第4話 星明りの魔法使い
森の奥に居を構える偏屈な若き魔導士。
たまに訪れる村人に薬草から作った薬を売り、ささやかな星読みをして暮らす彼の元に、王都からの使いが現れたのは今から四年前のこと。
そして、森で拾われた少年と少女が彼の弟子となって一年ばかり経ってからのことであった。
『近隣の村々で評判の魔導士を、ぜひ宮廷に迎えたい』
断りの言葉を口にした師に代わって、王都からの使いの前に進み出たのはまだ十二歳の彼の弟子のうちの一人。
グレンはこう言ってのけた。
「十二歳の賢者なんて、話題性抜群じゃねえ?」
若さゆえの慢心などではない。
奇跡をもたらす魔力を携えた少年は、確かに賢者となり得る人間であった。
自分の未来は王都にある。
泣いて止める姉を置いてグレンは王都に行き、名を改め、賢者の称号を得た。
ルールーが何を言っても、師であるユンはただの一度も止めなかった。
それは、その未来を予期していたから。
止めることができないことを知っていたから。
ルールーには決して分からない未来。
しかしユンも、そしてグレンも、共に多くを理解していた。
瞬く星から多くのことを読み取って、選び、諦めた。
たまには帰って来い。
そう言って送り出した師のその言葉通り、賢者グェインはその時だけはただのグレンに戻って、今もこうして森の奥に戻って来る。
◇
「馬鹿グレン」
「なんでだよ」
「なんでもよ」
間髪入れずの突っ込みは適当に流し、ルールーは沼に垂らした釣り糸を眺める。
グレンもそれに倣い、ぼんやりと濁った水面を眺めた。
ほんの数年前までは、底の汚泥を掻き回して泥だらけになりながら遊んだものだが、さすがに今はもうやらない。
代わりに二人並んで釣り糸を垂らし、特に言葉を交わすでもなくぼんやりとした時間を過ごす。
たまに前触れもなくルールーが口を開き、グレンがやる気のない返答をする。
いつも通り、のどかで平和である。
ぼんやりと眺める沼の水は、今朝の野菜ジュースに色も匂いもよく似ている。
「…………なあ、あれ平気な面して飲んでるとか、ユンのやつやばくねえ?」
周囲に漂う生臭い香りに、先程飲まされた液体に、ついでに師匠の崩壊した味覚に、思わず眉間に皺が寄った。
「かもねー……」
青い空の下を飛び回る小鳥のさえずりも相まって、欠伸を終止噛み殺す。
ぬるま湯のようなのどかさが心地よい。
「ねー、グレン」
「あー?」
どこからか風にのってきた葉が、沼の真ん中に落ちた。小さな波紋を描く水面に、昔と変わらない二人の姿が映っている。
「これいつになったら魚釣れるかとかわかんないの?」
「そんな細かいことまでいちいち見ねえよ。賢者様を何だと思ってんだ馬鹿ルー」
「マッチ使わずにちっさい火起こせてそれがなんだっつーのよ馬鹿グレン。マッチ擦れば火ぐらい私だって点けれるわよアホ」
「実用じゃねえんだよ」
唇を尖らせるルールー方は見ないまま、グレンは苦笑する。
幼い頃からずっと傍に居たから知っている。星を読むまでもない。
ルールーは、変わって行く関係を嫌がっている。
すっと傍に居て欲しいと思っている。
少年のまま。弟のまま。
グレンが起こした奇跡など、たかだか小さな火種程度のものだ。王都の人間は、それでもグレンを連れて行った。
星読みとしては、師であるユンの方がより優れていたにも関わらず。
グレンの方から離れて行けば、彼女は必至で追い縋る。
ルールーがそうである限り、姉と弟の関係は永遠に変わらない。
◇
全てを溶かし、あらゆるものを飲み込む、深く、暗い、夜の闇。
緩い風に揺れる木々がざわめき、虫達が囁き合い、森の賢者が夜を詠う。
深い夜の闇にあって、光りを纏い、色を放ち、彼等は全てを知り、語る。
過去も、未来も、良いことも、そして悪いことも。
魔導士と呼ばれる全ての者は、ただそれを読み、告げることしかできない。
人を導くことができるのは魔導士などではないのだ。わずかな魔力を持つ者に、全てを語って聞かせる星こそが、全知の存在。
ただの代弁者でしかない己を星読みと称し、驕ることがないように、無力であることを常に胸に刻みつける。
魔力を持たない者達も、そして僅かな魔力しか持たない少女にも、きっと分からない。
夜空を照らす星明りは、どこまでも騒々しく無情に、あらゆることを教えてくる。
時には人の気持ちさえも暴き、芽吹いてすらいない己の気持ちさえも予告する。
夜空を避けた視線の先、硝子越しに弟子の姿を見付けた。
細い月が光る空を、一心に見つめている。
知りたいのだと、知ることで、できる何かがあるのだと、そんな風に思っているらしい。
まったく、とんだ馬鹿弟子だ。
自分には喧しいばかりの星明りを見上げる少女。
しかし彼女は、僅かな魔力しか持たないからこそ、多くの可能性を信じ、何だってできるのだ。
◇
見上げる星空は、ただ綺麗なだけで、そこから読み解けるものなど何もない。
気が付けば隣に立って、同じように空を見上げるグレンには、色んなことが見えているに違いないのに。
「グレンは平気なの? ユンは、夜に外出るのは嫌がるよ。あんまり色々知りたくないって」
今更だと分かっているのに、認めるのが嫌でそんな言葉を口にする。
宮廷魔導士として、日頃飽きる程夜空を見上げている弟。
見る度に背が伸びて、大きくなって、大人びて、ルールーの手の届かないところで、知らない部分を増やしている。
「俺は別に。…………一番知りたくなかったことは、もう知っちゃったしな」
小さく呟くような返事を口にする弟の横顔を盗み見る。
大人びた表情は、それでもやっぱりずっと知ってる弟のままだ。
「馬鹿グレン。何浸ってんのよ。アンタが浸るのなんて沼で充分よ馬鹿」
「酷いなおい」
二人が並ぶ頭上には、無数の星が瞬いている。
細い月が照らす空にあるその光は、ルールーには何も伝えてこない。
でも、グレンはその空を見上げ、あらゆることを知る。
過去も、未来も、良いことも、そして悪いことも。
「ねえグレン。何が見える?」
いつからだろうか。
同じ孤児院で育った弟のような存在の少年が、食い入るように夜空を見上げるようになったのは。
荒削りな才能を持ってして、グレンはルールーに色んなことを耳打ちした。
実がたくさん鳴っている木の生えている場所。
雨が降ること。
二人はずっと、姉弟として共にあること。
孤児院のある村が夜盗に襲われること。
グレンが手を引いて逃げる先に、ルールーのためのずっと変わらない穏やかな日常があること。
森の奥に、ユンがいること。
「色々見える。でも、ルーには教えない」
全てを知る星が瞬く夜空。
星明りを見上げるのは、己の気持ち一つすらままならない、ただの星読みである
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