第8話
ある日の昼休み。
自分の席で食事を早々に済ませた私は、空の元へ直行する。
「もうお昼ご飯食べ終わったんだ」
「空が心配だから」
「心配することなんかないよ」
苦笑いを浮かべる彼女をよそに、私は彼女の右隣の席を陣取って体の向きを変えた。
席の主である男子生徒は、最近は昼休みが始まるのと同時に教室から出て行くようになった。いつも空の所に来る私を気遣っているのか、それとも偶然なのかは判断がつかない。
いつかお礼を言うべきだろうか。
面倒くさい。偶然で、思い過ごしであってほしい。
そうだ、どのみち私は独りでいるべきだから必要ないのか。
お父さんの罪は私の罪でもある。私はお父さんと同じで、簡単に人を傷つけてしまう。だから独りでいなくちゃいけない。
転入当初は学校を一日おきに休んで、新しい人間関係を台無しにした。退屈な授業も避けることができて一石二鳥だった。
だけど今、私の目の前には空がいる。結局お父さんのことを言い訳にして、私は人としてやるべきことから逃げていただけじゃないのかと頭をよぎる。
教室を吹き抜ける風が冷たく感じた。夏の暑さはすっかり秋の涼しさに変わっている。
季節が変わっても私が夏に味わった喪失と絶望、そして決意は変えられない。
やるべきこと。
今の私にとっては空の右腕としてサポートすること、それだけ。
疑念は全て、思い過ごしであってほしい。
「左手だけじゃ食べにくいでしょ」
「それは置いといてさ。栞は今日はパンだったの?」
「違うけど」
「まさか栄養バー?」
「……」
「そっちのほうが心配なんですけど」
呆れた表情の空は自分の食事を再開した。私はいつも通り空の隣で食事を見守ることにする。それが私のやるべきことだから。
ほんの数分後。
今日も彼女は左手で箸を持ち、四苦八苦しながらお弁当を口に運んでいる。
もどかしい。
このもどかしさは季節の移ろいと同時に、日に日に増していた。
「あ」
「あ」
案の定、空の箸からウインナーが落下した。タコの足がクッションになってなんとか机の上で留まる。
手で掴んでしまえばいいのに、空は箸で摘まみ直そうとする。表面の油で滑ってうまくいかず、今にも床に落下しそうだ。
……食べ物を粗末にするのはよくない。
「もがっ」
危ないから、もったいないから。
私は空の代わりにウインナーを拾い上げ、その口にねじ込んだ。空はまるで餌をもらった犬のようにあっという間に飲み込んだ。
「ありがと」
「別に」
私の都合でそうしただけだからお礼を言われる筋合いはないし、怒られる可能性もあったなと行動してから思った。
空はキョロキョロと教室を見渡してからホッと息をついた。つられて私も振り向いたけど特に変わったことはなくて、他の生徒はいつも通りそれぞれの昼休みを過ごしていた。
「どうかした?」
「見られてないかなって」
「別によくない?」
「そうだけど、照れるっていうか」
空はもじもじと体を揺らす。まるでやってはいけないことをしたような空気になる。
数日分のもどかしさを込めた行動が空回りした気がして、ちょっと面白くない。
「貸して」
半ば強引に空の箸をひったくる。肘も膝も不自由な彼女は素早く動くことができず、私が少し離れただけで簡単に奪うことができた。頬を膨らませ不満と疑いを露わにする。
「食べさせてあげる」
「いいって!」
空の伸ばした左手は私には届かない。更にふくれ面になるのが面白かった。
空の見せる表情はどれもよく似合う。
最初に会った時の不機嫌そうな顔、八つ当たりで自爆した時の情けない顔。辛いことがあって泣いている顔。照れ笑いの顔。そして痛みに悶えている顔。
目が大きくて、首にかかるぐらいのストレートヘア。背は高いけど、どこか幼く見えて、美人というよりはかわいいほうの部類に入ると思う。
空は観念して軽く息を吐いた。恥ずかしさからか、口は開いた状態で目は閉じられていた。
「どれを食べたいか言って」
「どれれもいい!」
「じゃあ卵焼きあげる」
空は目を閉じたまま静止する。やがて唇がプルプルと震え始めた。
やってはいけないことをしている気持ちになる。空じゃあるまいし、照れるのは彼女の仕事だ。
空のお弁当はおかずの種類が多くて彩りも鮮やかで、家族に愛されているんだなと思う。やっぱり私は空じゃない。
卵焼きを箸で突き刺して空の口元まで運んでいく。薄い唇と唇の真ん中に狙いを定め、それに触れるか触れないかギリギリの所で手を止めてみた。
そして、不審に思った空が目を開けた瞬間に、卵焼きを放り込んだ。
「~~!!」
空は苦虫を嚙み潰したように顔をしかめながら、大急ぎで飲み込んだ。
「もう! 怒るよ」
空は頬を紅くしながら威嚇してくる。だけど他の人に聞かれないよう声を潜めているから全然怖くない。むしろこっちは笑いそうでお腹が痛い。歪みそうな自分の口元を無理くり押さえつける。
空を見ると再び口を開けて目を閉じていた。
目を閉じていた。マジか。
「まら?」
「……次ミニトマトね」
そう言いながらトマトではなくウインナーを放り込んでみる。
口に含んで嚙んだ瞬間、空の目がカッと見開かれた。異物が入ってきた衝撃で吹き出さないよう口元を手で押さえ、体をガタガタと揺らして悶えている。
「ふっ」
一旦堪えたけど、もう我慢できない。
私も空と同じように体を震わせて、周りを気にせず笑い声を上げていた。
「帰る!」
「ごめんって」
「みんな見てるじゃん」
「見られてなかったらからかっていいんだ」
「知らない!」
気の毒になってきたからお箸は返した。空は背中を曲げてほとんど犬食いのように残りのお弁当を平らげた。
残りの休み時間はいつも一緒にいたり、いなかったりする。空が寝てしまう時は席に帰るし、空がスマホを弄っていたらボーっと外を眺めている。私の携帯電話は引っ越す時地元に捨ててきた。
「なんであんなことしたの」
今日は珍しく、というか初めてこの時間に空とお喋りをする。
あんなことって、どれのことだ。ウインナー、卵焼き、嘘のミニトマト?
「食べ物は粗末にしちゃいけない」
「そ、れ、は、最初のほうでしょ!」
空の怒りの原因はウインナーではなかった。
「タイミングが難しくって」
「わざとじゃなかったんかい」
わざとではあるけど、それを言ったら絶対もっと怒られる。
「トマトと間違えたの」
「んな訳あるか!」
机に乗っかっていた空の右腕が浮き上がる。その弾みで肘に負担がかかり空の顔が歪んだ。
「いたた」
「今度から気をつけるね」
「気をつけてよ」
空と息を合わせて食べさせれば、今みたいに空の顔が歪むことはない。
今度から。……ん?
「食べさせていいの?」
「その代わり教室の外でね」
空は頬杖をついて反対側を向いた。そして小さな声で呟く。
「あくまで治療のためだから。右腕は絶対安静、左手で食べたら効率が悪い。……明日からヨロシク」
治療のため、治療のためね!
空の一言は小悪魔の囁きだった。
治療という建前があれば、私の全ての行動に言い訳ができる。そのうえ、空の色々な顔を見られるかもしれない。
上がる口角を止められない。
私の中でまた何かが壊れた。
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