第10話
宴席が引けて、夜も深く、
その耳に、怒鳴り散らすしわがれ声が聞こえてくる。
「だから、おまえが
「し、しかし、大旦那さま……」
「口答えするかッ!」
「い、いえ……」
「フン……。そもそもだ、もう一度いうが、おまえが、可愛い孫を、おまえと同等に愚図で能無しのあの婿よりも目をかけている、あの子を……ッ」
「と、とはいえ、ふさぎこんでいる若さまを気晴らしにとおっしゃったのは、大旦那さまで……」
「そこをいっているのではないわ!」
「は、はい……」
「だいたい、なんだ! あの浪人は!!」
「若さまを救っていただいた方で……」
「それへの感謝など、宴席一つ……、いやそれももったいない。小判一つで十分だった。それなのになんだ、雇うぅ? 用心棒ぅ? うちがよほど何かをしでかしたか、何かに脅されているか、それを世間に知らしめるようなものではないか! 恥を知れ、恥をッ!!」
「し、しかし……」
「ええいっ! いつまでもうだつの上がらぬ、おまえらが愚図で役立たずだから……ッ」
「だ、旦那さま、お許しを、お許しを……」
「こ、この恥知らずがッ!!」
広い屋敷の外にまで、その怒鳴り声、漏れだすのではないか。
そのほうがよほど恥臭いと思うのだが。
(確か、七十を超えていると聞いたが、
その余りある精力、店をともに盛り立てる番頭を叱り付ける以外に向けられないものか。
むかっ腹に、目を閉じていても眠気の一つもこない、源十郎である。
それから半刻ものあいだ、大旦那治郎兵衛が番頭弥吉を、さらには婿殿をも呼びつけての鞭打ちも及ばぬような叱責は続いていた。
(長々ねちねちと、人をなぶるネタがよくぞあるものだ)
あきれ返ること
秋の虫の音が、代わって源十郎の耳に届く。
(ようやく、眠れそうだわ……)
すぅと、静かに、庭に面した廊下側の障子が開いた。
細くも、荒い、小さな息が聞こえる。
虫の音にもまぎれそうな。
部屋の様子をうかがっているのだろう。
源十郎、大胆にも大の字で転がり、目をつぶったまま、高いびきもわざとらしく、まずはそれを気配で感じ取るだけである。
部屋の隅に残された行灯に、用心の火が灯心に残っていれば、月明かりも差し込む部屋である、薄ぼんやりとなかの様子も見えないものではない。
部屋に忍び込んだ誰かは、何かを探り当てると、またそっと出て行った。
障子が閉じられてやっと、源十郎はむくりと起き上がった。
部屋を見回し、盗られたものが何であるか確認すれば、
「はあ……」
と、大きくため息ついて、ぼりぼりと頭をかいたものである。
深更の中天に、月が白々と輝く。
そっと、小さな影が、庭を抜けて
何やら細長いものを抱えて。
「どこへ行く?」
ぬっと、となりの武家屋敷の角から姿を現したのは、源十郎。
「そいつは俺の一本しかねえ大事なもんだ。それがないと腰の収まりが悪ぃや」
「の、のけよ!」
「おう、勇ましいな」
月明かりが、小さな盗人を照らし出す。
昼間助けた「若さま」ではないか。
それをしっかり確かめた源十郎は、驚くそぶりも見せず、逆ににんまり。
「バ、バカにしやがって! おまえもかっ……」
それに何を思ったか、若さまは逆上である。
小さなこぶしも握り締め、精一杯の反抗を見せる。
「俺を子ども扱いして!」
「いやいや、現に
「だからって!!」
「何を焦っているのかしらねえが、ちいせえ自分を認められず逆上するのなんざあ、それこそ小せえ、小せえ」
「なッ……」
よわい十の子に「小さい」の連発もないものだが。
源十郎のからかいは度が過ぎると見えて。
ついにへっぴり腰ながらも、菱屋の若さまは意地の一つも見せてやるとばかりに、盗った源十郎の刀を抜いたのである。
「や、やあっ……」
重い刀をそれでも何とか振り上げて、ふらふらの足取り、果敢に源十郎に切りかかってくる。
はたから見れば、巨熊にウリボウが命知らずに突進するようなもの。源十郎、軽くいなせば、「返してもらうぞ」と、あっさりその手から物騒なものを取り上げた。
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