第19話

 西川さんの体からさらしをすべて解いた俺は、信じられないものを見ていた。


 背中の肩甲骨のあたりから天使のような白い翼が生えていて、しかもそれが痛々しい感じに折れ曲がったり、所々に血が滲んだりしている。

 普通なら人間に羽が生えてることを驚くのが先だろうけど、この折れ曲がり方は俺に『手当が先』と訴えかけるのに十分な説得力を持っていた。


「ねえ、背中のこれ、痛んだりするの?」

「うーん、いつも解いたあとは痺れた感じになるの。だから痛いかどうかと言われても……。そうね、今は痛くないわ」

「お風呂に入ったときにしみるとかは?」

「いいえ」


 ふむ。見た目ほどには痛まないようだ。というかこれ翼だぞ? 本当に西川さんから生えてるのか? コスプレ用のアイテムとかじゃないのか?


「あの、触ってみてもいいかな」

「え? ええ、どうぞ」


 俺は翼の根元の部分、肩甲骨のあたりに触れてみた。


「ここは? 痛くない?」

「うん、大丈夫。あの、何か気になるものでもあるの? そんなに神経質になるような」

「いや、別にそういうわけじゃないけど、ただちょっと珍しいなって」

「え、あの。私ってどこか変?」

「変っていうか。普通はこういうの生えてないと思う、天使みたいな」

「天使? それってお世辞の類かしら。それとも私があなたを神様みたいだって言ったから、そのお返し?」

「いや、そういうんじゃなくてだな……」


 どうやら話がかみ合っていないようだ。

 西川さんは背中に翼がついてることをご存じない?

 いや、俺が幻を見てるって線もあるな。常識的に考えてそっちの方が真実味がある。

 まあいい。答えを急いで恥をかくまえに、とりあえず少しマッサージでもして様子をみよう。


「じゃあまず肩甲骨のあたりをマッサージしてみるよ」


 俺は肩甲骨の内側、背骨の両側あたりに親指を這わせていって、こっている部分を探しあてた。

 そこをゆっくりと揉みほぐしながら、徐々に力を入れていく。


「あっ、んん、あ、気持ち、いいわ」

「痛かったら言って」

「……全然痛くないわよ。すごく気持ちいい。肩甲骨の内側に、指が入ってきて……あっ、そこ。すごく太いのが入ってきてるのに、違和感がなくて。これってまなぶくんが上手だから、かしら」

「さあ、どうかな。まだ初めたばかり、だからね。これからもっともっとほぐしていくから」



「ね、ねえ麗華ちゃん。これってマッサージ、よね? 肩揉んであげてるのよね?」

「なに言ってんの。えみっちが言ったんじゃん、肩揉めって。他に何があるのさ」

「そりゃ、こんな声とセリフなんだから……。いえ、なんでもないわ。やっぱり下で待ってましょ」

「え、なんで? 来たよって声かければいいだけじゃん。笑っちが行かないんだったらアタイが代わりに、んぐっ」

「しーっ。いいから、ついてらっしゃい」



「ねえ、西川さん?」

「う、うん?」

「うまく言えるかわからないけど、そのまま聞いてくれる?」

「え、ええ、いいわ。どうぞ」

「保健室でのこと、悪かったなって思ってるんだ。その、いきなり西川さんに脱がすって言ったこと、とか、いろいろ、変なこと言ったとおもうけど……」

「ふふ、おっぱいに名前を付けろって言ったこととか?」


 西川さんが笑ってくれたことで少し気が楽になる。

 正直、自分の気持ちを話すのは苦手だ。


「そう。俺さ、昔から悪いこととか見つけたときに熱くなりすぎて暴走しちゃう時があるんだ。沸騰したヤカンがピーって鳴るみたいにさ。小学校のとき、俺はいじめを目撃してとんでもなく大暴れしたんだ。いじめてた奴につかみかかっただけじゃあすまなくて、学校中引きずり回してそいつの悪さを宣伝してまわったみたいなんだ」

「……」


「はは、ホントなんだ。熱くなりすぎて俺にはその時の記憶があんまりないんだけど。で、まあそんな大騒ぎしたら問題も大きくなるっていうかさ、クラスの雰囲気もすっかり変わっちゃって、いじめてた奴はもちろん、いじめられてた奴にまで避けられるようになった。そりゃそうだよね。いじめられてたことなんて誰にも知られたくないのに、俺が大騒ぎしたせいでみんなに知られたんだから。抵抗せず、静かに耐えて、いじめっ子が飽きるまでとか、クラス替えや卒業まで待っていたかったのかもしれない。俺が大騒ぎしたせいで、かえって迷惑かけちゃったんだなってね」

「……」


「その事件のあと、職員会議やら親を集めての説明会とかいろいろ開かれてたみたいだけど、俺も、それから俺の両親も、たぶん肩身が狭かったんじゃないかな……」


 俺は一気にそこまで話したけど、何を言いたいのかわからなくなって言葉に詰まった。

 すると西川さんが少し呼吸を整えてから言った。


「……わたし、はね、学くん。あなたが踏み込んでくれるまで、何も感じてなかった」

「……」

「自分がおばあちゃんの言いつけにとらわれて、がんじがらめになってるんだなんて思いもしなかった。あなたに肩がカチカチに凝ってるって言われて、本当に驚いたわ。小さいころはイヤだったことも、長い間同じことを繰り返しているうちにイヤだとも思わなくなっていたの。それが当たり前になって」

「……」

「だからアナタが踏み込んでくれて本当にうれしかったの。本当に。そりゃ、びっくりはしたけど……うん、やっぱりそう。うれしかった」


「……ほん、とう?」

「ええ、私は嘘は言わないわ」

「委員長、だから?」

「いいえ、それは以前の私。今は、学くんに気付かせてもらった本当の私、だからよ」

「そ……か。あのさ、西川さん」

沙緒莉さおり、でいいわ」

「え?」


「私が学くんって呼んだんだから、沙緒莉でいいわよ」

「そ、それは……じゃあ、沙緒莉、ちゃん?」

「それだと子供っぽいと思うのだけど」

「なら、沙緒莉、さん」

「お姉さんみたい」

「えっと、えっと、さおりん?」


「ぷっ、学くんがさおりんって、おかしい!」

「な、なにがだ! まあそんな呼び方する柄じゃないってのは認めるさ。なら、どう呼べってんだ、沙緒莉か?」

「……」

「え? どうした?」

「それ、もう一回言ってみて」

「なにを?」

「だから、呼び捨てで」

「沙緒莉……。えっ!? これがいいの?」

「と、当然そんなのダメだわ。まるで恋人みたいだもの」

「あ、ああ、まあそうだよな。ただの友達が、そんな呼び方しちゃダメだよな。ただの……」

「そう、よ。もう少し、時間をかけてほしいわ」


 それから何分くらいマッサージを続けただろうか。

 俺は時間を忘れるくらい夢中になっていて、下で麗華が待っていることも、篠崎先生が来ることもすっかり忘れていた。


 ただひとつ確実に言えることは、背中にあった折れた翼はいつの間にか消えていて、西川さんの肩や背中は驚くほどコリが取れていたということだ。

 マッサージが終わった後に腕や肩をまわしてみた西川さんが驚いていたから、俺の勘違いじゃないと思う。

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