第15話
いかなる部活動にも所属しない自由を愛する俺にだって、守るべき信条ぐらいある。
それは女の子に手を上げないということと、犯罪めいたことはしないということだ。
「なあ、やっぱりマズいんじゃないかな」
「あ? なに言ってんの。グロっちが委員長と話したいって言うからこうして――」
「やっぱりこういう不法侵入っぽいのって俺の柄じゃないって思うんだ。てか、なんで麗華までついてきてんだよ」
「やば、心臓あがりまくりなんだけど! ねえ、こういうのカップル捜査って言うんしょ? 見つかったら『デート中に迷子になっちゃって~』って言うから、おけ?」
「おけ? じゃねえ!」
俺と麗華は西川さん宅にやってきていた。
門にあったインターホンで通話しようとしたのだが、俺が名前を告げたとたんにブチっと通信が切れた。
つまり西川さんは俺を拒絶したんだ。
あきらめて帰ろうとした俺を、いつの間にか背後にいた麗華が後押しした。
「いいか、この家はフェンスで囲まれててフラッと入れるようなスキはないだろ。迷子なんて……自分から怪しい人物ですって言ってるようなもんだからな」
「だからじゃん。怪しまれたらキスして尾行をごまかすのが基本しょ? だからカップル捜査? だし」
「ききっ!? 人んち入ってる時点で尾行でも張り込みでもないだろ」
西川さんが森の中といった通り、門を入ると高い木に囲まれた小道になっていた。
奥のほうに家は見えるけど、昼間でも暗くて視界が悪い。
「おい、あんまりくっつくな。歩きにくいだろ」
「く、くっついてないと、か、カップルに見えないし」
「だからそれはもう……」
細かい振動が背中に伝わってきていた。
麗華のやつ、震えてるのか?
なんだかんだ言って、お前も怖いんだな。
「もういいから帰ろうぜ」
「え? なんで」
「もういいよ。少し時間をおいた方がいい気がする。それに、ほんとはお前だって帰りたいだろ? 怖がってるみたいだし」
「こ、怖がってないし。しがみついてもいないから」
なあ、麗華。
しがみついてないってんなら、なんでお前の胸のふくらみが俺を前へ前へと押し出そうとするんだ。
ハリが良すぎて、こっちはボクシンググローブで宣戦布告されてる気分だぞ。
「なあ麗華、お前の胸が――」
「しっ、隠れて!」
「おわ!」
麗華がいきなり俺の腕をひっぱって木の陰に引きずり込んだ。
なんだっていきなりこんな物陰に……まさか、するのか!? あれを。
「委員長が」
「え?」
ゆっくりと開いたドアから出てきたのはたしかに西川さんだ。
水色のギャザースカートと制服とは違う白のワンピース。
庭でお茶でもするような格好だった。
西川さんは優雅なしぐさでじょうろに水をくんで、規則正しく並べられた鉢植えに水をあげ始めた。
まるで会話するみたいに草や花に触れながら、様子をたしかめてるみたいだ。
「へえ、グロっちってああいうお嬢様っぽいのが好み?」
「……」
「え、マジ? 恋しちゃって目が離せないって? まあ状況からしたらただのストーカーだけどね、んぐ」
「しっ! 静かにしないと見つかるだろ」
俺は麗華の唇に指をあてて黙らせた。
しっとりとしたやわらかさに苦も無く指が沈んでいく。
「こっちにくる」
「ん」
西川さんがゆっくりとこちらに歩いてきて立ち止まり、周囲を見回す。
たしか西川さんは眼鏡がないと黒板の文字が見えないぐらいだったはず。
こちらには気付かないようで、そのまま家に入っていった。
「よし、もう大丈夫……麗華?」
「ん、んん」
なぜか麗華は目をつぶって小鳥のように震えていた。
「もう西川さんは家に入ったし。キスごっこする必要はないんじゃないか?」
「キスじゃなくて! グロっち、感じないの?」
「なにが? お前の唇ならすごくやわらかかったぞ」
「唇? 唇、震えてない? アタイ、レーカンって奴が強いんだ。だから感じるんだよ。ここ、ヤバいよ」
「なにを言うかと思えば。薄暗いからそう思ったのか? 大丈夫だよ、ここ住宅街だし、心霊スポットなんかじゃないんだ」
どうやら麗華は本気でおびえているようだ。
しかたない、退散するか。
そもそも麗華に押されてここまできちゃったけど、不法侵入までして西川さんに会う必要もないしな。
「よし、帰ろう」
スミレの香りがふわりと風にのって流れてきた。
振り向いたら、麗華の髪は真っ白になっていた。
一晩で髪が真っ白になったというのはサスペンスやホラーではよくあるけど、一瞬で真っ白になるもんなんだな。
などと思っていたら、それは麗華ではなかった。
老婆、いや、高齢のご婦人だった。
「あんた、うちに用かい? こっそり忍び込むなんて、感心しないね」
「あ、あの、俺は……」
高齢のご婦人は落ち着いた色の着物をきていた。
西川さんのおばあちゃんだろう。
「ああ、孫の学校のご友人かい? それとも」
おばあさんの射抜くような視線が俺に向けられる。
身がすくむとはこういうことを言うんだな。
「はは、はい。沙緒莉さんの隣の席のものです。お、大黒と言います」
「そうかい、沙緒莉の。だが沙緒莉はあんたの訪問を歓迎しなかったろ?」
「そ、そうなんですけど、その」
俺はいいよどんだ。
正直、目の前の老人の圧がすごくてすぐにでも帰りたいのだが、ものすごい力で腕をつかまれていて逃げられない。
「あの、沙緒莉さんをしばりつけてるあれは、着物を着るためですか?」
「いきなりなんだい? 沙緒莉のさらしのことなら、あれは厄よけのためさ」
「厄よけ!?」
「あの子の母親のようにならないためにね。まったく、あの子の母親には
「それで、自由を奪うってわけですか」
体は帰りたいと言って腰が引けているのに、口が勝手に動く。
俺はいったいどうしたいんだ?
