第21話

 クリスマスの約束を取り決めてからは矢のように日々が過ぎていった。

 気づけば二学期の終業式。それは十二月二十四日で、クリスマスイブで、栞がうちに泊まる日。


「今日もいい天気……だね!」

「おはよ」


 今日も栞の引きつった笑みと決まり文句で一日が始まる。

 このルーティンが始まったのは、友達になる約束をした日ではない。それからしばらく経ってのこと。

 多分、花さんの影響で栞は変わった。

『今日もええ天気でしたねえ』

 栞の存在を花さんに上書きされているようで、なんかめっちゃ、モヤモヤ。


 ちなみに今日の天気は快晴。冬らしく澄んだ空気がイベントの重なる特別感と相まって清々すがすがしい。

 恣意的に大きく欠伸をする。ふがふがと、心のモヤを払う


「ふがふが」

「空、目にができてる。もしかして寝不足……かな?」


 栞は机の横に立ち、そわそわと目を逸らす。

 私の右腕になっていたときとは大違い。あの頃はフクロウのようにずっと凝視してきた。

 栞は行動はちょっと極端だ。


 ただ寝不足なのは間違いなくて、今日も夜通しであるものを作っていた。友達、あるいは彼女に贈るプレゼントとして定番のもの。

 まだ完成していないから夜までに仕上げないといけない。今日はまっすぐ家に帰ろう。


 羽ばたく鳥のようにみんな浮かれている。それは私も例外ではない。私の席に飛んできた栞もきっとそうだ。お互いにいつもより頬が和らいでいる、気がする。



 終業式とホームルームが終わり、冬休みが始まる。


「夏目と青野さんお疲れ。クラスの打ち上げは来る?」


 解散直後クラスメイトが話しかけてきた。このまえ一緒に喫茶ハマナスに行った、さっきーといわちゃん。


「ごめんねさっきー。今日はやめとく」

「青野さんは?」

「……っ」


 あわあわと言葉が出ない栞を見かねて、いわちゃんが応える。


「夏目が来ないなら青野さんも来ないでしょ」


 栞らしく「行かない」とか「興味ない」とか言っちゃえばいいのに。

 やっぱり最近の栞はなんかヘン。


 また来年と、いわちゃんはさっきーの手を取って集団に吸い込まれていく。

 クラスの半分ほどが参加する大掛かりな打ち上げ。ファミレスとカラオケを予約してあるらしい。


 最後に陸上部に顔を出した日、栞と友達になったあの日。

 普通に戻る決意をして栞と縁を切っていれば、私はあの輪の中に入っていたのかな。

 そうしたら栞はどうなっているんだろう。


「バイト頑張ってね。八時に迎えに行くから」

「うん。ところで、このあと髪を切ったりとかしない……よね?」


 随分ピンポイントな確認をしてきた。

 最後に美容室に行ったのはいつだっけ。

 短かった髪はいつの間にか毛先が肩に届きそうなほど伸びていた。前髪も騙し騙し自分で切っていたから重く感じる。


「しないよ。ずっと家にいるつもり」

「よかった。じゃあね」


 たたたと、彼女は早足で出ていった。

 最近の中では一番自然な「じゃあね」の「ね」だった。



 十二月。栞と友達になって、さっきーやいわちゃんと四人で出かけた。

 少しだけ再開した人付き合いは案外心地のいいものだった。

 フィクションドラマを演じるような空虚感はなくて、むしろ充実してる。

 私は陸上競技というアイデンティティを失うことに怯えていたんだ。


 それとは対照的に、栞は何とも歯切れが悪い。

 人付き合いを「気持ち悪い」とクールにあしらった姿は見る影もない。

 そばにいられるのは嬉しいけど、うまが合わないというか。


 今の関係は、ボタンを掛け違うほどじゃない。

 穴に対してボタンが小さくて抜けそうになっているような、ほんの小さなすれ違い。



 家に帰ると、同じく今日から冬休みの妹が昼食を取っていた。

 一緒のテーブルで母が作り置きした焼きそばをすする。


「今日の夜、そらねえのお友達が来るんだよね。それまで私と買い物行かない?」

「家でやることがあるから、また今度ね」

「じゃあ私も家にいる」

「一人で行けばいいじゃん。それか友達とか」

「そら姉とじゃなきゃ、やだ」

「そろそろあね離れしなさいよ」


 箸で麺でつついている妹を横目に、そそくさと自室に向かう。


 オレンジの毛糸。それと二本の棒針。左から右へ一段ずつ編んでいく。

 右手の針を刺して、かけて、そのまま引き抜く。


