第9話 星明りの魔法使いたち

「ルーは?」


 長い廊下の真ん中で師に出くわした賢者グェイン、もといグレンは、その背丈の差故に見上げる形にこそなったが、気持ち的には見下ろしその一言にたっぷりと非難を滲ませた。

 姉を一人にしたのか、と。


「サジェン殿に見ているよう頼んだのはお前だろう」


 気持ちに加えきっちり目線でもグレンを見下し返したユンは、端的にそう告げて彼に背を向けた。


 グレンに言えたことではないが、相変わらず愛想の欠片もない。少なくとも、その言葉には。


 返された言葉に特に反論も思いつかず、グレンは口を噤んだ。

 まあ、城の中で滅多なことが起きようはずも無いし、サジェンがいればあれこれと世話は焼いてくれるだろう。


 でも、だけど。

 ルールーは、あれでいて酷く人見知りをするのだ。


 グレンは多少の苛つきと共に、心なしか足早に思える速度で廊下を行く師の後を、殆んど小走りになりながら付いて行く。

 歩幅の差が如実に表れていることがたいへん面白くない。


「なあユン」

「師匠と呼べ馬鹿たれが」


 ルールーのいる部屋の前で足を止め、扉に手をかけるユンの背中に、敢えて言葉にして投げかけた。

 当然言わずとも知っているだろうことを、それでも敢えて言葉にした。


「オレ、王都に来たことは後悔してない。長ったらしい名前は好きじゃねえけど」


「……そうか」


 扉は開かれること無く、ユンはただ一言、返事のようなものを口にした。


「でもルーの傍を離れたのは、やっぱちょっと後悔してる」


 グレンにもルールーにも、共に親と呼べる存在はない。

 孤児院から逃げ出した時も、その前からもずっと、グレンとルールーはお互いだけを必要として、二人助け合って生きてきたのだ。


 ルールーは知らないだろう。

 グレンも、ルールーにたくさん助けてもらったことを。


 行く先に何があるのか、その殆どを知っていたグレンにとって、そこへ行ってみる価値なんて無いに等しい。

 でもルールーが行こうと言うから、彼女の手を引いて歩いた。


 ルールーが喜ぶから、笑って欲しいから、夜空を見上げて、知りたくもないことを知ってでも、ルールーのために、ルールーのためだけに、魔導士で、星読みで在り続けたのだ。

 ルールーの存在が、グレンの人生に意味を与えた。


 その先に、グレンの全てを奪うユンという存在がいるのを分かって、それでもルールーのために、彼女を連れて森へ入った。


 全部、グレンの全部が、ルールーのためだった。

 少なくとも、今日、この瞬間までは。


「オレは、長ったらしい名前よりお前のこと好きじゃねえしだいっきらいだけど、ルーはそうじゃねえから」


 ルールーのために用意されていた未来。

 グレンの生きる場所。

 姉と弟して在り続けることしかできないことを、グレンはずっと知っていた。

 ひた隠す気持ちとは裏腹に、グレンの未来は王都にあった。


 腹立たしいのは、それすらもユンが用意した未来だということだ。


「だからお前、ルーのこと絶対泣かせるなよ」


 ルールーは今日初めてこの場所で、グェイン・グレン・クランペット・クランツクーヘンとしてのグレンを目の当たりにした。

 賢者として、生きるグレンを。


 寂しがりやの姉は、もう依存し合うばかりではいけないと思い知ったはずだ。

 そうして彼女は、ずっと彼女の傍にいることができる、グレンじゃない別のものに手をのばす。


「ではお前は、サジェン殿を泣かせぬようせいぜいがんばれ」


「うるせえ馬鹿!」



 ◇



 廊下が急に騒がしくなり、何やら喚いてるグレンとそれを綺麗に無視したユンが部屋に踏み入って来た。

 ルールーは思わず、ぱっと顔を上げた。


「城下に宿を都合してもらった。ここは自称知人が多くてうるさい」


「グレンは?」


「後で行」


「そこにいるのはただの馬鹿なお前の弟とは違う。わきまえなさい。ではサジェン殿、世話になった。そこの馬鹿を頼む」


「え、あ……は、はいっ!」


 扉を開けて、ユンがルールーを外へと促す。

 ルールーは、グレンとユンの間に視線を彷徨わせた。

 何故か、その場から足が動かない。

 

 このまま出て行くと、何か大切なものを置き去りにしてしまうような、そんな気がする。


「ルールー」


「……でも、ユン」


 ルールーは、縋るように弟に視線をやった。


 しかし賢者であり弟でもあるグレンは、何も言ってくれない。

 ルールーを、ただじっと見返すだけ。

 昔のように手を引いても、どこかに連れて行ってもくれない。

 ルールーのためだけに、奇跡を起こしてはくれない。


「来なさい」


 溜息混じりに、ユンは再度ルールーを促した。

 そして、夜を溶かした濃紺のローブがさらりと揺れる。


 手の半分をローブで隠すユンの白い指先。

 差し出されたそれを見て、ルールーは目を軽く見開いた。

 まるで幼い頃のグレンのように、ルールーの前に、ユンの白い手がある。

 伺うようにユンを仰ぎ見ると、無言で頷かれた。


 ルールーは近付いて、揺れるローブの袖口を、片手でぎゅっと握り締めた。



 ◇



 全てを溶かし、あらゆるものを飲み込む深く暗い夜の闇。

 その空を見上げ、星読みはあらゆることを知る。過去も、未来も、良いことも、そして悪いことも。


 そうして知り得た運命を喜び、また嘆き悲しみながら、それでも彼らはただの人として、定められた己の生を謳歌するのだ。

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星明りの魔法使い ヨシコ @yoshiko-s

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