽気に笑い、そこでかなめは完全に腰を上げた。

「可愛げねえなあ」

 いわれれば、かなめは毒を含んで、

「それでは、おみつさんによろしく」

「いえるわけねえだろう!」

「うふふ……」

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