第20話
「栞にこんな服を着せるの、やめてもらえませんか」
「私は別に着たくないわけじゃない……よ!」
「栞はいいから! で、どうなんですか」
全身に力が入る私に対し、花さんはまた顎に手を当てて考え込んだ。
店内で流れるジャズが一区切りつくのと同時に、ああと、思い出したように声を上げる。
「きみが栞ちゃんの言っとった子か。メイド服が私の趣味やってよう分かったな」
「きれいな女の子が好きだって言ってたから」
「なるほどなあ。なんで栞ちゃんに着せたくないん」
糸が絡まったようにその理由が真っ直ぐ言葉にならない。
うんうんと、なぜか同情の目を向けられる。
「空ちゃんやっけ。服のことは栞ちゃんとマスターで話し合うことにするわ。メイド服は、悪ノリやったかもな」
言い争いになることも覚悟していたけど、花さんはあっさり引き下がった。「着替えておいで」と栞をロッカールームに向かわせ、彼女の座っていた席に腰を下ろす。
「なあ、空ちゃん」
「はい」
「栞ちゃんのこと好きやろ」
「……友達として好きですよ。多分、一番」
「友達ねえ。話は変わるけど、もうすぐクリスマスやん」
みんな好きだな、クリスマス。
しかし花さんは季節外れのジャックオーランタンのような不敵な笑みを浮かべる。
「空ちゃんはその一番の友達とは過ごさへんの?」
「栞とですか。まだ決まってないですけど」
「誘ってないんや」
痛いところを突かれた。
一番と言いながら彼女にアプローチできてないのは自分でも感じていたこと。
言い淀んだ私を見て、花さんのランタンに灯がついた。
「取引や。栞ちゃんが戻ってきて、その場でクリスマスの遊びに誘えたら、メイド服を着せるのやめたるわ」
「はあ!?」
「応援してるんやんか。
善意と悪意が混じったカフェオレのような顔で持ちかけてくる。
「やるの、やらんの?」
「やりますよ」
「ちなみに二十四日の栞ちゃん、八時までここのシフトやから。そのあとな」
高校の制服の上から緑のエプロンをつけた栞が戻ってきた。
ほらと、顎で急かされる。
「空、なんであの服が嫌だったの。似合ってなかった?」
「それは、置いといて」
栞は首を傾げ、花さんは吹き出しそうになっていた。けなげやなって、何が。
「クリスマスの日さ、栞のバイトの後に」
それで、夜の八時から遊ぶってどこで?
時間が遅くない?
ディナーに誘う? 営業時間終わってるじゃん。
近場のイルミネーションだけ見て、それで、そこから。
あっあっ
「うちに、来ない?」
「え」
「遅くなるようだったら泊まっていってもいいし」
「空が言うなら、そうする……よ!」
花さんは去り際、メッセージアプリのIDが書かれた自分の名刺を手に忍ばせてきた。がんばれ、栞ちゃんには内緒やで、と。
私が花さんに相談する日なんて来ないだろうに。
トラブルにならなかったことへの安堵。栞がうちに来るという期待感。
ふわふわと月面を歩くような足取りで家に向かう。
バスで約二十分。
もっと足がよくなれば自転車で通ってもいいかもしれない。
すっかり日は暮れていた。
最寄りのバス停に人の気配はない。
升目で整備された路地と、そこに連なる一軒家。
夜の住宅街の閑静さは、栞の住む繁華街に比べたら大違いだ。
うちの近所は道の真ん中で遊んでても平気だし、夜にひとりで出歩いても何てことない。
人が住むことだけを想定された街に住む。恵まれている、と言っていいのだろう。
二階建ての家で、両親がいて、家に帰ったらお風呂が沸いていて、ご飯ができている。
私にとってそんな環境が当たり前だった。
「ただいま」
「おかえり空。遅くなるなら連絡しなさいって言ったでしょ」
「ごめんって」
「そら
リビングでは先に食事を終えた母と、中学二年の妹がくつろいでいた。
母も妹も人懐っこくて明るい。父は真面目で優しくて、ごく普通の四人家族。
普通で、真っ当で、当たり前。
栞といるようになってから「普通」についてよく考えさせられる。
いつか彼女の普通に触れて、家族に会えたりするのかな。
「そら姉、部活やめてからずっと引きこもってゲームしてたくせに、ふらふら遊びに出るとか生意気」
