第7話 魔導士たちの独白

「なにあれ、グレンのくせに。偉そう」


 賢者の姉は、面白くなさそうに口を尖らせそう呟いた。


 王宮前の広場に面した露台には、王や神官など、そうそうたる面々が並んでいる。

 その中心に立つ賢者は、そこに集まった多くの者に、神がもたらした奇跡を見せつけた。

 その姿はまるで、神と、神を崇める信奉者の様にも見える。


 露台が見える王宮の一室で、サジェンは部屋の隅にそっと控えていた。

 他でもない賢者に、彼らを見守るよう頼まれたからだ。

 複雑ではあるが、賢者に代りあの場所に立つよりはずっと良い。


 残された賢者の姉、ルールーは、窓に張り付いてぶつぶつ言いながらも賢者に熱心な視線を向けている。

 一方で、ユン・ガレット・デ・ロワ・サヴァランは、その背後の椅子に悠々と腰掛け、どう見てもやる気のない視線を窓の外に送っていた。


 ユン・ガレット・デ・ロワ・サヴァラン。

 夜空を映したかのような濃紺のローブ。色素の薄い整った容貌。

 その姿は、サジェンの目に、あの時と変わらないように映る。


 どうしても気になってしまう。

 失礼だと思いながらも、ついちらちらと盗み見をしてしまう。


 と、彼がちらりとサジェンに視線を寄越した。


「……サジェン殿」

「はいっ!」


 思わず叱責でも受けるかと身構えると、彼は呆れたような溜息と共に、小さく零した。

 覚えている、と。




 触れ合う剣が奏でる音と、獣のような人の叫び声を、今もありありと思い起こすことができる。

 あの夜、サジェンは生まれて初めて人が血を流して死ぬ様を目にした。


 返り血を浴びて立つ騎士の姿、そして、一切の穢れを寄せ付けずに立つ魔導士の姿を見た。

 空には無数の星が瞬き、魔導士の青白い貌を仄かに照らしていた。


 その後、随分と経ってから知ったことだが、屋敷に押し入った男たちは借金の片に脅されて犯行に至ったのだという。

 妻と子を、家族を守るためであったのだそうだ。

 だから彼らの罪が無いものになるとは思わない。

 祖父母と使用人一家と自分と、誰一人欠けることなく助かったことを、心の底から良かったと思っているし、それを恥じる気もない。


 それでも、結果として夫を、父を失った者達が居たのだ。


 そして、恐らく魔導士の、星読みの彼は、ユン・ガレット・デ・ロワ・サヴァランは、知っていた。

 知っていて、分かっていて、その上で、サジェン達の命を選び、救ったのだ。


「あなたに命を救われて、私は今ここにいることができます」


 サジェンは散々考えて、考えて、考えた結果、陳腐な言葉と共に彼に頭を下げた。


 ユン・ガレット・デ・ロワ・サヴァランは、目を背けるように、サジェンには一瞥もくれなかった。くれないまま、窓の外を眺めている。


「――礼など、してくれるな」


 暮れかけた陽が、空を赤く染め上げて行く。


 染まりゆく空の下に、賢者がいる。

 民衆を前に神の奇跡を見せ付ける。

 サジェンの主は、今夜も星を読むのだろう。


「……私は、死が恐ろしい。誰かの上に降り掛かる死に関わるのが、怖い。助けたなどと、言ってくれるな」


 消え入りそうな独白に、サジェンは目を見張った。

 賢者の師は、膝の上に組んだ自身の指先に視線を落したまま、呟くように言葉を紡いだ。


「私達は、魔法使いではない。全てを救うことなどできない。奇跡など起こせない。神の血など、人には過ぎた力だ」


 『星読み』と、己を称する魔導士は、そうして口を噤んだ。


 窓の外から賢者を称える人々の声が聴こえ、空は赤く染まり行く。

 そうして夜が忍びよる空に、星が再び瞬き始めるのだ。



 ◇



 古の時代、人に交じった神の血は、魔力という奇跡となって人々にもたらされた。


 長い年月を経て薄くなったその尊き血は、今はもう、僅かばかりの魔力を与えるのみである。

 しかし、その僅かな魔力こそが、全てを知る星と人との間を渡す。

 星が瞬く夜空を見上げ、その瞬きから過去を読み解き未来を垣間見、人を、時に国を導くのだ。


 ルールーに流れる古い神の血は、ごく僅かなものらしい。

 微々たる魔力しか持たない身では、読み取れることもたかが知れている。むしろ殆ど役には立たない。

 師として教えを授けてくれるユンにも、弟のグレンにも遥か遠く及ばない。

 それでもユンは、ルールーが望むまま、星読みとしての生き方を説く。


 別に、本気で魔導士になりたかったわけではない。

 もちろん憧れはある。

 グレンがそうしてくれたように、ルールーもグレンを助けたかった。

 ユンがそうであるように、神秘的で綺麗なものになりたいと思った。


 でも本当はただ、ルールー一人だけが二人とは違うのが、二人が知ることを知らないでいるのが嫌だっただけだ。

 除け者にされてるみたいで面白くないから、だからユンに教えを請うた。


 そんな子供じみた思いなどユンは見通していただろう。

 それでもユンは、グレンに対するそれと同じように、ルールーも平等に弟子として扱った。

 グレンがただのグレンではなくなってからも。


 寂しさを埋めるように、ルールーは何も読み取ることのできない夜空を見上げ目を凝らす。

 星の輝きが増す新月の夜を待ち望み、グレンがただのグレンに戻れるまでの日を数え、気持ちを明かしてはくれないユンの心を読み取りたいと願っている。


 神が降り立ったこの世界は見果てぬ程に広くとも、ルールーの世界にはユンとグレンだけしかいないのだから。

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