第7話

 布団をかぶったまま駄々っ子みたいに出てこようとしない西川さん。

 そんな西川さんに対して俺が何もできないうちに先生が戻ってきてしまったので、この件について語れることは何も残っていない。


 ただ保健室に戻ってきた篠崎しのざき先生は、こんもり膨らんだ布団と途方に暮れた俺を見ても何一つ疑問に思うことなく、親指を立てたグーを俺に差し出した。


「グッジョブよ、大黒おおぐろ君」


 なにがグッジョブなのかわからん。

 あんたに請け負ったは失敗したんだぞ。


えみ先生、三十分とか言ってた割に早いっすね。先生ともあろう人がまさか盗み聞き、なんてしてませんよね?」

「んな!?」


 笑先生は俺の攻撃に一瞬受け身を取ろうとしたけど、すぐに余裕の笑みを浮かべて反撃してきた。


「もちろんしてないわよっ。そ、れ、に……。学校で下の名前で呼ぶのはダメよ。『』されてるかもしれないから、ね?」


 くっ! これが大人の女のしたたかさという奴か。

 子ども扱いされたみたいで、なんか悔しい。


「さあさ! 沙緒莉さおりちゃんもそんなところにいつまでも隠れてないで。それにね、頭は隠せても、隠せてないわよ」


「きゃいっ」


 先生が勢いよく布団をはぐと、慌ててお尻を撫でつけてスカートがちゃんと着れてるか確認している西川さんが出てきた。


「どうしたの? 顔真っ赤じゃない。う~ん?」


 いや先生。

 そんな邪気のない顔で首をかしげながら俺に『教えて~』されても困ります。先生がはずかしめたんじゃないすか。


「い、いえ、なんでもないんです。申し訳ありません」


 律儀に謝る西川さんが気の毒になってきた。

 ここは俺が何か話しておこう。


「お灸って効くんすね、癖になりそうです」

「そお? VIPコースだと針もあるけどどう?」

「それは遠慮しときます。じゃあ俺たち帰りますんで」

「はい。お疲れさま~。沙緒莉ちゃんも、また何かあったらいつでも来てね。大黒君、沙緒莉ちゃんを家までちゃんと送り届けてね」


 いや、家までって。

 途中下車してまで西川さんを自宅に送り届けろって言うんですか?

 だいたいそんなの西川さんだって望んでないでしょ。



「大黒君……。あなた私の家にくる?」


 なんとなく気をつかって学校内では少し離れて歩いていたけど、校門を出ると西川さんが振り向いて言った。


「ん?」


 内心の動揺を悟られないように、細心の注意と少し低めの渋い声で返事した俺の気持ちを、世の男子諸君は理解してくれることと思う。


 小学校低学年の児童じゃあるまいし、女子の家に行くということが多少の意味を含んでしまうことは俺も承知している。

 そう、男子一人で女子の家に行くなんて、付き合ってると思われても仕方のない行為だ。


 まあ俺は理数系が得意だし?

 西川さんは文系?

 だから一緒に勉強すれば協力できることだってあるだろう。


 そう、そういう付き合いだ。

 実に高校生らしい、ほほえましい光景じゃないか。


 まさか『今日、両親がいないから。二人きりで、ね?(ハート)』なんて話であるはずがない。



「今日ね、両親がいなくて、私一人なの」


「んん!?」


 い、今のは本音が駄々洩れだったかもしれん。

 西川さんも笑先生と同じく、俺の心を読んでいるのでは!?

 すぐにフォローしなくては!


「へ、へえ。仕事で帰りが遅くなるの?」

「うん、海外出張で一週間」


 予想外のスケール!

 つまり泊まり込みで勉強しても翌朝までずっと二人きり?


