第8話

 俺はウェイトレスが水を置いていったテーブルをはさんで、角田麗華つのだれいかと顔を突き合わせている。


 どうして俺がこいつと喫茶店にいるのかって? そんなの俺にも説明できない。火事場のバカ力っていうのは本当にあるとだけ言っておこう。今は次の作戦を立てるのに忙しいから、細かい説明はあとにしてくれ。


「んで?」


 ほうら、きたぞ。

 俺は麗華にスイーツのページを開いたメニューを突き付けた。

 最初の攻撃はこれでかわすとあらかじめ決めていた完璧な防御だ。


 こいつがスイーツに目がないのはリサーチ済みだ。

 というか、休み時間に教室中によく響き渡る声で話しているんだから、クラスの大部分が麗華の好き嫌いを把握しているだろうが。


「あ? なに、おごってくれんの? なんで? ウケるんだけど」

「お近づきの印ってことで」

「お近づきってさ。あんたアタイの手ー引っ張ってチョー強引だったよね。アタイもほら、一応うら若きオトメってヤツだし? マジ、ビビったっつうか。あんた無駄に体デカいんだから、気いつけたほうがいいよ」

「あ、ごめん。手、痛かった?」

「え? 手は、ヘーキ……」と言って自分のネイルに一瞬見とれる麗華。「じゃなくて。アタイはほら、こんなだから。チャラついた男にやたらべったりとまとわりつかれることもあんのよ。そういうのマジ迷惑っつうか」

「はあ……」

「けどそういうコバエっぽいのはまだいいのよ。あんたみたいな体のデカいのっそり系が一番ヤバいよ。のしかかられたら終わりじゃん?」

「のしかかる……? どうして俺が角田さんに?」

「え? そりゃ……」なぜか恥ずかしそうに赤くなる角田さん。すぐに表情を変えて今度は怒り出した。「なに、あんたバカにしてんの?」

「え、いや」

「ちょっとスタイルがいいからいい気になってるとか、化粧がうまいだけで自分を高めに見せてるとか、あんたもそう言いたい口なの?」


 まずい状況だ。

 西川さんの自宅前で彼女と別れたところをこいつに見られ、そのまま返すのはマズいと考えて二人で話す時間を作ったまでは正解だったと思う。


 放っておけば確実に明日の学校は修羅場になるからな。

 西川さんが男を連れ込もうとしたとか、俺が西川さんを強引に口説こうとして追い返された、とか。

 なぜか角田麗華は西川さんをめちゃくちゃ嫌っているから、前者の噂が広まる可能性が高い。


 それはちょっと洒落にならないんだよ。ただでさえ西川さんはクラスで盛大に嫌われている。原因はいろいろあるだろうけど、今のクラスの雰囲気を作ってしまった張本人は、目の前にいる麗華じゃないかと俺は思っている。


 うまいこと言ってそういう噂を広められるのを回避しようとしたのに、なぜだか怒らせてしまった。しかも原因がわからないときた。


 俺は心を落ち着かせようと無意識にテーブルの下に手を突っ込んだ。と言ってもここは学校じゃないから、あの触っただけで安らかな気分になる魔法のぷるんぷるんはここにはないんだけど……あれ?


 なぜかテーブルの裏側に、それはあった。


 学校で手にしたものよりも少しハリがあってサイズも大きい。

 半分は布に包まれているが、残りの半分はむきかけの巨峰みたいに中身が露出していた。

 いつものものとは違って、表面がしっとりと湿っている。


 俺がその手触りを確かめていると、麗華が突然声をあげた。


「え、なんで!?」


 見ると彼女はシャツの襟のところを両手で広げ、中をのぞいて驚いた顔をしている。

 ペンダントでも失くして慌てているのだろうか。


「どうしたの?」

「うぇっ!? な、なんでも。今日なにげに暑くね?」


 首の下の肌を真っ赤にしているから、熱でもあるんだろうか。

 俺がそう言ったら、


「へ、平気だし。つか、胸見んな」


 なぜか怒られた。

 胸じゃなくてそこだよ、って手を伸ばそうとしたら、


「ひゃんっ!」

「……え?」


 変な声が聞こえた。

 麗華は顔まで赤く染めて俺をにらんでいる。

 腹でも痛むのだろうか。

 襟をつかんで胸を守ろうと震えているような気もするが。


「え? 本当に平気? 痛むなら保健室……いや、もう学校じゃないか」

「あ、あんた。やっぱ怖いわ。マジ無自覚すぎ」

「まじ……むじ? え、なに?」

「も、いいわ」


 麗華が帰りそうな気配を見せた。

 俺は慌ててメニューの中で最初に目についたパフェを指さした。


「なっ、ならこれは?」

「……あんた、本気?」

「本気ってなに、が……」


 値段を見てビビった。

 せ、せんろっぴゃくはちじゅうえん!?

 今度は俺が真っ赤になって汗を拭きだす番だった。


「あ、ああ、そうだよ……。く、くえるなら、だけどな。くえるなら。まあ、うら若き乙女にはこっちのミニサイズの方がおすすめかも――」

「すみませーん! このおっきなパフェお願いしまーす」

 ちょうどやってきたウェイトレスに声をかける麗華。

「は、腹痛いんじゃなかったのかよ? そんなに食ったら」

「それが腹だけは丈夫なんだよねー。給食の後、授業中だってのにしょっちゅうトイレ行ってた体のデカい誰かさんとは違うし」


 くっ、なんでこいつが俺の小学校時代の黒歴史を。

 まさかコイツ。クラス全員の弱みを握ってて、それをネタに連中を思い通りに操ってるんじゃないだろうな。


「バカいえ、俺だってこれぐらい軽く完食だ!」

「うわ、なんかカッコいいんだけど? マジいっちゃう?」

「好きにしろ」

「じゃ、ふたつで」

「かしこまりましたー」

「……」


 くそ。こいつ、俺の財布に手を突っ込んでなけなしの小遣い全部もっていきやがった。

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