「どこが生意気なのよ。高校生活をエンジョイしてるんでしょ」
「……ずっと一緒にゲームしようよ」
「何か言った?」
妹は抱えていたクッションをこっちに投げつけて自分の部屋に戻っていった。
「変なの。ねえ
うちでは母親のことは母、父親は
「クリスマスイブの日さ、うちに友達を呼んでもいい?」
「いいけど、友達って何人?」
「一人だよ。泊まっていくかも」
「泊まるの!? まさか彼氏?」
夕食を温めなおす母の手が止まった。
春が来たような顔をするな、母。
「違うよ。九月に怪我したときに病院まで来てくれた、あの」
「あの可愛いらしい子! たしか栞ちゃんだ。ちゃんとお礼言ったわよね」
「何か月前だと思ってるの。でもお礼、お礼か」
腕が不自由だった間、彼女の世話になったこと。
口ではお礼を言ったけど、それ以外は何もしてなかった。
「プレゼントを渡そうと、思いつきました。今」
「何の報告よ。ま、父は仕事で遅いだろうし、空の友達なら腕によりをかけてあげよう」
「ありがと」
夕食をとるため席につくと、母が向かいに座った。
テーブルに両肘をついて、クリームシチューを食べる私をまじまじと見つめる。
「最近元気なのは、その栞ちゃんのおかげ?」
「そんなに変わった?」
「あんたは分かりやすいのよ。部活に行けなくなったときは、自分が一番不幸だって顔してた」
「じゃあ、今は?」
「クリスマスが楽しみって顔」
伸びてきた母の指が私の口元を拭った。シチューがついていたらしい。
「あと、プレゼントを何にするか悩んでいる顔」
まったくもってその通り。
期末試験が終わったいまの時期、勉強なんてする気は当然起きない。
風呂からあがり、髪も生乾きのまま自室のベッドにダイブする。ふかふかの毛布が心地いい。
毛布に包まれたまま、たぷたぷとスマートフォンを操作する。
『 プレゼント お礼 』
『 プレゼント 感謝 』
『 クリスマスプレゼント 』
『 クリスマスプレゼント 定番 』
『 クリスマスプレゼント 友達 』
『 クリスマスプレゼント 友達 高校生 』
『 クリスマスプレゼント 友達 高校生 女 』
…………
『 クリスマスプレゼント 彼女| 』
……手芸屋って近くにあったかな。
頃合いを見て、栞にメッセージを送る。「今、話せる?」
返事を待ちがてら、自分の部屋を見渡す。
小学生の頃から使っている学習机に大きめのクローゼット。簡素な木の本棚には教科書やマンガが一緒くたにぶちこまれている。
あとは動物のぬいぐるみがいくつか並んでいるだけ。
こざっぱりとした、悪く言えば殺風景な部屋だなと自嘲する。
フローリングの床にカーペットぐらい敷いてみるかと思っていると、スマホが鳴った。着信音もまた、初期設定のまま。
「もしもーし。バイトお疲れさま」
「うん」
「今日はごめんね。びっくりさせちゃって」
「平気」
本当に平気なのかな。栞は自分の気持ちを隠すから。
カチカチと時計の針の刻む音が耳に入る。それほどに栞との通話は空白が多い。
「栞はいま何してるの」
「別に何もしてない」
普段はさらに沈黙が続くはずだけど、今日は違った。珍しく栞の方から話題を出す。
「制服のことなんだけど、やっぱり似合ってなかった? それが嫌だったの?」
そうだよな。そのことを言うために今日は電話したもんな。なんで答えが出ないまま送っちゃったんだろう。
「逆。似合いすぎてたぐらい」
「じゃあ何で。空が着てほしくないなら、着ないようにするけど」
「お店の方針なんでしょ、気にしないで。私の方こそごめんね、言い過ぎちゃった。花さんにも伝えておいて」
「そう」
当日は私がバイト終わりに迎えに行くこと、うちに泊まってもいいことを伝えて電話を切る。
メイド服を着てほしくない理由は結局言えずじまい。
ほしいものとか聞いたらよかった。
クリスマスまで残り一週間。
それにしても、「着てほしくないなら着ない」ってなんだよ、もう。
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