第6話 魔導士の師弟
「あああああ……」
王宮の一室で、騎士の隊服から式典用のきらきらしい厚手のもっさりしたローブに着替えさせられたサジェンは、頭を抱えていた。
「よし、着替えたな」
そこへノックもなしにずかずかと入室してきたレオンが、後ろ手に素早やく扉を閉めた。
正確には「着替えた」ではなく、「着替えさせられた」だ。
しかし訂正する気力もなく、魔導士であることを示すローブに身を包んだサジェンは、長い袖のまとわりつく両手で頭を覆う。
レオンも着替えているが、彼の方はもちろん騎士の礼服である。
胸元のポケットに白い手袋を差し、右肩から飾緒と共に勲章を飾る彼の姿は、騎士を志す人間ならば誰しもが憧れるものだ。
騎士の中で一握りの人間だけが着用を許される、特別なもの。
本来であれば若年ではあるが、サジェンもそちらの着用を許されているはずなのに。
「やはりお前の方が本物より似合ってるよな」
少しも嬉しさを感じない賛辞に、サジェンは涙目で薄笑いのレオンに詰め寄った。
「レオン殿ぉおおおお」
「だいじょーぶだいじょーぶバレないって。ほら、被っちゃえば顔見えないし」
そう言いながら、レオンは背に垂れていた頭巾をサジェンの頭に被せた。
『本物の賢者様』とは違う金の髪と、顔の半分が隠れてしまえば、悲しいことに背格好はほぼ同じの賢者本人に見えなくもない。
だが、そういう問題ではないはずだ。
賢者本人ではなく、ただの騎士であるサジェンが「背格好が似ているから」などという曖昧かつ適当な理由で民衆の前に出て行って許されるのだろうか。
答えは否だ。
こんな裏切りは決して許されない。許されるべきではない。
「陛下その他諸々には今回も『影武者』でいく可能性があると伝えて来たが、まあもう諦めろ。あの人ごみの中から人一人見つけるとか、それこそ魔導士でもないと無理」
しかし許されざる背信行為を、忠誠を誓った国家の中枢が黙認しようとしている。いつものことだが。
いや、おかしい。どういうことだ。
「いやだあああああ! 無理です! 今日こそバレます! 絶対にこのようなことはすべきではありません! 民衆の前で顔が晒されてしまったらどうすればいいのですか!」
「いや、みんな賢者様の素顔なんて知らんだろうからな。むしろこの先毎回お前を表に出さざるを得なくなるだろうな。あいつの思うつぼだわ」
「是が非でも見つけ出して下さい!」
縋るようにレオンの胸元を握り締めるも、揺るがない半笑いを浮かべて優しく引き剥がされた。なんと無情であることか。
「一応見つけるまで戻って来るなとは伝えた」
サジェンにも、彼らの部下にとっても。無情だ。酷い。辛い。
時は刻一刻と淀みなく進んでいく。
決して観念したわけではないが、サジェンは手品の練習を繰り返した。
遺憾なことにかなりの腕前になりつつある。動きが板に付いてきたことが自分でも分かってしまう。
しかし、己の失敗で賢者の名に傷を付けては一生涯悔やまれるに違いない。
「まじめだねえ」
揶揄するレオンの声は無視して鏡の前に立つ己を検分し、左手で顔の正面に枝を持った。
軽く湿らせた右手には、たっぷりとした袖の中でマッチを持っている。
それを片手で擦ると僅かな音と共に、掌の中に小さな熱が生まれた。
その熱さに頭巾の下で眉を顰め、正面からは見えないよう、右手に掲げた枝の先、小さな花に火を点ける。
油分を多く含む花弁は一瞬で勢いよく燃え上がり、直ぐに灰になった。
民衆から見れば、手をかざしただけで花が燃え上がったように見える、はずだ。
残った枝を傍らの水差しに突っ込み、次の枝を手に取ると同時に、部屋の扉が乱暴に開けられた。
「あ、戻って来た」
「グェイン様!」
部屋の入り口には四人の人間が立っていた。
いや、立ってはいない。一人床に転がっている。
床に無様に転がっているのが、言わずと知れた賢者グェイン。
そして魔導士らしき男が一人と、女子が一人。ついでにサジェンとレオンの部下に当たる騎士が一人。
「いってえ!!!!!!!」
扉を突き破る勢いで部屋に転がって来たグェインが喚いた。
何が何やらな状況で、つっこみどころが多々ある。
しかし、サジェンの視線は魔導士らしき、いや、まごうことなき魔導士であるその人に奪われた。
「馬鹿弟子が大変申し訳ない」
美貌の魔導士は平坦な口調で詫びの言葉を口にして、軽く頭を下げさせた。大魔導士であり賢者でもあるグェイン・グレン・クランペット・クランツクーヘンその人の頭を。
床に転がっているグェインを引っ掴み、無理やり立たせた手付き、その動きは実に鮮やかで無駄がない。
半ばどつかれるように、強引に頭を下げさせられたグェインは何やらがなり立てているが、完全に無視である。
その後ろではグェインやサジェンと同じぐらいの年頃の少女が、室内をきょろきょろと見回していた。
彼らを案内して来たらしい騎士は、どうしたものかと困惑した様子である。
立ち尽くして呆然としているサジェンとは裏腹に、一足早く正気を取り戻したレオンが雑な口止めをして部下を扉の外に押しやった。
「痛いっつってんだろ! 馬鹿ユン!」
「馬鹿は貴様だ。義務を放棄する者が五体満足でいられると思っているなら、今ここでその腐り切った考えを正してやる」
言うや否や、目にも鮮やかにグェインの身体が再び床に沈み、その背を魔導士の片足が土足で踏みつけた。
「ぐえっ」
手練だ。
「お見事…………っていえ、あの、申し訳ないが、我ら二人は一応グェイン殿の身辺警護を仰せつかっているものでその……その辺にしといて頂けると助かるのですが。ユン・ガレット・デ・ロワ・サヴァラン殿?」
レオンの言葉に、魔導士は床にやっていた視線を上げた。
薄灰の瞳がレオンを束の間検分し、そしてその横にいるサジェンを見る。
グェイン本人から、師と姉の話は聞かされていた。
大半は愚痴のような口調で語られるそれだったが、そこには常に彼らに対する親愛を感じることができた。
王都から離れた森の奥深くに居を構える魔導士と、見習いの姉。
話に聞くだけのものと思っていた彼らが、彼が、今、サジェンの目の前にいる。
あの時から、六年の時を経て。
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