 編み物を始めてまだ間もないけど、これは多分私に向いている。一度パターンを覚えれば時間を忘れて没頭できる。

 最初は難儀したけど毎晩続けていたらすっかり板についた。

 スマートフォンは便利だ。どんな情報も手に入る。


 この一週間、私は睡眠時間と引き換えに五本のマフラーを完成させた。


 白、黒、茶色、ネイビー、モスグリーン。

 六本目は今作っている変わり種のオレンジ色。


 これだけ作れば彼女の好きな色はひとつぐらいあるだろう。

 膨らんだ食パンを無理やり抑え込むように、机の横の引き出しに全部詰め込んで、ほっと一息。



 昼下がり、黙々と編み進める。

 針を刺して、かけて、そのまま引き抜く。


 今さら部屋着に着替えるのも面倒だ。どうせ後で出かけるし。

 針を刺して、かけて、そのまま引き抜く。


 流していたクリスマスソングがプツリと途絶えた。スマホの充電が切れたらしい。

 手を離すのが億劫だから、このままキリのいいところまで進めよう。

 針を刺して、かけて、そのまま引き抜く。


 針を刺して、かけて、そのまま引き抜く。


 そろそろ部屋の換気をしようと思ったけど……もうちょっとで完成するし……後で、いいや…………ぐう。



 体じゅうの空気を出し切った反動で一気に息を吸い込む感覚。はっと気がつくと、窓から一切の光が入ってこず部屋は真っ暗だった。

 たれた涎を編みかけのマフラーで拭ったところで、失敗を確信する。

 充電切れのスマホ。部屋の時計は間もなく八時になろうとしていた。

 悲鳴をあげる間もなくネズミのように部屋を飛び出す。


 リビングには夕食をつくる母とテレビゲームをする妹。本来ならこのまま妹と遊んで、家族でご飯を食べて、当たり前の日常を過ごすだけ。でも今夜は違う。


「なんで起こしてくれなかったの!」


 情けない八つ当たりだということは自覚している。妹は虫を見るような目をしていた。


 バスを待つか自転車を飛ばすか。考えるまでもなく、サドルにまたがる。

 人気のない住宅街から、きらびやかな街灯りと海の方へ。

 スカートが風で煽られるのも、ペダルをこぐたびズキズキと痛む右膝も頭から放り出して、街を走り抜ける。


 栞のバイト先にたどり着く頃には、白い息が絶え絶えになっていた。

 こんなに激しく動いたのは夏以来だ。ベタベタと結露するように滲む汗が体の衰えを知らせる。だけど嘆く暇はない。


 クリスマスリースとCloseの札を無視してドアを押し開ける。乱暴に鳴るドアベル。

 店内のからくり時計は八時半をさしていた。

 三十分も遅刻した!


「こんばんは!」

「待ってたで空ちゃん」


 手を腰に当てて呆れている花さんが出迎える。

 その隣で帰り支度を済ませた栞が佇んでいた。


「ごめん栞!」

「ええ……よ! 私は大丈夫」

「見てる方は気の毒やったけどな。空ちゃん、ちょっと」


 手招きした花さんが私に耳打ちする。


「栞ちゃんの服のこと、許してくれてありがとうな。おかげでいい売り上げやったわ」

「許すって、私は何の権限もないですけど」

「ええねん。栞ちゃんにはご褒美をあげといたから。多分空ちゃんも喜ぶと思うわ」


 花さんとマスターはまだ仕事があるらしい。

 メリークリスマスと、笑いながら送り出される。



 クリスマスイブの夜。

 ある程度の飲食店が閉まった後でも、駅へ続く道は人で賑わっていた。


 そのほとんどが男女二人組。

 光るオブジェや設置されたベンチにたかる姿はまるで蜜を吸うハチのよう。

 私の自転車は、別の日に取りに来よう。


「せっかくだからクリスマスツリー見に行こうよ」


 バス停とは反対側を指さす。

 たしか海沿いの広場に観光用のツリーがあったはず。


「多分きれいだと思うからさ」


 海の見えるこの街は、酔いしれるような夜景をつくることで有名だ。

 ここで育った私でも目を奪われるんだから、遠くから引っ越してきた栞もきっと喜んでくれるはず。


「空」

「なに?」

「手、つないでいい?」


 私は息をのんだ。

 突如として放たれたその言葉に、最近の挙動不審さは微塵もなく。

 真っ直ぐ見つめる目にはかつてのフクロウのような不気味さもない。


 差し伸べられた白い手は慈愛に満ちていた。


「寄り道なんてしなくていい。早く空の家に行こう」

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