第6話

 およそ一時間後、西川さんと俺は保健室のベッドに横たわっていた。


「はあ、気持ちよかった」

「……ええ。すごく」

「また、したいな」

「ふふ、いっぱい溜まってたのね」

「いや、そんなことない……でも、ないか、はは」

「すごく気持ちよさそうな声、いっぱい出してたもの」

「に、西川さんだって」

「ふふ」

「ははは。先生のお灸実験は成功したってことだね」


 篠崎先生にお灸をすえると言われたとき、それまで沈黙を守っていた二人が悲鳴に似た短い声を同時に上げた。

 逃げ出そうとする二人の腕を間に割り込んだ篠崎先生の腕ががっちりと捕まえる。


「大丈夫よ。火は使わないやつだから」


 いったいどこで磨いた技術なのか、篠崎先生は俺と西川さんを瞬く間にベッドに寝かせると、首の後ろと腰に手際よくお灸を置いた。

 それまであれこれ理由をつけては逃げ出そうとしていた俺たちも、お灸をのせられた途端に叱られた子犬のようにおとなしくなってしまった。

 だって熱いのが体に乗ってるんだぞ。

 動いたら危ないじゃないか。


 そして俺と西川さんはお灸の気持ちよさを知ってしまった。

 肩がコンクリートみたいにこわばってる西川さんはともかく、俺も知らないうちに疲れが溜まってたんだろうか。じんわりとした温盛が首から肩に伝わって、疲れがどこかに蒸発していくみたいだった。


「お、おおお、俺、ヤバい、もう」

「あああ。私も……、こんなの、はじめて」


 うとうととしてしまった頃に先生が来て、お灸を外してくれた。


「私、これから職員室で仕事片付けてくるから。うーん、三十分くらいかかっちゃうかなあ。それまでゆっくりしてていいわよ。すぐには動きたくないでしょ?」


 なんとなく妙なイントネーションだったので顔を上げて先生を見たら、篠崎先生は俺にウィンクした。おいおい、どういう意味だ。俺たちを二人きりにして何をさせようっていうんだ。


「私ね、ときどき篠崎先生に話を聞いてもらってたの」

「へえ」

「不思議なんだけど。先生は私の話をちゃんと聞いてくれるの」

「ふーん」

「……。私の話、つまらない?」


 おっと!

 昨日怒らせてしまった教訓を活かさなければならない。

 西川さんの話を適当に聞き流してはいけないのだった。


「いや、そんなことないよ。でもさ、保健室に来た生徒の話を聞くのは当たり前じゃないの?」

「そうでもないわよ。ただ話を聞くのと耳を傾けてくれるのは違うと思わない?」

「えっと……」


 話を聞くと、耳を傾けるの違いだって!?

 抜き打ちの現国のテストか何かか?


「う、うん。たしかに微妙に違うよね。ニュアンス的に」

「そう。耳を傾けるっていうと、体ごと自分に寄り添ってくれる感じがするわ」


 なるほど。西川さんは寄り添って欲しいのか。それじゃあ僕の方から移動してっと。


「押し売りじゃなく、迎え入れるように話を聞いてもらえると安心できる気がするの……って、どうして私のベッドに腰かけてるの?」

「え!? あ、いや、どうしてかな。西川さんの話を聞こうとしてたら、自然とこうなってたっていうか」

「それ、ホント?」

「う、うん。なんで疑うのさ。疑う余地なんかないよ」

「ふーん」


 西川さんは急に眼をそらして壁を見つめて言った。

 声の調子が妙に淡々としている。


「あ、あれ? ホントだって。どうやったら耳を傾けられるかって思ったら、自然に体が動いたんだよ。こういうことじゃないかもしれないけど、他にどうしていいか分からなくて」

「へえ」


 今度は後ろを向く西川さん。不安になるような気のない返事だ。いったい何が気に入らないんだ?