「すごいね。海外なんて」

 俺は本音で凄いと思ってそう言ったんだが、西川さんの反応は微妙だった。

「そう?」

「すごいよ。だって、うちのおやじなんか出張行ってもせいぜい隣の県。泊りがあってもそれは仕事が夜中まで続いたからだし。そういえば母さんとも隣の県で知り合ったんだぜ。めちゃくちゃ世界が狭いだろ?」

「……」


 西川さんはそれきり黙り込んでしまった。

 電車に乗っても、西川さんの自宅の最寄り駅で降りても、改札を出ても。

 そして気付いたら西川さんの家の前まで来てしまっていた。


 ちなみに俺が西川さんの家までついてきたのは、彼女の様子がおかしくて心配だったからだ。変な下心なんかないぞ。


「えっと……。まさかこの中に西川さんの家が?」

「ええ、ここが私の家」


 かなり広い土地だ。

 立派な門と塀の中は見渡す限り高い木々ばかりで、家なんか見えない。

 田舎暮らしの別荘じゃあるまいし、都会の住宅街の一角にこんなものがあることを、近所の人はどう思っているんだろう。


「たしかに、薄暗い森のなか、だね」

「そう。私が、閉じ込められている森……」

「え?」


 俺が戸惑っている間に、西川さんは門を開けて中に入った。

 そして振り返って問いかけるように僕を見つめる。


「えっと、あの、俺がついてきたのは君を家まで送るためで……。そ、そう! 先生に頼まれたしな――」

「こないの?」

「うぐっ!」


 首根っこをつかまれた気分だった。



『女のほうから誘ってるんだぜ、いっちゃえよ!』

 男たちよ、なんて無責任なんだ。


『女の子に恥をかかせるなんて、最低よ!』

 女たちよ、突然結束するのやめてくれ。


『部屋まで行ったの? 女の弱みに付け込むなんて、最低よ!』

 どうすりゃいいってんだ?


 俺だって、ここで選択を間違えたら一生後悔しそうだってことぐらいわかるさ。

 けど前にも言ったけど俺は怪談が苦手なんだ。

 薄暗い森の中へと誘う妖艶な美女。

 ついてった男がどんな目にあうかなんて決まってる。


 しかもだ。

 俺が返事を迷ってる間に、西川さんの様子がおかしくなってる。

 瞳は浮かべた涙で揺れてるし、赤ちゃんみたいな無邪気さと、男に裏切られた悲しみの中間ぐらいの妖しい表情になってるんだ。


 そんな彼女に見つめられて、俺の思考はデッドロック状態。

 昨日から何度目かわからない汗を噴き出していると、助けの手を差し伸べるような携帯の呼び出し音が聞こえた。


 西川さんはバッグから携帯を取り出すと、ごめんなさいと言って通話を始めた。


「いや、むしろありがとう」

「うん?」

「な、なんでもないよ」

「もしもし? ああ、叔母様。お久しぶりです……」


 電話で話している西川さんの横で、俺は必死に考えを整理する。


 けど落ち着いて考えればなんてことはなかった。

 ここまで来て無理に誘いを断るなんて無意味だ。

 少し勉強の話でもして、早々に帰れば何の問題もない。

 家に寄るのだって、誰にも見られなければ変に勘ぐられたり噂になることもないんだ。


「え? はい、でもそんな気を遣っていただかなくても。はい? はい……はい。わかりました」


 ちょうど西川さんも電話が終わったようだ。


「あの、じゃあ少しだけ寄っていこうかな。断る理由も――」

「本当にごめんなさい! 今日は帰ってください」


 めちゃめちゃこたえた。

 傷ついたと言っていい。

 さっきまで逃げ出したいとさえ思っていたのに、なんだこの裏切られたような気持ちは。


「う、うん。今日は送ってきただけだし。むしろ予定通りっつうか?」

 精一杯見栄を張る俺。なんて健気なんだ。


「ご、ごめんなさい。あの、叔母様が心配して急に来るって言うから。この埋め合わせはちゃんとしますから」

「なに言ってんだ。友達だろ。埋め合わせなんか必要ないって」

「とも、だち……?」

「そ。そんじゃまた明日、学校で」

「は、はい」


 颯爽さっそうと歩き出す俺。

 なんとなく後ろ髪をひかれる思いだが、ここは未練たらしく振り返ったりしちゃいけない場面だ。



 駅への道はどっちだったかな、などと考えていると、目の前に違和感を感じた。めまいがするような、イヤな気持ちだ。


 すぐに違和感の出所に気付く。

 見覚えのある制服と、見覚えのある顔。

 クラスのギャル系女子、西川さんをクラスの隅っこに追いやった張本人、角田麗華つのだれいかが俺をまっすぐに見つめて立っていやがった。


「ああ、こりゃ最悪だわ」

 無意識に俺はつぶやいていた。

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