星明りの魔法使い

ヨシコ

星明りの魔法使い

第1話 森の魔導士

 全てを溶かし、あらゆるものを飲み込む、深く、暗い、夜の闇。


 空に伸ばした白い指先を仄かに浮かび上がらせるのは、僅かに照らす無数の星。

 白い指先で光を辿り、少女は口元ににんまりと弧を描いた。


 緩い風に揺れる木々がざわめき、虫達が囁き合い、森の賢者が夜を詠う。


 月の無い夜には、薄く溶けた血が騒ぎ、満ちては欠けるを繰り返す白い女神が不在の空では、彼等はいつもに増しより多くを語る。

 

 深い夜の闇にあって、光りを纏い、色を放ち、彼等は全てを知り、語る。

 過去も、未来も、良いことも、そして悪いことも。


 少女も、そして師も、魔導士と呼ばれる全ての者は、ただそれを読み、告げることしかできない。


 人を導くことができるのは魔導士などではないのだ。わずかな魔力を持つ者に、全てを語って聞かせる星こそが、全知の存在。


 夜闇の星を読み解く少女は、その在り方を教えた師に倣い、ただの代弁者でしかない己をこう称する。『星読み』と。


 星読みの少女が発した声は、誰に届くこともなく、ただ小さく大気を振るわせた。


「見てなさいグレン。次こそは沼に沈めてやる」



 ◇



 村から大人の足で半日程行った森の奥深くに、丸太を組んだ作りの小さな家がある。

 鬱蒼と木が茂り、人を惑わし食らうようなおどろおどろしい気配を放つ森……ではなく、葉の隙間からは明るい陽が差し、鳥のさえずりさえもも聴こえる明るい森である。

 散歩にはうってつけだろう。


 そこには無論、悪い魔女や怪物や狂気の研究者は存在せず、子供達曰く、刺激も面白みも皆無である。

 村も森も呆れ果てるぐらい長閑で平和なばかりの毎日が続いている。


 村や森と同じく、そこにある小さな家も惨事には程遠い極めてのんびりとした空気が流れていた。


 玄関先に立ち木漏れ日に目を細めた家の主人は、その緩やか空気をたっぷり吸い込み、腕を空に向けて伸ばした。


 夜空を思わせる濃紺のローブ。たっぷりとした袖口が緩い風に揺れる。

 魔導士であることを示すローブに長身を包み、全体的に色素が薄く、そして何よりもそつなく整った容貌は、大層儚げかつ神秘的であると良い評判を得ている。

 おかげで辺鄙な森の奥に居を構えていながらも、家計は盤石である。


 もちろん、何よりも物を言うのは薬剤師としての腕であるが、それでもそこは客商売。

 ムサい親父より美丈夫であった方が遥かに色々やりやすい。

 二十六で未婚。最近適齢期を迎えた女性から意味深な誘いを受けるのは多少煩わしく感じていたりはするが。


 近隣の村人、特に女性から絶大な支持を得る美貌の魔導士であり、そしてまた薬剤師として日銭を稼ぐ男は肩を二三鳴らし、欠伸を噛みしめた。

 今日も平和である。今のところは。


 自分の拳で肩を叩きつつ、庭に出る。

 家の四方をぐるりと囲う植木鉢を一つずつ見て回り、雑草を抜いたり、枯れた葉を取り除き、必要に応じて鉢の位置を微調整して回った。


 弟子が作った、一面に苔が密集する不気味なばかりの花壇には近寄らず、胡乱な目で一瞥するに留めた。

 花の形に盛り上がった苔が大層気持ち悪い。そのうち全て片付けたい。


 そんなものよりも家の壁、丸太を這う美しい蔦と瑞々しい苔を、じっくりと観察する。

 ついでに、その蔦と苔とを掻き分け、生えてきた怪しげな色の茸はなかなか見応えがある。順調に大きくもなってきた。

 別に育てようなどと思っていたわけではないが、なんとなく、そのままにしてある。そして愛着も湧いてきた。

 緑に白い斑点のキノコなど、そうそう見ない気もする。


 塀代わりに打ち込んである丸太に吊るした鉢も同じように見て回り、最後に畑へと足を運んだ。

 家庭菜園としても小規模であるが、わりと重宝しているそれは、やはり弟子の手によるものである。

 適当に見繕ったいくつかの野菜をポケットに突っ込み、最後にもいだ真っ赤なトマトを手に玄関の裏手にある花壇の脇で腰を曲げた。


「おはよう。卵を貰うぞ」


 その声に、鋭い嘴を持った雌鳥は、ゆっくりとした動作で立ち上がり一歩横に移動する。

 どうぞ、とでも言うように、声の主を振り仰ぐ。

 お尻の下に敷いていた卵は三つ。それをそっと手に取った男は、野菜を入れた上着のポケットにまだ温かいそれを入れた。


「ありがとう」


 代わりに撒かれた乾いて砕いたパンを突つつく雌鶏にそう声をかける。

 構わないというように、一声鳴いた彼女を真似て、母親の回りをうろうろする毛玉のような雛達もそれぞれ一声鳴いた。


 途端に騒々しくなった庭を後にして、朝食の材料を手に入れた男は、玄関先で家の二階を見上げた。

 固く閉ざされた窓の向こうに、空色のカーテンが見える。

 その部屋の主、半人前以下の弟子は未だ目を覚ますつもりはないらしい。


 早朝の冴えた頭で勉学励もうとか、せめて師匠より早起きして朝食を用意するとか、そういった気概も心遣いも無いらしい。

 まあ、無いだろうとも。


 知っていたが、知っていれば何も思わないでいられる、というものでもない。

 舌打ちをして家の中へと入った。


 まったく、とんだ馬鹿弟子だ。

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