「……ね、ねえ。西川さん?」

「うふ、ふふふ」

「な、なに?」

「ごめんなさい。ちょっと悪戯したくなったものだから」

「悪戯?」

「そ、さっきの大黒おおぐろ君、こんなふうに生返事してたからさ」

「え、俺そんな?」

「そんなだよ」

「ま、まじで? そんなヒドい? 俺、そんなふうにしてたつもりないんだけど……」

「ちょっ、そんなに落ち込まないで。そ、それくらい、男の子だと普通なのかもしれないわ、うん」


 西川さんが慌ててベッドから体を起こすと、かぶっていた布団からスカートのホックやシャツのボタンを外したあられもない姿が俺の前に晒された。

 意外と細い腰のラインやくびれ、チェックのプリーツスカートからはみ出る太もも、なんならパンツの一部まで見えてるんですけど。

 俺は反射的に目をそらしていた。


「ふーん。そうかな」

「あっ! また生返事。それ仕返し?」

「い、いや、違うんだけど」

「ならなんで目をそらすのよ、ちゃんとこっち見て」

「見れんし」


 さっき目に焼き付いた映像が消えない。

 俺は目をつむって頭を振った。


「肩揉ませて!」


 動揺してとんでもない言い方をしてしまった。

 ベッドの上で半脱ぎの女の子に言うのはTPO的にまずかった気がする。でも本人は半脱ぎなんて自覚ないし、ぎりぎりセーフだろ。


「……え? どういうこと?」


 よかった。西川さんは怒っていないようだ。


「いや、この間さ、肩もみ途中だったでしょ? あ、そっか。あの時は俺……、ちゃんと耳を傾けて、なかったよね」


 俺はそう言って視界の端で西川さんの様子をうかがった。


 西川さんは何も言わず、四つん這いで俺に近づこうとして膝をスカートの裾にひっかけてしまった。

 スルっという衣擦れの音と西川さんの凍り付いた表情からすると、向こう側から見たら西川さんのお尻が丸見えになるような事故が起こっているに違いない。


 見えなくてよかった。

 まともに見てしまっていたら、気まずくてとても西川さんを揉みほぐすどころじゃなかっただろう。


 しかし次の瞬間、それは見えた。

 慌てた西川さんが上半身で事故を隠そうとしたせいで、突き出たお尻が初日の出みたいに俺の前にひょっこり顔を出したからだ。


「み、見ないでー!」


 俺は慌てて背を向けた。

 背骨のところがくぼんで、そのせいでできたパンツの隙間からお尻の割れ目がちょっと見えたなんてことは決してない。

 そんな谷間は見ていないぞ。


 慌てて着衣を直した西川さんは俺に言った。


「誰にも言わないでね……」

「もちろん言わないよ。俺も悪かったし」


 背を向けたまま俺は返事した。


「大黒君は悪いことなんか――」

「いや、着衣が乱れてたことは知ってたしちゃんと言えばよかったよ」

「ひゃ、ひゃい?」


 何か変な声が聞こえたのは気のせいだろう。


「そうすれば西川さんのスカートが脱げてあんなことにならなくて済んだのに」

「ひゃ」

「約束するよ。もう西川さんに恥をかかせるようなことはしないって。今度スカートが脱げたら、僕の大きな体で隠すから大丈夫――」

「ももも、もういいから! 服は直したから、こっち見てもいいわよ」

「なら」


 そう言って振り返ると、すっかり身だしなみを整えた西川さんがスカートの裾を太ももの上で手で押さえ、わずかなスキもない正座姿でベッドの上にいた。

 しかし顔だけは動揺を隠せないらしく、真っ赤な顔をして頬を膨らませている。


「顔が真っ赤だけど、ベッドでこすった?」

「な。もう、こっち見ないで!」


 なぜか枕が飛んできた。


「見ていいって言ったの、西川さんだよね?」


 飛んできた枕をガードした腕を下すと、西川さんは布団を頭からかぶってかくれんぼしていた。



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