とっとと謝って帰ろうぜ。
「どういう意味だい?」
「えっと、あの」
「ふん。いいかい、口は災いの元って言ってね。ろくに考えもせず口を開くもんじゃないよ。それに年長者には敬意を払うものさ。後悔する前に帰りな」
俺の手を放して立ち去ろうとする老婆を呼び止める。
手を握ると、それは骨と皮ばかりでとても細かった。
「待ってください。沙緒莉さんは、学校じゃ近寄りがたい雰囲気を持ってます」
「あんたみたいな若い男がそう思うなら、それは厄よけの効果があったってことかね」
「違うんです。その近寄りがたい雰囲気が逆に学校じゃ厄介者扱いされてて。お孫さんがクラスで厄介者扱いされるのが、おばあさんが望んでることですか?」
西川さんのおばあさんが俺をにらみつけている。
そばにいるだけで感じるこの息苦しさ。
西川さんはいつも感じていたのだろうか。
「あんたは私があの子を不幸にしてるって言いたいのかい?」
「いや、違います。俺はただ……は、ははは」
「なんだい。いきなり笑いだして」
「いや、俺も自分の考えを押し付けようとしてるのかなあって思って」
「……っ?」
「俺は西川さんを見てて、とても苦しんでるように見えた。今のままじゃずっとそれが続くんじゃないかって。だけど、だからって俺がどうしてあげることもできなくて。ちょっと悔しかっただけなのかなあって。お邪魔してすみませんでした。俺、帰ります」
おばあさんは時々考え込むようにしながら俺の言い分を聞いてくれたけど、ついに俺の方が緊張に耐えきれなくなって逃げ出そうとした。
だけどそんな俺をおばあさんが手を握って呼び止める。
「待ちな。はああ、あんたの言いたいことはわかった。娘、沙緒莉の母親と沙緒莉もわたしのせいで疎遠になっちまったままにしちまったからね。心残りではあったんだよ……。そうだね、孫のことはあんたに任せることにするよ」
「えっ? まかせる、って。それに心残りになるくらいなら、今からでも……」
「いいのさ、どのみちもう時間がないんだ。わたしゃもう疲れた、長いことここにいて」
「え? それってどういう」
振り向くと老婆の姿は消えていた。
かすかなスミレの香りを残して。
「あれ、消えた?」
今度こそ俺が立ち去ろうとすると、また腕をつかまれた。
「グロっち~」
麗華だった。
体中葉っぱだらけにして、頬には化粧だか泥だか分からない黒い涙を流している。とても美しいとは言えない。
「どわ! 心臓が止まるかと思ったぞ。なんだ、今までどこ行ってたんだ。こっちはおばあさんに見つかって大変だったんだぞ、っておい!」
麗華は思い切り俺にしがみついてくる。
それでも足りないのか、ぐいぐいと俺を押し倒そうとしてるみたいだ。
「さがしたんだよ~、いくら走っても外に出れないし、はっこうしちゃうかと思ったよ~」
「発酵? 何の話だ。そんなに広くないんだから走ったらさすがに壁にぶつかるだろ。それに俺はずっとここにいたぞ」
「何言ってんの。突然消えたのはグロっちじゃん」
麗華は非難するように俺を見る。
なんなんだ。俺はお前を置き去りになんかしていない。俺は悪くないぞ。
麗華が何度も俺の体にしがみつき直すので、いい感じに締め技が決まり始めていた。
「く、くるしー。もうやめてくれ」
「怖かったんだって。怖かったのー」
「わ、わかった、から」
「ぎゅってしてよー。ぎゅってー」
「えっと、それはちょっと……」
「はやくー」
何がそんなに怖かったのか知らないが、とりあえずなぐさめないといけないようだ。
でもぎゅってなんだ、ぎゅって。
まさか、背中に手をまわして抱きしめる行為のことか?
「なんで……俺が」
意を決して俺が麗華を抱きしめようとすると、別の女の声が近くでした。
「帰ったと思ったら、こんなところでいかがわしいこと始めてるなんてね」
西川さんが竹ぼうきを竹刀のように構えて立っていた。
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