第10話
翌日、俺は気持ちのよい朝を迎えていた。
昨日は麗華から西川さんの家の前での出来事の記憶を消すまでには至らなかったが、パフェもおごったし一緒にバースデーソングまで歌ったのだから、それで問題は解決したように思っていた。
それに、麗華のあの芸術性は目を見張るものがあった。
将来、芸術家として注目されるようになった麗華のインタビュー記事を見て、俺は笑うだろう。
あのとき俺がおごったパフェが、彼女の未来を決めたのだと。
『ふっ、あのときは痛かったが、俺の人生で最高の千六百八十円の使い道だったぜ……』
細かい数字まで覚えてるのはみみっちくてカッコ悪いって?
でも具体的な数字まで入れた方が雰囲気出るじゃないか。
朝の教室はおだやかだった。
西川さんは俺のあとに登校してきて少しはにかみながら挨拶してくれた。そのしぐさ、というか表情にはいつもと違う魅力があふれていて、ちょっとドキッとしたくらいだ。もしかしたら
そんな感じで浮かれていたから、休み時間のたびにクラスの雰囲気が変わっていることに気付かなかった。
まあ気付いていたとしても、それで俺に何かが出来たとも思えないけど。
昼休み。
昼食後にトイレで過ごす至福の時間を済ませて戻ってみると、俺の席のまわりは麗華の取り巻きの女たちに通せんぼされていた。
「あんた、今ここは通れないよ」
なんだそのゲームのイベントみたいなセリフは。
それに通れないと言われても、俺の席はそこなんだが。
俺が中をのぞこうとすると取り巻きも移動するからよく見えなかったが、
その誰かというのは後頭部だけですぐ分かった。
オレンジブラウンの不自然なほどのストレートヘア、あれは
普段は教室の隅と隅で顔を合わせることのない二人が、こんな教室の一角に集まっていること自体が異常である。
それに取り巻きの女は俺の視線を特に意識しているようだ。
俺が二人の様子をうかがおうとすると、その視線にかぶさるように移動してくる。
冷汗が出たね。
これはあきらかに昨日の件の続きだ。
そうでなきゃ俺を執拗に排除する理由がない。
「あの、角田、さん?」
「あんた、アタイの席に座ってていいから、今はこっちこないで」
「いや、でも授業が……」
「つぎ自習だし。荷物なら好きに持ってけば」
そうだっけ?
ってことはあらかじめこの状況を作るために準備してたってこと?
麗華が合図すると、取り巻きがすっと道を開けた。
なんでこいつらは麗華の命令に従ってるんだ。
もしかすると、こいつらも弱みを握られた口かもしれない。
同情するような優しい目を向けたら、軽蔑するようなすさんだ目で返された。なぜだ、俺も同志ではなかったのか?
二人は机を向かい合わせて座っていた。
西川さんは窓際に押し付けられて立ち上がることもできない。麗華が俺の机をブルドーザーのように使って、西川さんの机が動けないようにしているからだ。
クラスの連中はその様子を緊張した様子で眺めていたが、俺はまったく違う反応をした。
「うっわ! さすが角田さん。これ、めっちゃ美味そうじゃん」
もうすぐ昼休みが終わるっていうのに、二人の弁当は手つかずだった。
西川さんの弁当が正月のおせち料理みたいに几帳面におかずが並んだ一品だということは知っていたが、麗華の弁当も負けず劣らず、洒落たカフェのランチプレートみたいに見てるだけで楽しくなる色合いだ。
「うっざ。あんた少しは空気読むとかしたらどう?」
麗華の言葉に反応したのか、取り巻きの一人が俺を排除しようとする。
「ああもうメンドくさ。ならみんなに聞いてもらおうじゃない、 委員長さま! あんたの正しさってのがどんなもんか」
麗華が凄むと、西川さんが唇を強く引き結ぶのが見えた。
「角田さん? それってどういう――」
俺の言葉にかぶせるように麗華が言った。
「アタイは昨日見たんだよ。ここにいる委員長さまが自分の部屋に男を連れ込もうとしてるのを」
「っ!」
まさか麗華が昨日見たことをこんなにストレートに追及してくるとは思わなった。
西川さんが男を連れ込んだだって?
男ってのは俺のことだし、連れ込んだっていっても別にやましいことはなかったぞ。なくてもあったように広まるのが噂だから麗華には口止めしたつもりだったのに。
俺の説得は無駄だったか……。
いや実際は説得なんてしなかったけど、見たことを忘れろなんて言ったら説教くさくなると思って言わなかったんだ。っというか、そういうのは言わなくても理解してくれるのが日本人の美徳だろ?
俺の千六百八十円を返せ。
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